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挫折の痛みを飛翔の原動力に、悔しさを成長の糧に ─ センス・トラスト代表取締役社長・今中康仁の幼少期~これまでの歩みをまとめてみました!

こんにちは! センス・トラスト株式会社です。

私たちは「想像を超える、未来の創造」を理念に掲げ、京阪神間・東京エリアを中心に不動産の買取再生、不動産開発、売買仲介、コンサルティング等の事業を展開しています。

動画クリエーターの伊関が加わり、さらにパワーアップしたセンス・トラストの公式YouTubeチャンネル。今回は【人生グラフ】と題して、代表取締役社長・今中康仁の幼少期からこれまでの人生を振り返ります!

なお、公式YouTubeチャンネルでは、本記事の全編も動画で公開中!記事には書ききれなかったエピソードも併せてお楽しみください!


27歳で起業し、センス・トラストを右肩上がりの成長へ導く今中。側から見れば挫折知らずの順風満帆な人生のように映るかもしれませんが、当の本人は「決してそんなことはない」と話します。

そんな今中のこれまでの人生をグラフに表してもらったところ、まさにアップ&ダウンの人生だったことが伺えました。そこで今回は、これまでの歩みを大きく3つに分けて振り返っていきたいと思います。

野球に本気で打ち込む傍ら生徒会長になった経験も

小学時代から野球で頭角を表し、勉強も得意で成績は『よくできました』がほとんど。野球も勉強もすべて本気で頑張るスポーツ少年でした。

中学時代でもその勢いは止まらず、進路を決める時には大阪桐蔭高校をはじめ複数の高校からスカウトをいただいたりと、プロ野球選手になるまでの道を一歩一歩着実に歩んでいました。また野球に本気で打ち込む傍ら、投票で選ばれて生徒会長になった経験もあるそうです。

「本気でプロ野球選手になると思っていたし、メジャーリーガーを目指していたので、当時一番注目を集めていた大阪桐蔭高校で野球ができたことは、自分の中では大きな出来事でした」

大阪桐蔭高校の野球部で人生初の挫折を経験

意気揚々と野球の名門・大阪桐蔭高校へ入学した今中でしたが、そこで人生で初めての挫折を経験することになります。

当時の大阪桐蔭高校の野球部には、2学年上に中日ドラゴンズの中田翔選手、1学年上に東北楽天ゴールデンイーグルスの浅村栄斗選手といったスタープレイヤーをはじめ、力のある選手が多数在籍。圧倒的な実力を目の当たりにして初めて挫折感を味わったそうです。

その今中を、さらなるどん底へ突き落とす出来事が起こります。

「高校1年時に、父親が急逝したんです。当時は寮生活をしていたのですが、ある日寮長から呼び出されて『お父さんが病気だから、家に帰りなさい』と言われて。急いで実家に戻ったところ、父の余命がもう1週間ほどだということを知らされました。そして父は余命通りに亡くなってしまったんです。しかもその直後に怪我をしてしまって。『ここで怪我までするのか』と打ちのめされる思いでしたね。当時は、何故かは分からないけど空ばかり見上げていました。」

絶望的な状況から立ち上がるきっかけとなったのが、ある2人の人物から今中に送られた手紙でした。

「1通は、『お母さんを楽にしてやれ』と書かれた父親の遺書です。もう1通は、大阪桐蔭の西谷浩一監督から頂いた手紙で、『成功は窮苦の間に芽生えており 失敗は得意満面の間に宿る 黒雲の後には太陽が輝いている』と書かれていました。僕をもう一回頑張ろうと奮い立たせてくれた父と恩師からの手紙は、今も大切にしています。」

左から 西谷監督からのお手紙と当時の今中の日記

人生で初めての苦しい挫折を味わった大阪桐蔭時代。それでも今中は、当時は自分にとっての「人生の財産」だと胸を張ります。

「1学年上の浅村さんの世代は、夏の甲子園で全国制覇を成し遂げています。僕自身はケガもあったり、ベンチには入れなかったけれど、大阪桐蔭が日本一になる瞬間を経験できました。そして自分たちの代になってからは、秋季大会、近畿大会で背番号4番をつけてレギュラーになることもできました。それは僕にとって、人生の財産だと思っています。」

高校卒業後は、京都産業大学の野球部に入部した今中でしたが、入部初日の練習でまたしても怪我に見舞われてしまいます。それが決定打となり、幼少期からの夢であったプロ野球選手を断念。再び思うようにならない出来事に直面したものの、偶然の出会いをきっかけに「社会人になって5年で社長になる」という新たな目標を掲げることになりました。(※詳しくはこちらの記事もご覧ください!)

