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ドングリや栗のイガの収集割当が1944年10月、丸子町の常会徹底事項で言い渡されました
センターでは、長野県小県郡丸子町(現・上田市)の太平洋戦争末期の「常会徹底事項」を収蔵しています。
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この中で1944(昭和19)年10月の常会徹底事項では、ドングリと栗のイガの収集割当があり、取り組むように指示されています。
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常会徹底事項の説明によると、皮革の加工に使う軍需用タンニンを抽出するため、ドングリを20石、栗のイガを300貫、丸子町では収集するよう割り当てられたとして、各家庭の協力を求めています。
割当量が町単位に行われているということは、少なくとも長野県全域、おそらくは山間部がある全国で同様の指示が行われたと考えられます。11月の常会徹底事項では、早くも11月10日までに栗のイガの回収を国民学校で行うとしていて、急迫した様子がうかがえます。
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ドングリのタンニン活用は、実はもっと早くから唱えられていて、日中戦争2年目の1938(昭和13)年8月25日発行の信濃毎日新聞夕刊では、「団栗(ドングリ)も国家総動員隊列へ」との見出しで、農村工業協会が林業試験場に委託分析したところ、ドングリの渋からおよそ5%のタンニン、でんぷんなどの製造に成功。埼玉県内に試験工場を設置して10月からタンニンなどの製造を開始することになったと伝えています。基本的に、タンニンは輸入頼りの産物でした。
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研究自体は行われたものの、プラント化するのは遅れたのでしょう。全国に回収の号令をかけたのは6年余りのちのこととなりました。もっとも、国内のストックが枯渇してきて、慌てて回収を図ったというのが実情でしょう。
それにしても、上の11月常会徹底事項を見ると、栗のイガのほかにも白金やヒマの供出、サツマイモの自由販売禁止など、どんどん生活が窮屈になり、また、軍需資材も国内の自然素材を何とか活用できないかと無理をしている様子が伝わります。
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資源の多くを輸入に頼りながら、戦争を仕掛けアジア各地を占領したものの輸送が追い付かなかった実態が、このドングリ回収に表れています。こうした過去の愚行を知ることが未来の失敗を防ぎ、将来世代の糧になると思って戦時下のモノを収集し、発信しています。ぜひ、受け止めてください。
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