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『誰にも文句は言わせない』中卒経営者の生い立ちとは#仙敷工業

こんにちは!仙敷工業の総務部です。寒い日が続いていますね!❄️
寒い時期になると、温かい飲み物が恋しくなりますね!🍵

さて、今回はなんと!!弊社の代表・仙敷篤憲の生い立ちについてご紹介します!

#東海市で育った少年時代──ものづくりへの興味が芽生えたきっかけ
仙敷は愛知県東海市で生まれ育ちました。幼い頃から工作が大好きで、家には自分専用の道具箱を持っていたそうです😳!!

「どうやって作られているのか?」の好奇心が「職人としての道」を歩む原点になりました✨

#工業高校で出会った「溶接」との運命的な出会い
ものづくりが好きだった仙敷は、工業高校に進学しました。しかし、遊びの楽しさに夢中になり、学校を中退することに。

そんな中、実習授業で溶接に触れたことが転機となりました。鉄が溶けてつながる瞬間の美しさに魅了され「これは面白い!」と感じたのです。

卒業後、最初に入った会社では「とび職・土木・鍛冶屋」のどれをやるかと聞かれ、「鍛冶屋とは何ですか?」と尋ねると、「溶接をする仕事だ」と教えられその瞬間「やりたい!」と、本格的に溶接の道へ進むことになりました。

#独立と「人を大切にする」経営への決意
仙敷が独立を決めた理由のひとつに「周囲を納得させるため」という強い思いがありました。学校を中退したことで、「だから卒業しておけばよかったのに」と言われるのが何よりも悔しかった。だからこそ、誰にもそう言わせないために、自ら道を切り拓く覚悟を決めたのです😳

そのように仕事をする中で、「建設業は環境が厳しく、人手不足に陥りやすい」という現実を痛感。「どうすれば社員が長く働き続けられるのか?」と模索するうちに、「人を大切にする会社をつくろう」という強い決意が生まれたのです。

そして仙敷は、建設業のロールモデルとなる企業を目指すことを決意しました💡

また、独立した当初は、一人親方として仕事をしていましたが、大きな現場に行くと「会社単位で来ている人たちが楽しそうに働いている」ことに気づきました。

「一人は寂しい。仲間と一緒に働く環境を作りたい」と思うようになり、少しずつ仲間を増やしていきました。

こうして仙敷は、ものづくりの楽しさを知り、溶接の道に進み、試行錯誤を繰り返しながら「人を大切にする会社」を作り上げてきた、という経緯です✊

口癖のように『人を大切にする』と言う仙敷のルーツがここにあったとは…驚きです!!私たちもますます、仙敷工業への思いが強くなりました。

また、仙敷の大切にしている思いを、ブログでご紹介していきたいと思います。ぜひお楽しみにしていて下さい!

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