治療のおかげで紡げること
この治療が始まったからこそ紡げる時間があるなあと思います。
例えば、子どもたちとの、心かよわせる時間。
この半年間、治療のための単身赴任で、子どもたちと離れていた。もちろんまだ幼いし、一肌恋しいだろうし申し訳ないなと思いつつ。でもそれは私が思ってるだけかもしれない。離れて暮らすことでお互いに感じたり学んだりすることも多いので、もう子どもたちを信じて!なるようになると生きていました。
でも、治療のため今そばにいてくれる家族の存在は。
やはりかけがえなく、ありがたい存在と感じています。
当たり前でない日常のひとつひとつ、会話のひとつひとつ、遊びのひとつひとつが、こんなにも愛しい。
子どもたちと寝る前の布団のなかで、
子どもたちにインディアンマッサージをして、子どもたちも自分でセルフメンテナンス(ヨガのひとつ)する幸せ時間。
子どもたちの背骨がほぐれて、全身ゆるんで気持ち良さそうな顔で眠りにつく。その姿を見ていると、母でいさせてくれてありがとうと。さみしい思いさせてたんやなあとか、でもだからこうした時間をいただけることに感謝だなあとか、
いろんな思いがわき起こります。
ふと、チャクラの話をすると生き方までの話が、すーっと入っていく子どもたち。
自分を感じてやりたいことをしているからかな。
日々思うけれど、子どもたちは、頭じゃなくて感じてる!
理屈や情報云々言って満足してるのは大人だけかあ(^_^;
子どもたちは、大人の背中をみてるもの。
不意にホタルの一生の話へ。
娘が開いていた国語のドリル教材から話が発展。
一年つちのなか、子どもを残すために二週間だけ光輝き舞い飛ぶホタルの一生。
今あるいのちを、今を一生懸命いきるからこそあんなにきれいなのかもね、と話したら、ほんとや、そうやなー!と娘の顔が微笑む。その顔に癒される私。それだけで、免疫力あがる!
こんな話は、今私が自分のいのちを感じながら生きているからこそ話せるし、言葉が自然にでてくる。
かっこつけようとかでなく、胸のうちから沸き上がる言葉や思い。
自分の感じるままを伝えていく。
感じるままに伝えるって簡単そうでそうでない。
わざと、思いとは違う表現をして誤解を招いたり。
無意識に自分の本当の気持ちを隠したかったり、思い通りにしたかったりすると、途端に言葉が横柄になる。私もそうです。だから、できるだけ自分を俯瞰して伝えたいことを、言葉にするよう意識しています。
子どもたちに、あるがままの自分でいてほしい。
そのために、私はあるがままの子どもたちを受け入れよう。
自分の長く紆余曲折してきた経験から、心からそう思います。