「不動産会社の社長になると決めたので、大学在学中に宅建の資格を取ろうと思いました。とはいえ、大学生はとにかく遊びたい時期。周りのみんなは海に行ったりするんですけど、僕は遊びに行く時でも宅建の教材を持って行っていました(笑)」


自分が掲げる理想と現実のギャップに苦しんだ社会人1年目

大学卒業後、新卒で住友不動産販売(株)に入社した今中。夢に掲げた「不動産会社の社長」を目指して社会人としての一歩を踏み出しました。

「ところが、入社1年目はとにかく先輩たちの凄さに圧倒されて悔しい思いの連続でした。仕事のやり方や考え方を教えて欲しかったけれど、『背中を見て学べ』が当たり前の世界。居酒屋で先輩と飲みながら号泣したことも多々ありました。」

自分が掲げている理想と現実のギャップに苦しんだ1年目でしたが、悔しさをバネにして仕事に打ち込んだそうです。

「とにかく休まなかった。毎日何かしら仕事に関することに取り組んで、丸一日休むことはなかったですね。

2年目からは、とにかく先輩にくらいついていこうと決めました。毎朝の朝礼では営業所で一番高い目標を真顔で掲げたりしていましたね。先輩たちは呆れていたけれど、自分自身は本気だったんです。」

仕事のリズムができ、次第に数字が出せるようになってきたのもこの時期でした。目標数値を達成して、先輩を超える月もあったそうです。そのようにして不動産の基礎・基本を身に付け、取引の流れや営業というものを学び、3年目の春に今中は退職を決意します。

「大阪桐蔭高校 野球部時代の先輩が紹介してくださった会社に転職を決めたんです。そこでは、事業用の不動産や権利調整など大手ではなかなか学ぶことができない領域の経験を積むことができました。」

27歳で独立。良い時も悪い時も常に希望を捨てずに上だけを見て進んでいく

27歳でセンス・トラストを起業し、18歳の時に掲げた「不動産会社の社長になる」という夢を叶えた今中でしたが、最初の1年目は「毎日が不安との戦いだった」と当時を振り返ります。

「とにかく休みもなく死ぬほど働いていました。仕事を終えて家に帰ろうとするけれど、疲れ過ぎて運転をする気力も残っていなくて車で寝るということも多々ありました。まさに地獄のような日々でした。でも、その一方で『生きている感』はすごくありました。激動の日々ではあったけれど、楽しかったですね。」

起業から半年後、センス・トラストに1人目の社員が入社。そこからすぐに、2人、3人と仲間が増えていきました。奇しくも世間はコロナ禍に突入したばかり。さまざまなことが制限される中でも、中小企業として自分たちができることを模索し、学びのある時期でもあったと今中は振り返ります。

ところが、会社が軌道に乗り始めた矢先に、これまで共に頑張ってきた大切な仲間が退職。起業後で一番精神的に苦しい経験となりました。

「かつて経験したことがないほどに落ち込みました。でも彼のおかげで、経営者として自分に足りていなかった部分に気づくことができましたし、考え方が変わるきっかけにもなって、今はとても感謝しています。」

創業から駆け抜けるように過ぎた5年。これまでのさまざまな歩みを振り返り、今中は「大切なのはどんな時でも希望を捨てず、常に諦めずに上を見て進んでいくこと」だと話します。そんな今中が先頭に立って牽引するセンス・トラストの成長を、今後もあたたかく見守っていただければ幸いです。


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