街のさまざまな個性を、アートで繋げたら。三年目を迎える「ムーンアートナイト下北沢」のこれまでとこれから【前編】
ここ数年、9月になると下北沢には大きな「月」が浮かびます。下北沢で街歩きをしながら作品を楽しむことのできる「ムーンアートナイト下北沢」は2022年に初めて開催され、昨年は約40万人が来場。約2週間の会期中には、シンボル的作品である「月」と「ウサギ」のパブリックアートを始めとする作品の展示、コラボ店舗での限定メニューの提供、NFTスタンプラリーなど、多様なコンテンツが企画されています。
とはいえ、なぜ下北沢に月が?ウサギが?そもそもなぜ、下北沢でアートイベントが?よくよく考えると、実は知らないことばかり。
そこで、3年目の開催を目前に控え、下北線路街でギャラリー「SRR Project Space」を運営するスタートバーン株式会社の加藤杏奈さんと、小田急電鉄株式会社エリア事業創造部の向井隆昭さんのお二人に、下北沢で月をテーマにした都市型アートイベントが企画されるようになった経緯を伺いました(聞き手:散歩社代表・内沼晋太郎)。
「ムーンアートナイト」の、”はじまりのはじまり”
内沼:それでは改めて、本日はよろしくお願いします。まずは「ムーンアートナイト下北沢」がどのように企画されたのか、から始めましょうか。
向井:アートイベント自体は2022年に初開催していて、 その構想自体は2021年頃からスタートバーンさんと一緒に考え始めていました。…でも、そもそもの話ということになると、下北線路街がまだ出来上がっていなかった頃にあった、アートギャラリーを作ろうという計画にも遡る気がしていて。
当時、小田急で下北沢線路跡地のプロジェクトを統括していた課長の橋本と、スタートバーン代表の施井さんを引き合わせたのはたしか内沼さんだったんですよね?
内沼:そうですね。下北線路街の計画当初に、橋本さんから「線路街にアートギャラリーを作りたいのだけど、入居できそうな人いないですかね」といった話を聞いていて。その時点で、ギャラリーを作った上でゆくゆくはアートイベント的なこともやりたい、というイメージが橋本さんの中にはあったようです。
そのとき僕が思いついたのが、スタートバーン代表の施井泰平さん。本当に古い付き合いなので、僕はタイヘイ君と呼んでいるんですけど。当時、『富士山展』といったアーティストのキュレーションや展示企画を既にしていたので、リアルな場所を構えるのにもひょっとしたら興味があるかもな、と思ったんです。それで「こういう話があるんだけど」と話したら、興味を持ってくれたので、橋本さんに引き合わせて…という感じですね。結構、トントンと話が進んでいきました。
加藤:当時、代表(編集注:施井さん)はSRR Project spaceの開設を社長案件として秘密裏に進めていたようで。多分、社内から反対されるのがわかっていたからでしょうね(笑)。
向井:私は当時、SRR Project spaceの担当ではなく、下北線路街の中で唯一スタートバーンさんとの関わりがなかったのですが、加藤さんはいつからアートギャラリーの計画に参加されたんですか?
加藤:私は、BONUS TRACKでツバメアーキテクツさんに物件の模型を見せてもらったタイミングです。でもその当時は「すごくシークレットな案件で、実現するかどうかもまだ分からない。けど面白そうだから話を聞きに行こう」みたいに聞いていました。
内沼:まだスタートバーンさん社内でもシークレットだったんですね。
加藤:実現するかどうか分からないと言いながらも、スイスの建築事務所に勤務していたメンバーと、すごく乗り気になりながら「ここにHDMIケーブルを入れてください」みたいな具体的なリクエストを模型を見ながら提案させてもらったりして。それが本当に借りることになるとは…って感じです。
内沼:それを経て、2022年に「SRR Project Space」が線路街にオープンしたわけですね。
加藤:そうです。私自身は、大学院時代からずっと下北沢に住んでいたので「東京で一番知ってる街にギャラリーができる!」という驚きもあり、嬉しかったのを覚えています。
アートなら、下北沢のコミュニティの垣根を越えられる
内沼:ギャラリースペースを作る話と、アートイベントを実施する話は、先ほどもお話ししたように、要は最初からセットだったんですよね。小田急さんとしては、アートイベントの構想に関してはどんな背景があったんでしょうか。
向井:下北沢自体は、ギャラリーが多かったり、リリー・フランキーさんによるモニュメントがあったり…、もともとアートの要素がすでに多くありますよね。あと、下北沢一番街商店街はシャッターにペイントが施されているように、だいぶ昔ですけど、シャッターアートによって防犯を高めつつ地域を活性化する、という下北沢の街としての取り組みが注目されていた時期もあったんです。
一方で、音楽祭や演劇祭、映画祭といった街ぐるみの文化的なイベントは様々に根付いているんですけど、 街ぐるみのアートイベントとなると、これまでなかったと思うんです。なので、アートなら既存の街とも共存できるし、下北沢がもっと面白くなるよねと、社内で話していました。
もう一つは、アートならコミュニティの垣根を越えられるんじゃないかと。そこがまた個性でもあるんですが、音楽は音楽、演劇は演劇、映画は映画、飲食は飲食…のように、下北沢はジャンル同士の交わりが意外と少なく、横断する催しは多くないんです。それがアートによって、かつ何か共通のテーマをつくることができれば、いままで交わらなかった多様なジャンルが繋がっていくこともあるんじゃないかという考えもありました。
内沼:なるほど、アートならジャンルを繋ぐことができるかもしれないと。
向井:すでにあるコミュニティ同士も緩やかに繋げて、新しい何かが生まれていくような支援は、下北線路街の思想と相性が良さそうだと考えました。下北線路街がほかの開発と違う点はやはり、地域を軸にした支援型開発であること。施設の開業はゴールではなくて、まちづくりのスタート地点。
線路を開発した後、どうやって地域と一緒に催しや活動に取り組もうか考えていくなかで、アートイベントが地域やアーティストの支援に繋がるのではと思い、トライしてみようという考えがありました。
街との関わりしろを生んだ「月」というモチーフ
内沼:向井さんが話してくださったような内容を受けて、スタートバーン側はどういった受け止め方をし、「ムーンアートナイト」という企画に落としこんだんでしょうか?
