帰国記念特別寄稿 #1「波乱万丈帰国物語」
ニューヨークのラガーディア空港朝6時。
日本へ向かうデトロイト行き6時発の飛行機が7時に遅延になった。え? ちょっとした嫌な予感が見事に的中した。その後、7時が8時に。羽田へ向かうデトロイト発の便は確か10時過ぎだ。セントラルタイムと東海岸タイムの差はあれど、フライト時間がニューヨークからデトロイト2時間弱ということを考えると、乗り継ぎはマジで危ない。
見るとゲート前の地上係員はテンパっている。なぜなら30人を超えるすごい圧の乗客たちが僕と同じような事情を抱えてのことだろう、列をなしながら地団駄を踏んでいたからだ。
アメリカで昔、旅行代理店を興してその社長をやってたSenriマネージャーKayへすぐさまメッセンジャーを送ると、
「あ、確実に荷物は乗らないパターンですね。ゲートはだめか? ならばラウンジに戻って正直に問題を話されてみて。別便だ。幸運を祈る!」
と回答が来る。
こういう時日本人同士だと普通「私がもし良かったら係員と話してみましょう。」とか「ラウンジに行ったらお電話ください。お役に立てるかもしれないので。」とか言ってくれるかもだが、在米40年のKayはアメリカWAYで、ただ「ご自身で行かれてみてはどうですか?」と誠実に提言してくれたわけだ。
よし。
僕は足早に手荷物を抱え、さっきいたラウンジへ逆戻りし、2階のカウンターへ。ハーハー息せき切る僕に担当のアジア系女性はこう言ってすぐにキーパンチを始めた。
「わかりました。うーん。えーと。うーむ。」
隣の女性や他の部署にいた男性が、ただならぬ気配に集まってきた。
「別便でとれそう?」
「アトランタ経由は?」
「ダメよこれじゃ。乗り継げない。」
「ダラスは?」
「ダメダメ。全然ダメ。」
「元々の便は機材トラブルでしょ?」
「みたいね。うーむ。」
祈るような気持ちで待つ。
そして賽は投げられた。
「ミネアポリス経由。アメリカ国内は最初の予定のファーストクラスがエコノミーの3人がけの真ん中になるけれどいいかしら? ミネアポリスから羽田まではちゃんと元どおりのクラスが1Aでとれてます。」
もうno choice、というより素晴らしいではないか?
「全然いいです。わー、ありがとう。」
と満面笑みで返した。
「オッケー。」
アジア系の彼女がその時女神に見えた。
「走らなくても大丈夫だから。逆に時間に余裕ができたわけだから、ラウンジ内で一杯コーヒーでも飲んでから行けばいいのでは?」
走ったほうがいいですか? と息せく僕に彼女はそう言ってクールダウンさせてくれた。
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日本に着いてから神戸へ行った。横尾忠則さんの美術館で、今やっている展示会の最終日に、展示された絵に触発されながら僕がグランドピアノで演奏をするという企画の撮影のためだ。
撮影前日、現場へ即興演奏のイメージを膨らませるために展示会を見学に行った。横尾氏とは面識こそないけれど、僕の憧れのアーティストでありその溢れ出るパワーを今回のテーマ「Forrest in Soul」から得て僕は、
「落ち着け落ち着け。緊張するな。」
と自分を戒めた。
翌日の撮影当日、現場に入り監督と話をする。撮影時間は2時間。その間に素材を撮りきる。
「3回まわします。同じことをやっていただければ編集でつなぎますので。」
そういう監督に、
「あ、でも毎回、即興なので、絵にもらった何かでその場でその場で一期一会の演奏になるので、、、、。」
と僕は答える。言葉で言っても伝わらない。そう思い、その演奏の感じをそのままピアノでやってみた。もし同じ曲を3回ということであればヘッドのモチーフのある自分の曲を繰り返し演奏することもできるので、「AKIUTA」をオプションで提案し弾いてみる。即興か秋唄か。果てして?
