ブルックリン物語 #02 ポジティブで行こう "Accentuate the Positive"
アメリカに来た時にまず不安に思ったこと。
それは「飯(メシ)」。
僕は死ぬほど和食が好き。それに加え、”東京イタリアン”と言われる、和の要素を取り入れた繊細な味付けのイタリア料理が好きである。
果たしてハンバーガーなどの肉食を中心とする濃い味付けの国で、「食」に関してストレスを感じないで生きていけるのであろうか。
食べるということは根源的なことであり、そこに不安があるとつらい。
大学に入学してまず気づいたのが、みんな授業中に物を食べること。
「食べてはいけない」と一応要項には書かれてあって、先生も注意はする。
しかし、あくまでアメリカは「自己選択」の国。気がつくと後ろの席で足を組んでサンドウィッチを頬張りながら堂々と先生に、
「マリア・シュナイダーってどの曲も同じに聴こえるのですけれど何が素晴らしいのですか?」
とか、
「ジョン・レジェンドって大したことないと思います」
なんて、自信たっぷりにもぐもぐ言われちゃった日には、そのあまりの大胆不敵な行為に驚き、拒絶感を覚え、心の奥底で少しだけその大味なストレートさに憧れたりもした。
食べたら食べっぱなし。教室の机に置きっ放し。掃除をする人を授業料でやとっているわけだから、「彼らの仕事を奪っちゃいけない」という考え方もあるわけだが、でも、それってどうなの? って思う。
教室で、ロビーで、廊下で、トイレで、非常階段で、カフェで、あちこちに散乱した「若気の傲慢」の屑を見やりながら、「ここで僕はやっていけるのだろうか」とため息をついた。
不思議なもので、そこらへんのビヘイバー(行い)に対し、細かなニュアンスを分かち合える生徒同士が国籍や肌の色に関係なく仲良くなる。
僕の場合、最初に通じ合えたのはイスラエル人のロータム。彼は物静かな青年で、学校の近くにあるベーグル屋で毎日挟む具の相談をしながら笑い、足を組み、カフェの外の席でわずかな時間を分け合った。
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