加藤:代表の施井が毎年1月に「富士山展」という展覧会を企画していたこともあり、「それなら、次は月だ」と言い出して(笑)。それがきっかけで、ムーンアートナイトが始まりました。
内沼:小田急さんの持っていた「街ぐるみで何かやりましょう」という思いに共感をした上で、みんなが来たくなる題材として、「月はどうだろう」となったわけですね。
加藤:そうですね。月であれば、街に愛されるシンボルが作れるんじゃないかという話から始まりました。あとは、20-30代のカップル層が行きたいと思ってくれるようなイベントにするのがいいのではないかという議論になり、当時スタートバーンに在籍していたインターンのメンバーに徹底的にヒアリングをしました。その結果、地元の人にも親しみを持ってもらえるようなロマンチックな作品だったり、見ていて楽しいと感じる作品を選んでいこうと。
向井:月は和歌にも題材として詠まれたり、昔から親しまれている対象であるのと同時に、宇宙旅行や最先端技術といった、テクノロジーのイメージもある。そういった時間軸の広さが、新旧の魅力が融合した下北沢の街と相性がいいんじゃないかと当時話していましたね。
あと個人的には、下北沢は低層の建物が多い街なので、歩いていても空が見えている時間が長いなと感じていて。中秋の名月の時期に、街のみんなで空を見上げるようなイベントができたら"エモいなぁ"と思っていました。
内沼:本当にそうですね。もう一つすごく重要だと思ったのは、「月」というモチーフはみんなを巻き込みやすいということ。さっき、ジャンルを横断する話がありましたけれど、究極どんな料理でも卵を乗せれば「月見〇〇」ということができる。そうすれば、どんな飲食店でもコラボできますよね。
しょうもない話に聞こえるかもしれないけれど、ミュージシャン、 アーティストに、演劇、飲食店…誰を巻き込むにしても、そういった関わりしろや、簡単な入口で誰でもどこからでも関係できる良さが「月」というテーマには含まれていると思うんです。
加藤:実は施井が「月」というモチーフを考案した際、今みなさんが言われていたこととまったく同じことを言っていたんです。月というテーマなら商店街の店舗もコラボしやすく、 飲み物を黄色くしただけでも”お月見レモンサワー”などということもできるよね、とか。あと当時は、実業家・前澤友作さんの宇宙旅行が話題になったタイミングで、みんなが宇宙や月に関心の高かった時期でもありました。
一方で、アート畑出身の私としては「これでいいのか?」という気持ちがあったのも事実です。横浜トリエンナーレしかり、海外のビエンナーレしかり、どれもアートイベントはその時々で社会を見つめたテーマを設定しています。一方こちらは”月”というモチーフ縛り。でも「ムーンアートナイトにします」と決まった瞬間、自分のマインドを変えて、全く新しいものを作らないといけないんだと姿勢を改めました。
内沼:そうですよね。美術展やアートフェアをやるときにモチーフが縛られていると、通常やれることが狭くなってしまいますし
加藤:そうなんです。なので初年度は難しいテーマだなと思っていたのですが、二年目くらいからは、施井の予想通り地域の方々が積極的にコラボしてくれるようになり、これでよかったんだという気持ちになっていました。
向井:当初から、我々は月というテーマが腑に落ちていたので、そこの温度感が生まれていたのはちょっと面白いですね。
加藤:あと、タイトルもすごく吟味しまして。橋本さんとも何回もお話しさせていただいたんですけど、 「アート」をタイトルに入れるか入れないか、またまったく別のタイトル案も色々ありまして。 それも、最後まで意見が分かれたところでした。
内沼:なぜ議論に?
加藤:「アート」と言っちゃうと「これはアートなのか?」というあまり建設的でない議論が発生するのではないかということを危惧しました。いわゆるビエンナーレ等のアートフェスティバルとは全く違う形になるであろうことは最初からわかっていたので、我々が思っているところの外で、定義を言い争うようなディスカッションになることを避けたい意図がありました。
内沼:なるほど、月見メニューやレモンサワーみたいなこともやろうとすると、アートの範疇じゃなくなりますもんね。いろんな人と関わって行うことが目的のイベントでもあるからこそ、スタートバーンさんは「アート」という言葉を持ってくるところに抵抗を感じていたんですね。
加藤:そうです。最終的にどうやって決めたのかを改めて思い出してみると、ビジュアルをご担当いただいてるデザイナーさんの一言が決め手で。「”アート”を入れたほうがムーン/アート/ナイトで語呂が良くなりますよ」と言われたんです。
内沼:最終的には語感が優先されたんですね。
加藤:そうです(笑)。でも今では、思い切って「アート」を入れてよかったと思います。アートの裾野を広げるという意味で、良いイベントになっていると思います。
<後編へ続く>
執筆:ヤマグチナナコ/撮影:村上大輔/編集:木村 俊介(散歩社)