にわかに現場は色めきだつ。こっちもいける、でもあっちも捨てがたい。そんな思いは僕を囲むスタッフから痛いほど伝わってきた。でもそれは僕がどーこーいうものではないので「選んでください」とピアノ椅子に座り深呼吸をした。
「じゃあ、やっぱり即興で行きましょう。」
監督はそう言って、
「2回、即興を撮影して、音源はそのどちらかを選びましょう。そして3回目は手持ちカメラでピアノの周りをぐるぐる回って挿入カットを撮影します。」
「いいですね。」
僕はニコッと微笑んだ。即興の方がきっといい。
「横尾さんの『Forrest』の展示会場へ入っていく導入部分だけ別カットで撮影させて下さい。その導線をまずやります。」
そう言って床に書いた矢印に沿ってピアノの前まで歩いて行って座るまでの数秒の動きを撮影した。そして、いざ演奏部分の撮影の始まり。
「一番大きな照明がオンになる。それが合図です。そこから10秒、ご自身のタイムで勘定されてからいちばんSenriさんがいいタイミングで演奏を始められてください。」
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撮影が無事に終了してからいざ神戸空港へ。横尾美術館のこの企画をやっている担当の方、9月2日に演奏させてもらう兵庫のホールの担当の方、ルネッサンスクラシックスの方、そして僕とで空港で飛行機と海を眺めながら登場のまでの時間を共にする。みんな僕の時間つぶしに付き合ってくれた。
「6時のboarding timeですからあと15分ゆっくりできますね?」
そういえばいつだったか三ノ宮のライブハウス「チキンジョージ」に、その頃映画「能登の花嫁」の音楽をやった関係で白羽監督が田中康夫氏を連れて来られてステージインして「空港建設反対」を唱えられた。その時の空港がこれかー。僕は内心当時感じた心の葛藤やいろんな思いを反芻しつつ、目の前の海の波しぶきや浮かぶヨットやタンカーや空の飛行機をレストランの窓越しに眺めた。これから始まるツアー、そして北海道へ思いを馳せて。
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千歳空港にはWESS(地元のイベンター)の方が迎えにきてくれた。駐車場まで一緒に歩く。
「すみませんね、歩かせちゃって。」
「とんでもない。」
大きなバンに運転してくれる彼と僕二人だけ。本当はビッグバンドか大所帯のバンドが使う車なのだろう。バンはいくつかのバンプをゆっくり越えると札幌へ向けて出発した。
時差ボケで何度もコックリしつつ札幌と自分の今までの歴史を何度も思い出しながら、また時差ボケでコックリする。20人乗りの大きなバンなのに荷物を2人掛けの席にでーんと置いて、自分は1人掛けにちんまり座ってフロントガラス越しに、
「あ、広島区かな? もうすぐかな。」
とか思ってまた眠る。
ホテルに到着後一人で街へ繰り出してSNS用の写真を撮影してから山岡家へ。ネギやモヤシがいっぱい載ってるニンニクの効いたうまいやつだ。この夜はこれにて終了。さすがに夜中3時に起きてローソンで梅握りを買って部屋で食べたことは心の中だけに留めておこう。
翌日ベニューに着くと関わっているスタッフの人たちが最大限のリスペクトと理解で僕を支えてくれた。ベニューのピアノは指を落とすと「あ、これは沢山のポップスの演奏者が弾いてきたものだ」とすぐにわかる音をしていた。それがいい悪いではなく僕はジャズなのでどうしよう、どういう弾き方をすればいいのだろう、そこからリハの苦悩は始まった。
東京からやってきたレーベルのプロデユーサー蒔田氏が、
「Senriさんはチョップしない。頑張りすぎない。ただ優しく小さな音で弾いてください。それくらいがちょうどいい。」
と提案した。ポップスのピアニストが弾いてきたピアノと言うのは中音域の音がものすごく開いていて若干薄くて突き刺すような感じがする。それをベニューのPAの方が一生懸命様々なマイクで拾って加工して拡声させ、ジャズの音へとアプローチを向ける。
「そういえば、2015年ジムとヤシーンとでこのベニューに来たときも音のことは同じ印象を持ったよ。でも演奏家は楽器を選べないんでね。このピアノとどう絡んでいくかを見出さなければいけない。」
一期一会で出会った楽器と二人三脚をする、どこらへんで足を結んで肩を組むかが問題だ。このベニューで僕を助けてくれてる照明や音響やすべてのスタッフが、ものすごくいいエネルギーを発してそんなステージ上の僕を見守った。
小さな音での演奏に慣れてくる。だんだん指と鍵盤が寄り添い始めた。
「盛り上がってSenriさんがチョップするのはそれはもう構いませんよ。でも特に前半戦、お客様の耳がまだ慣れてない間は注意深く弾いてください。」
うん、レーベルのプロデユーサー蒔田氏のその言葉に僕は深く頷いた。
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シアトルの友人からいなり寿司の差し入れがあったり、みんなで(と入っても蒔田氏と僕の日本での窓口でありマネジャーである「にいな」と僕だけだが)それをつまんだり、にいなはパソコンと格闘して、ニューヨークからスーツケースに入れてきた「Class of '88迷彩バンダナ」をロビーで売るべくポスターを作ってくれている。だんだん本番が近づいてくる。
気がつけば10分前。
Wessの担当の方が、
「on timeで行きます。」
と僕に告げる。この時すでににいなはロビーにいて、蒔田氏は会場へ。楽屋に一人いた僕は、
「はい!」
と答える。なかなか日米どこでもこんな風にOn Timeでの始まりはない。
「いいっすね。」
僕はステージ脇に降りて行く。舞台監督がこう言う。
「照明が点きます。そうしたらSenriさんのタイミングでステージへ。」
「オッケー。」
その後の記憶はもうない。時間をかければまたちょっとずつ細部を思い出すだろう。だが、素晴らしいあの濃縮の時間をオーデインエンスのみんなと過ごした。初日は大成功、清々しい気持ちで幕をおろした。
直前ににいなが「初日なんで。」と確信犯的な目で僕を顔を覗き込んで僕も「だよね。」なんて答えた記憶がある。結局120分越えだ。本当は90分なのに。笑。これをホールでやったら「出入り禁止」だ。
「初日なんで。」
「だよね。」
きっとファンの人たちも同じ気持ちだったんじゃないかな、と思う。
帰路の飛行機から久しぶりに東京をゆっくり眺めた。空からでも変化を楽しめる。と思ったらガツンと着陸だ。ぼーっとしてると置いてきぼりになる。時間は加速し始めた。さあ、一瞬一瞬をめちゃくちゃ楽しまないでどうする!
心で呟いた。
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夜4時に目が覚めた。
ぱち。ホテルの外へ出てコンビニで1本だけカベルネを買った。そばでワゴンにおそらく今日の撮影に使う衣装をハンガーに掛けて積み込むスタイリストの人たちとすれ違った。「あ、大江千里?」おそらく世代なのだろう。
僕は朧な月をGPSにしながら進む。
文・写真 大江千里 ©︎ Senri Oe, PND Records 2023
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