13軒目:CLUB251
数多くのライブハウスが軒を連ねる下北沢。中でも、2023年にオープンから30年を迎える老舗が〈CLUB251〉。ジャズのコード進行「ツー・ファイブ・ワン」が由来のこのライブハウスは、BUMP OF CHICKENやTRICERATOPSなど多くのアーティストを世に送り出したシモキタの聖地のひとつ。ミュージシャンとして活動しつつ、古くからこのライブハウスに携わってきた運営会社COTOCの代表取締役、尾方茂樹さんに系列店の〈下北沢440〉、〈BAR?CCO〉も含めて歩みを振り返っていただいた。
今も昔も、街の小さなライブハウスであり続ける、〈CLUB251〉の確固たる立ち位置
「僕は元々バンドでメジャーデビューしたのですが、数年で活動がストップしたときに、スタッフだった知人に誘われて働き始めたのが〈CLUB251〉に携わるようになったきっかけでした。その頃の〈CLUB251〉はオープンしたてで、グランドピアノが置かれているジャズ系のライブハウス。今とはまったく違う雰囲気でした。でもその路線がなかなかうまくいかず、ロック寄りにシフトしようとしている時期だったんです。
僕はバンド活動する前に新宿の〈ツバキハウス〉でバイトをしていたこともあり、そこで経験したことを当時のオーナーに話していたら、そのうちに〝君が店長をやってくれないか?〟と。またバンドをやりたかったので最初は断ったんだけど、〝お店さえうまく回してくれたら好きにしてくれていいから〟と説得されて、そのまま運営も任されるようになりました」
1990年代前半といえば、下北沢のライブハウスは〈屋根裏〉と〈SHELTER〉、〈下北沢LOFT〉などまだ数軒しかなかった頃。〈CLUB251〉には毎日のようにアマチュアバンドがデモテープを持参し、オーディションを重ねていたという。
「SUPER BUTTER DOGやHi-STANDARD、WRENCH、RIZE、BUMP OF CHICKEN……。振り返ればいろんなバンドが出演してくれていますね。その頃は月の半分くらいは深夜営業もしていて、四六時中ライブをしている状態。しまいには警察から注意されたこともあって、夜中は少し控えて土日の昼間のライブを増やそうという方向性に変わりました。
自前のレーベルでも持っていれば、将来性のあるバンドを自分たちで育てていくという方向性もあったと思うんだけど、僕たちのスタンスはあくまでライブハウス。〈CLUB251〉から巣立って武道館クラスまで有名になったバンドが、時を経てまた出演してくれる。それが一番嬉しいことなんです」
その名は全国に轟いていても、下北沢という街の小さなライブハウスであることはずっと変わらない。それが〈CLUB251〉の確固たる立ち位置だ。
「以前のライブハウスって、あえて音楽をやっている人間をスタッフに雇わなかったり、スタッフが出演者に気軽に話しかけてはいけないというような風潮がありました。でもウチは僕自身がミュージシャンなのでそんなのは関係ない。今も昔もスタッフの多くが音楽をやっています。
それに、スタッフと出演するミュージシャンはきちんとコミュニケーションをとれた方がライブはうまく回るし、雰囲気だって良くなるじゃないですか。近年、そういう考え方は他のライブハウスにも広まっているのかなと感じますね」
固定観念に捉われず、もっと自由なスタイルのライブハウスを。経営者となった尾方さんは、そんな理想を次々と現実にしていく。
〈下北沢440〉と〈BAR?CCO〉。この街に、もっと自由に音楽を楽しめる場所を。
2002年には真上の1Fにオープンカフェテラスが目印のライブカフェ&バー〈下北沢440〉をオープン。この店名も楽器の調律などに標準的に用いられる基準のピッチ「A=440Hz」に由来しており、アコースティックや弾き語りの生音ステージをフード、ドリンクとともに楽しめる空間として親しまれている。
「〈下北沢440〉を作った時は、同じく下北沢が拠点のインディーズレーベル〈UKプロジェクト〉の創業者、藤井淳さんに憂歌団の木村充揮さんをブッキングして頂いたりと、色々お世話になりました。藤井さんもそのあと〈風知空知〉という人気店を立ち上げたわけですが、そういう横のつながりで協力し合えるような空気感って、下北沢ならではと思うんですよ。僕も〈FEVER〉の立ち上げに携わったりしていますしね。
