平成生まれが戦争遺跡へ行く理由
「若者は戦争に関心がない」は本当か
「戦争の話をしても、若者が全く興味をもってくれないです。」
私はよくこんな話を聞きます。戦争の実体験を聞くことが年々難しくなり、次世代への継承は大きな課題となっています。
では、本当に若者たちは戦争への関心を失ってしまったのでしょうか。平成生まれの私は、こう思うことがあります。「若者たちは戦争を学ぶことの大切さを心のどこかで理解しているのではないか。」
平和とは当たり前のものではない
私が戦争について強く考えるようになったのは、祖母の戦争体験でした。私が高校を卒業する際、祖母は私に「名古屋大空襲で両親を幼い頃に亡くしたの」と話してくれたのです。
それから、私は少しずつ戦争について関心がわき、大学生になると国内の戦争遺跡や資料館だけでなく、海外の戦争遺跡にも行くようになりました。最初は「歴史の教科書に出てきた建物を見たい」という興味本位のようなものでしたが、戦争遺跡を巡る度に少しずつ私の中で変化がありました。
広島県にある呉市海事歴史博物館(大和ミュージアム)を訪れた時のことです。科学館には戦艦大和の10分の1サイズの模型や、特攻によって亡くなった青年たちの遺書が展示されています。まだ学生だった私は、展示物を見て「大勢のお兄さんたちが戦争で亡くなった」とぼんやりと思っているだけでした。しかし成人して科学館を再度訪問した時に、あることに気がつきました。それは「大勢のお兄さんたち」と思っていた青年たちが、自分の年齢より年下になっていたのです。私が彼らと同じ年齢のころ、何をして過ごしていただろう。「戦争は命を奪う」ということが私の中で鮮明になった瞬間でした。「戦争とは身近なものだ」「平和とは当たり前のものではないのだ」と実感したのです。
7年以上語ることのなかった想い
では、戦争に対する想いをすぐに周りに伝えていったのかというと全くそうではありません。自分の想いは7年以上誰にも言えませんでした。友達から敬遠されたり、怪しまれたりするのではないかと怖かったのです。
私には忘れられない経験があります。私は大学で国際ボランティアサークルに所属し、フェアトレードという活動をしていました。サークル活動のことを就職活動で面接官に伝えると「あなたがやっている事はまるで思想活動ですね」と言われたのです。このことは私に大きな衝撃を与えました。自分が熱心にやっていることを、他の人から驚かれてしまうことがあると知りました。
豊川海軍工廠との出合い
その後、豊川海軍工廠の跡地見学会に参加したことが私を大きく変えました。私は同じ愛知県に住んでいながら、かつて東洋一の兵器工場と言われた豊川海軍工廠のことをほとんど知らなかったのです。この事実を残していかなきゃと感じた私は「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」の入会を決めました。
その後、戦争遺跡の保存活動に参加することを、勇気を振り絞って友達に報告しました。すると予想外なことに「応援する」「学んだことがあったら私にも教えて」と背中を押してくれる友達が多くいたのです。その時私はこう思いました。「戦争を学ぶことの大切さを理解している若者は他にもきっといるはずだ」
平和を語り継ぐ全国の若者たち
発表では名古屋から駆けつけてくれた友人のはっとりさん(36)を参加者に紹介し、はっとりさんにご自身の活動を話していただきました。
はっとりさんは鹿児島の知覧を毎年訪問し、命について考えていること。平和の灯(へいわのともしび)のイベントを行ったこと。来月パラオのペリリュー島に行くこと。そして長崎県で被爆の継承に取り組むまつながるいこさん(26)の活動を紹介してくださいました。
私からも改めてまつながるいこさんを紹介します。彼女は、長崎で被爆した自身の祖母や、被爆者の語り部で知られる下平作江さんに何度もお話を伺い原爆の恐ろしさを後世に伝えるための本を執筆しています。彼女の活動は新聞やニュースなど多くのメディアに取り上げられ、「誰にでもできる継承」をテーマに始めたクラウドファンディングでは、8月19日現在は115名の支援者がいます。彼女の活動が戦争経験者から10代の学生まで幅広い世代に支持されている理由は2つあると思います。ひとつは彼女の人間的な魅力です。平和へのひたむきな情熱と、誰よりも優しくて傷つきやすい彼女からあふれる言葉は、人の心を惹きつける芯の強さを感じます。そしてもうひとつは、戦争を後世に伝えていくことの大切さを、多くの人たちが理解しているからではないでしょうか。
私たちの活動は、全ての若者に受け入れられるものでは無いかもしれません。でも、生きることについて真剣に向き合っている仲間に出会えたことが私の誇りです。自分たちの活動をきっかけに、若者が平和について考えるきっかけとなることを願っています。
発表を終えて -20代が戦争遺跡保存を行う理由-
戦争遺跡を保存するということは「いつでも学べる場所を残しておくこと」だと私は考えています。小中高校生のころは授業で戦争遺跡を訪問することはあっても、学校を卒業するとその機会は減ってしまいます。私は成人した若者にこそ戦争遺跡に足を運んでほしいと思っています。なぜなら、学生時代には気づかなかった発見が必ずそこにはあるからです。
子どものころは戦争と自分を切り離して考えていた私が、戦争遺跡保存の活動をするまでになったのは、命を懸けて日本を守ってくれた先人たち。
そして70年以上戦争遺跡を遺してくれた皆さんのおかげです。何気ない日常が、幸せそのものだと戦争遺跡を通して教えてもらったように、私も未来の子どもたちに平和を伝えていく一人でありたい。そして1回だけではなく何度でも来てほしい。考えてほしい。
学校の授業だけでなく、若者に戦争遺跡に訪問をしてもらうためには「1回で理解しようとせず何度でも来てくださいね」「私もまだまだ学び途中です」と、いつでも来てもいい場所だということを学生のうちから若者に伝えていくことが重要です。
また、私たち20代が戦争遺跡の保存活動をすることで、自分と同じ世代の若者たちが参加しやすい雰囲気をつくり「また来てみようかな」と思っていただけたら、これほど嬉しいことはありません。