父の手紙に添えられた『お金』

朝起きると妻が「パパ、お父さんから手紙が届いてるよ」と言ってきた。

先日、私は父に激しく憤り、怒気を強めた言葉をブツケたばかり。

そんな父からの手紙である。

事の発端は、20年以上京都で暮していた父が、そろそろ田舎に帰りたいと言ったことがはじまり。

私達家族は父の経営する自営業が自己破産したのを機に、家庭内は崩壊。
長い別居生活をしていたのだ。

そんな父も73歳。
やはり身寄りがそばにいて欲しくなったのだろう。
しかし、タクシー運転手で生計を立てていた父。そんなにお金も持っていなかった。

私は、そんな父の力になれればと、安いアパートを探し、初期費用を支払い、保証人にもサインをした。

本来ならば妻や3人の子供たちに使うべきお金であったが、私は父のためにそれを使った。

父は後で返すと言ったが、私は「そのお金はお父さんにあげる」と言った。

私は、あまり金銭貸借をしたくない。
お金で人間関係の問題に巻き込まれるのは面倒この上ないからだ。

でも、父はそうはいかない様子。
取り敢えず全額は払えないからと、半分ほど返してもらうことになった。

かくして田舎に帰ってきた父だが、
帰って早々「京都の友人に会いに行きたい」と、夜行バスの予約をお願いをしてきた。

あまりにも突拍子のない言葉に困惑は隠せなかったが、インターネットが使えない父の頼みだからと、予約を取ってあげることにした。

4.5日間の京都滞在から帰ってくると今度は「お金がないから貸してくれないか」と父は言う。

まぁ「そりゃそうだろう…」
父の全財産なんて高が知れている。
そんな無謀な行動ではお金もなくなるだろう。

それに父は昔からお金を粗末にする人だった。
ペットボトルの中にジャラジャラと溜まった小銭を見るだけで、如何に金遣いが粗いかが分かってしまう。

そんな父が、田舎でもタクシー運転手として仕事を始めたのだが、京都とは比べ物にならない程ヒマな仕事だったよう。

連日、京都のタクシー仲間からは「こっちは忙しいぞ。早く帰ってこい」の電話が鳴り響く。

そんな父が私に向かって「京都に戻って仕事をしたい」と言い出した。
それも帰ってまだ4ヶ月。

そこに私は激しく憤ったのだ。

まだ金も返して貰ってないし、折角探してあげたアパートも原則2年間は住まなければいけない。

わざわざ探してあげたのにバカみたいじゃないか!

そんな無謀な行動がまかり通る筈かない。
しかし、父の気持ちは“是が非でも京都に戻りたい”が先走っている。

そんな父に心底呆れた。
結局、父は田舎で余生を過ごすことよりも、金稼ぎに目がくらんだのだ。

私はこんなことになるぐらいなら、帰ってくることを手伝わなければ良かった。

本当に父が疎ましい。

私は父が田舎に帰ると言った時、
「(田舎は)京都のように便利じゃないし、友人とも離れることになるから後悔はないのか?」と何度も確認をした記憶がある。

それでも帰りたいと言ったから私は手伝った。

だが、そんな私の行動さえも“ムダだった”と否定された気持ちになった。
これを私はどう解釈すれば良いのか?

私は父に電話で、あらん限りの憎悪の念をブツケた。
そして「京都に戻りたければ戻ってイイ。その代わり、もう二度と関わらない!」と言って電話をきった。

その数日後、年金支給日だった為だろう。
残りのお金が手紙と一緒に添えてあった。

だけど、そんな封筒も何かの使い古し。
あて名が透けて見えるようになっている穴からは現金が見え見えだった。

せめて中が見えない封筒に入れるべき。
粗末に扱われたお金が可哀想に見えた。
更に封筒の口も折っただけで糊付けもされてない。

こんな状態で玄関のポストに押し込んであったのだから、尚更可哀想だ。

お金は道具である。

でも人間の命を繋ぐ力がある。
そんなお金を粗末にする行為は、自分を粗末にするに等しい。

父にはそれが足りない。
足りなすぎる故、貧しさから逃れられないのだ。

手紙には、短く私に対する感謝と謝罪の言葉が書かれてあった。

でも私は、嬉しくなかった。
そんなお金もほしくない。
そんな手紙もほしくない。

どうしようもない父に不憫な気持ちが溢れるだけ。

それは憤りとか哀しみしかなかった。

もっと豊かに生きてほしい。

自分を育ててくれた父にこんな気持ちしか抱けないのは本当に哀しい。

井原西鶴の言葉に『住み慣れたるところを替える事なかれ』とある。

やはり最初から間違えだったんだ。
私は父が帰ると言い出した時、強情に止めるべきだったのかも知れない。

しかし、もう終わったこと。
私は可能ならば、このまま田舎で暮らし続けてほしいと思う。

確かに田舎にはないものが京都には沢山ある。
でもその逆も然りだ。

京都にないものが田舎にもきっとある筈。
それは豊かな自然だったり、のんびり流れる時間だったり。

京都に比べれば金の匂いなんて殆ど皆無のようだけれど、京都にばかりお金が集中している訳でもない。

きっと田舎にだってお金は流れてくるし、タクシー運転手だって続けていればヒマじゃなくなるかも知れない。

要するに無いものばかりに目を向けずに、有るものに目を向けてほしいと思う。
そう私は、父に言いたい。

しかし、もう手遅れなのでは…。
そんな想いもチラつきはする。

それでも父を許してあげたいと思う気持ちが何処かにあるのはきっと肉親だからなのだろう。






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