〈下北沢440〉のオープンウィークは忌野清志郎さんにも出演してもらいました。そのときのエピソードがあって、清志郎さんがバーカウンターでビールを注文したら、その時接客したスタッフが清志郎さんに〝500円になります〟って言ったそうなんですよ。ライブハウスではライブハウスがブッキングして出演してもらうミュージシャンにはドリンクを無料で出すのが通例で、ましてや清志郎さんにドリンク代を要求するのは大胆な話なんだけど、逆に清志郎さんはそのフラットな感じを気に入ってくれた。
そんな感じで、誰に対してもオープンに、分け隔てなく接するというのは〈下北沢440〉のひとつのコンセプトなんです」
その後、2007年にはライブバー〈BAR?CCO〉もオープンさせる。
「〈BAR?CCO〉は元々スペイン風のバルとライブを融合させた空間を作りたくて計画したんだけど、お店の場所が地下なのでバルというほどオープンな感じでもない。それで真ん中にハテナマークを入れたんです。
ここは他の2つのライブハウスに加えると少し緩い感じで、ライブと食事、お酒をゆったり楽しんでほしいというコンセプトですが、コロナ禍になる少し前からウチでやりたいミュージシャンがいればスケジューリングするけど、基本的にこちらからはブッキングせず、月の半分くらいはバー営業をする感じにシフトしているんです。だから気がつけば下北沢の音楽関係者のたまり場みたいになっています。
ライブがある日でも終演後は表の看板の明かりを消すんです。それでも夜中に〝お、やってるじゃん〟なんて常連さんが入ってきちゃう。もう閉めるよ、なんて言っても誰も聞かないから困ったものです(笑)。正直あまり儲かりはしないけど、〈CLUB251〉と〈下北沢440〉があるからここに通ってくれるお客さんも多い。そういう店があるもこの街らしいじゃないですか」
どんなに街の開発が進んでも、音楽の街〝下北沢らしさ〟は変わらない。
下北沢に縁の深いミュージシャン・金子マリは〈下北沢440〉のステージに毎月定期的に立っている。
「マリさんはオープンからずっと出てくださっているし、数年前に僕の地元である熊本・人吉が豪雨被害を受けた際に復興支援ライブを行った時も息子さん共々募金をしてくれたりと、本当にお世話になっているんです。言うなれば下北沢カルチャーの生き字引的存在なのですが、気さくにお付き合いできるのはすごくありがたいなと思っています。
再開発やら何やらいろいろあって街は変化しても、そういうローカリズムというか、人同士の深いつながりはずっと変わらない。今の下北沢は新しい店がどんどん増えているように感じるけど、古い居酒屋もしっかり残っていて、そこに若い子が惹かれて入っていく。街の歴史ってそうやって受け継がれるんですよね」
現在10軒以上ある下北沢界隈のライブハウスだが、決して競合するのではなく、いい具合に共存することで「音楽の街」を形作っているようにも感じられる。
「それはあるでしょうね。街にライブハウスがポツンと一軒あるよりも、何軒かあった方が確実にシーンは盛り上がるじゃないですか。下北沢は昔から商店街の結びつきが強く、商店街の皆さんが僕たち音楽関係者に協力的なこともありますが、狭いエリアにこれだけライブハウスが密集している地域は日本でここだけなわけで、時代が変わっても〝音〟を求めてみんな下北沢に来てくれるって改めてすごいことだなって。
駅前も再開発が進んでいるけど、どんなに新しくなっても〝下北沢らしさ〟が保たれているのは毎日肌で感じている部分。それは素直にいいことだと思うし、僕らの〈CLUB251〉も〈下北沢440〉も〈BAR?CCO〉も基本の部分は変えず、時代に合わせて面白いことにチャレンジしていこうと考えています」
尾方茂樹さん
●おがた・しげき 1990年にロックバンドGENのギタリストとしてメジャーデビュー。1993年からライブハウス〈CLUB251〉のスタッフとなり、1997年にはROBOTSでもデビューし、店長を経て運営会社COTOCの代表取締役に。系列店〈下北沢440〉、〈BAR?CCO〉も手掛けた。音楽活動も並行して行っている。
【CLUB251】
東京都世田谷区代沢5-29-15 SYビルB1F
TEL 03-5481-4141
www.club251.com
【下北沢440】(four forty)
東京都世田谷区代沢5-29-15 SYビル1F
TEL 03-3422-9440
http://440.tokyo
【BAR?CCO】
東京都世田谷区代沢5-32-10 ラパシオン下北沢B1F
TEL 03-3414-2444
www.cotoc.co.jp
写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社)
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