『真面目なだけの人』というのは究極の自己中なのではという話。

私はいわゆる「真面目な人」であると思う。酒もギャンブルもやらないし、異性関係も派手ではない。というよりむしろほとんど無いと言った方が正しい。

趣味は読書と筋トレで、最近は投資にも興味がある。もちろん、投資と言ってもFXやデイトレードのようなものではなく、インデックスの投資信託を買うとか、財務諸表を読んで個別株を買うような堅実なものである。

正直な話、私は他の人に興味がほとんど無い。もちろん、家族や数少ない地元の友人たちについては大切に思っているが、バイト先の人たちや大学の同じサークルに所属している人たちに対してはあまり興味がわかないし、一緒に遊びたいとも思わない。

結局、私は自分にしか興味が無いのである。趣味が読書や筋トレ、投資であるのもそれが自分にとって一番利益があると考えているからだ。(実際、結構楽しいし、そもそも趣味は他人のためにやるものではないのだろうが)

これらは私の事例であるが、自分にしか興味が無いから真面目な生き方を選択している人は他にも存在するのではないだろうか。

例えば、恋愛市場において「真面目な人(特に男性)」はモテないとされている。実際そうだと思うし、この風潮をいわゆる真面目な男性たちが嘆かわしく思う気持ちも理解できる。ではなぜ真面目な男性はモテないのか。

それは相手を楽しませたり、相手の承認欲を満たしたりするなどして、相手にメリットを与えることができないからだと思う。

実際、いわゆるモテない真面目な人は遊びに対する理解度が低いため一緒にいても楽しくないし、相手に興味もないし、それによる経験不足により会話も上手ではない傾向がある。

彼ら(私を含む)は保守的で、リスクを取ることを選択しないため面白い、興味深い人間にもなれない。人気が出ないとは当然と言える。

それなら真面目でなくとも、一緒にいて楽しい異性が選択されるのは当然のことだろう。なぜなら、恋人段階では一緒にいるメリットが無い。(結婚するとなると話は変わってくるだろう。)

詰まるところ、私が言いたいことは、真面目なだけの人は『自分のことしか考えておらず、保守的で周りの人々を楽しませることをしない自己中な人』なのではないかということだ。

真面目に生きることが美徳とされているが、やはり人間関係においては、とんでもないことを平気でするような奴の方が面白い。周りを楽しませられるやつという考え方では、破天荒な生き方をしている奴のほうが良いやつなのかもしれない。と真面目な私は考える。

ここまでnoteを呼んでくれた親愛なる真面目な方々へ。あなたたちはどう思うだろうか。ぜひともコメントで教えていただきたい。

最近、英語を邦訳したビジネス書を読むことが多く、それに影響されてこのような固い文体になっていることは秘密である。

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