ひろげる2025年
下書きばかりが増える日々で、結局2024年は1投稿しかせず年を越してしまいました。
ここ数年では珍しく、年末の帰省するタイミングで、地元はすでに銀世界だった。澄んでいる、というよりも、どこか煙っぽい雪のにおいがする冬が、小さい頃から好きだ。
高校の帰り、親の車から眺めた景色を思い出す。横に長く雲が割れて、ちょうどその隙間から、まんまるの月が顔を出していた。月の明かりが、降り積もった雪に反射して、いつもより明るい静かな夜だった。車の窓を開けて携帯で1枚写真を撮った。もう10年以上も前の話。
2024年、色々あったけれど、なんとか無事に年を越せました。今更振り返ると、映画『PERFECT DAYS』を観ることから始まり、ほしかったフィルムカメラを買ったり、数年ぶりの友達と会ったり、『大豆田とわ子と三人の元夫』でかごめが食べていたプリンアラモードを食べに行った。ロイヤルホストへ、キャラメルナッツブリュレ目的で行ったのに販売が終了していて、やりきれない気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からなくなっては、復活を果たしたときには泣くほど歓喜したし、応援したい!と思える推しに新しく出会いときめき、推しの素晴らしさに毎日が楽しくなった。
植物たちはどんな季節もその美しい姿と生命力で、私に偉大な力をくれた。残業もしてくたくたで帰った雨の夜、隣のアパートの花壇に植えられていたダリアが、雨露に濡れ、思わず声が漏れてしまうほど美しかった。美しさのあまり疲れもどっかに飛んでいった。これでいいと思った。
そしてなにより、10月、濱田英明さんの展示を観に、1泊2日で神戸に行った。神戸の海を見て、神戸の風に吹かれた。高台まで頑張って上り、神戸の街を眺めた。名前も知らない人たちと、あの場所で、同じものを見た。頭と心の中に隙間ができて、それがすうっと広がっていくような気がした。
仕事が忙しい、休日はダラダラと休みたいという理由で、言葉にすることを放棄していたら、考えることすら難しくなっていた。
2025年は、自分を守りたい。甘やかすという意味ではなくて、挑戦してみるとか、踏ん張るとか、どこかに置いてきてしまったものを、またやってみる。自分の目で見て、聞いて、触って、嗅いで、考えて、言葉にする。自分のことだって全ては分からないし、分かったとしても全てを言葉にする必要もないと思うけれど、自分の営みとなるまで、それを繰り返す。そうしたら、頭も心も、自分がいる空間も、神戸で体験したときのように、もっともっと広がっていくのかな、広がったらいいな、と思う。自分を守れる人は、誰かを守ることができると思う。
今日は初めてピアスを開けました。
今年もどうぞよろしくお願いします。