飽きっぽいから、愛っぽい
『飽きっぽいから、愛っぽい』
岸田奈美 (著)
発行:講談社
以前、Instagramの投稿だかnoteだかに
私にとって「書く」という行為は
自分のなかの「経験」や「思考」はたまた「感情」を
整理して、消化するようなものだと書いた記憶があります。
それは、これから先も生きてく限り
自分と付き合っていくなかで
生きやすくなるライフハックのようなものかなと
思っていて
自分の思考や感情の整理がついてないことは
わからない=不安=つらい苦しい
という負のループに陥るから
書いて整理がつけば、
「なるほど、私はこういう風に物事をとらえるのね」
「こういうときに私は悲しくなるのか」
「自分に余裕がなかったら他人に優しくできなかったのか」
などなど、自分にとってマイナスな感情も腑に落ちる。
わかれば、不安ではないし、受け入られる気がします。
『飽きっぽいから、愛っぽい』の
レビューじゃなかったんかい!という書き出ですが
ここからが本番です。
岸田奈美さんのエッセイを読んでいると
彼女の経験や思考をありのままに
ドドンと胸にダイレクトに響くような文章で
追体験することができるように思います。
それは、私が「書く」ことで整理した自分の感情
胸の中でくすぶっていた思いを
他人の目線でどう見えるかということを
教えてくれるからに違いありません。
しかも、泣き笑いしながら実にユーモラスに。
自分の考えと類似点をみつけたり、自分にはない
発想にハッとさせられたりしているうちに
世界は広いことに気づかせてくれるのです。
そして、「わからないことはわからない」
思考を整理するその途中も、惜しげもなく私たちに
みせてくれるので、こうも共感率が高いのかなと思います。
ちょっと不器用な彼女の、繊細かつ豪快な文章を
読んでいると、なんだか輪郭がぼやけていた
「愛」というものが、自分なりにこういう事なのかなと
思えるから不思議です。