「ただ個性の強いアノ先生」と言われないための考え方
新しいメンバーで仕事を始めて数日。
そろそろ個性を出してくる
あの人やこの人。
どこにでもいるのではないだろうか。
個性的だが、それが組織として動く中で
良い方向へ向かわせることが出来る人ならば
「面白くていい先生」
という評価。
一方で、ただただ個性が強くて
組織としての活動を停滞させる人、
または活動が悪くはならないが、
特に良くもならない、プラスマイナス
むしろマイナスみたいな人は
「ただ個性の強い先生」(ちょっと否定的な意味で)
となっていくのではないか。
前者も後者もこういう先生たちには発言力がある。
声が大きかったり
人の話に割って入ったり
あれやこれやと意見を言ったり。
では「面白くていい先生」と「ただ個性の強い先生」
の違いはなんだろう。
それはその素晴らしいエネルギーを正しい方向に向けているかどうか
ではないだろうか。
エネルギーを正しい方向に向けるには
ゴールや目的を明確にしている必要がある。
それがあるかないか、というのが
失礼な言い方だが、明暗を分けているように感じる。
例えば、今の時期入学式の準備がある。
全職員で協力して取り組む活動だ。
たくさんの配布物を一人一人の封筒にまとめるとしよう。
最終的には各クラスに人数分の封筒が出来上がっていればよい。これがゴールだ。
これをしっかり分かってる人は
まとめる過程で各クラスの人数分になるよう
封筒をカゴに入れたり
細々とした指示を出したりすることができる。
指示を出す時には持ち前の発言力が生きてくる。
一方、それが分かっていない
もしくは意識せずに作業をする
「ただ個性の強い先生」は
場当たり的なやり方をするので
数あるトラブルにその場しのぎで対処する。
そして、その発言力で場を混乱させる。
結果的に手数が増えて、非効率的な動きになっていく。
全体に迷惑がかかり「面白くていい先生」にはなれないのだ。
天から授かったその個性は
ゴールを明確にしているか
それに沿う、最短距離での道のりを示すことができるか
によって生かされたり、殺されたりするように思う。
私自身の話をするならば
自分で言うのもなんだが、個性が強い方ではない。
ぬるりと組織の中にいて、目立たず
迷惑もかけないように気をつけている。
リーダーとなり、多数の大人を動かすのも苦手だ。
1人で黙々と作業するのが性に合っている。
発言力がなくてもいいが
自分なりに考えがあり、時々ぼそっと
的確な意見を言うことで
「面白くはないけどいい先生」
と思われたい。笑
今年度、伝説となるような
「個性的なアノ先生」と出会うかもしれない。
もう出会っているのかもしれないが。
良いところ、改善したほうがいいところ、
しっかりと観察して
自分の身の振り方を見直すことができると
「面白くていい先生」に近づくのではないだろうか。
自戒を込めて…。