治療は生き方
2回目の絨毛がん再発に対する抗がん剤治療
毎週抗がん剤を投与する全8クール四ヶ月間のスケジュールの半ばを過ぎた頃から
もうやめたい、もうやめたい、と私の思い
hcgも感度以下になってるし、やめたいけどやめてあげられない、これでもかと優しく穏和な先生も心を鬼にして見守ってくれたEMA/COを終えて一ヶ月
なのにまたhcgがゆっくり上がってきた(ToT)
どうして一ヶ月すると毎回毎回あがるの?
抗がん剤耐性になってるの?
精神的な影響?
悶々する日々
ある日ふと自分のなかで
私は病に頼らなくても
人にかまってもらわなくても大丈夫
私は自分を愛してるしもう大丈夫って思って
子どもたちや夫とニコニコ笑って普通に過ごしてる姿をイメージしたら
心のなかがわ〜ってあったかくなった
その流れで
アクティベーションワーク受けたり
びわの葉温灸や飛騨溶岩で絨毛細胞があるとされてる肺をあっためたり野草食べたり飲んだり(野菜よりビタミンミネラルが豊富)
病気なくて楽しく過ごしてる姿やまわりのイメージを味わっていた一週間
今も毎週毎週の採血は続いているのですが
それまで毎週少しずつ上がってたhcgが上がり止まったのです!!
上がり始めてきたとき
腫瘍専門医であり絨毛がんの方を某大学病院でたくさんの方を見て見えた主治医の先生は
こんな結果で会いたくなかったけれど、と前向きして
同じ肺の部位の再発なら次は抗がん剤プラス手術で肺をとるかと考えてる、でもまだ前回と同じ肺にあるのか確定できないし医師や大学によっても意見がわかれるところ。肺は生きるために必須な臓器だから、取り損にはしたくないからしっかり見定める必要がある。
今はまだ時間があるからセカンドオピニオン聞きに行ってもいいよ、と
提案をしていただいたのですが、
もうどっちもやりたくない(ToT)
が本音
提案された抗がん剤も効く氣がしない
なんの根拠もない女の直観的なものですが
副作用が強いと自分でもわかってる薬だからというのが大きい
手術についてもいろんな不安があり決めきれない
婦人科腫瘍だけど、肺にあるから執刀医は呼吸器の先生
そこにまず引っかかる私
今までの信頼関係がある主治医の先生のオペなら受けれるけど、絨毛細胞、呼吸器の先生わかるのか?みたいな漠然とした疑問や肺をとる恐怖やその後の不安がぐわ〜んと頭のなかを錯綜
悶々とした思いが募っていたとき
専門の主治医と話した内容は生き方についてでした
私のなかの不安を含めた全ての想いをつたえました
すると先生は
今まで見てきた患者さんの生き方を話してくださりました
手術や抗がん剤治療をするのかしないのか
治すのか付き合っていくのか
治療せずに生きてる方もいる
死と向き合っていきるのも生き方
絨毛がんはほぼ100%治るとか、抗がん剤が90%くらい効果があるとか言われるけど
治療は統計じゃない
個人差もあるし
治療は生き方だ
どんな選択をしてもいい
自分がしたいように決められる
どう生きたいか自分次第
0にする方法を提案させてもらってる
私は決めたらがんばれる人だから、
迷っているのはセカンドオピニオンや他の方法からヒントをいただくときなのかもと伝えてくださりました
そして私も今まで考えてきたことを伝えました
治療せずに死を受け入れることも考えた
でもやっぱり私はまだ生きたいよ!って
子どもたちといたいよって思ったこと
値は上がってるけど消えると思ってることや画像の影も埃じゃないかって思ってること(人の念は細胞に伝わるから上がると思っていたら上がると思うから
西洋医学だけじゃなく他のアプローチもやれることやってみようと思ってること
意を決してこの病院に転院したのも後悔してないしあの時最善だったと思ってること
状況変われば選択を変えていくだけだと思っていることなどを
腹を割って話し、クオリティオブデスまで落とし込んだ深い話ができたことに感動しました
私の全てを否定せずに受け入れてどんな選択もバックアップしてくださる
先生の言葉が神さまからのメッセージのような
私のうちなる声を代弁してくださったかのようだった
治療は生き方
どこでどう生きるのか
自分が大事にしたいことをクリアにして
一つ一つ決めていこうと思いました
胞状奇胎を発症してから二年
侵入奇胎を経て
絨毛がんになり、放置していたらあっというまに増えてからだの至る所に転移して致死的である病でありながら なんの自覚症状もなく病巣が広がることもなくここまでいのち繋いでこれたのは
がんではない侵入奇胎のうちの初期治療が大切なこの病
初期治療の時点から患者さんに寄り添い治しにいく熱く人としても尊敬する素晴らしい先生に出逢い、丁寧で的確な治療と地方病院でありながら先生の経験のもとに大学病院と同じレベルの治療をしていただいたおかげ
でもここにきて他の先生の意見も聞いてみたい
ほかに治療法はないのか知りたい
と思い先生に想いを伝えました
地方病院なのに絨毛がんを大学病院で幾例も見てみえた先生に出逢えたのは奇跡であり
私の人生の宝物
hcgが上がりどまってくれたのは時間の余裕ができたということだと思って行っておいでと言ってくださいました
そして
千葉大で絨毛がんを研究してみえた先生のところに急遽セカンドオピニオンに行くことになりました
#絨毛がん #侵入奇胎#治療は生き方#セカンドオピニオン
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