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大江千里のジャズ案内"ジャズって素敵 Vol.5"の日がやってきました!!

こんにちは、ぴーすです。
4月の「ジャズって素敵!」の日がやってきました。なんともう5回目です。
ギョーカイでは、「#ふてほど」とか「#ふてはれ」とか、4文字に略せるといいって言われていますが、「大江千里のジャズ案内 ジャズって素敵! 」はどう4文字にしたらいいでしょう?  みなさまのお知恵を拝借したい今日この頃です。

過去のエッセイはこちらから。

今月のタイトルは「いろんなミュージシャンの心の中にあるジャズ」です。
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「いろんなミュージシャンの心の中にあるジャズ」

ジャズにも大きな影響を受けた世代

僕がNYの音大に入学する少し前、ギタリストの佐橋佳幸さんに東京で偶然遭遇しました。実は佐橋さんのプロとしてのデビュー作は、僕の3枚目のアルバム『未成年』の中に収録されている「もう一度 X’mas」なんです。何かと縁がある彼とはその頃から音楽家同士の付き合いがあります。
「千里くんがジャズをやりにNYへ行くことを聞いて、羨ましいなあと思ったんだよ」
佐橋さんはそう切り出しました。僕は渡米直前でその準備で忙しくて心に余裕もなく、じっと彼の話を立ち話で聞きました。
「僕も一度きちんとそうやってジャズを学びたいっていつも思うんだ。でもそれはなかなかできない。だから千里くんの決断はすごいなって思うよ」
その後握手して、お互いに元気でと言って別れました。同時に手を振った後に熱い想いが立ち上がってきたのを今でも覚えています。
アメリカへ本当に渡るんだということを「現実として実感」した瞬間でもあったんですね、この会話が。もう日本のシーンに戻れない戻らない、この先の人生はまずジャズを学ぶということだけしか思い浮かばなかった。そしてその先が全くの真っ白だったことを、つい昨日のように思い出すのです。

話は変わりますが、アメリカの東海岸に住んでいると、仕事で西海岸に行くことがあります。僕の80年代のツアーバンドの鍵盤奏者だった、アレンジャー・作曲家としても大活躍の松本晃彦さん。彼は伯父さんがジャズサックス奏者の松本英彦氏なのですが、ある日Facebookで会いたいとメッセージをもらったのです。僕がNYに移住してからすぐのこと。彼も実はその頃西海岸に移住していたのです。
たまたまLAに行く機会があったのでイタリアン料理を一緒に食べたのですが、アメリカで音楽活動を精力的にやっていました。映像の仕事にチャレンジしていると目を輝かせていたのが印象的でした。彼の作っている音を聴かせてもらったのですが、いろんな音楽の要素が混じり合ってとても魅力的なものでした。

佐橋さんや松本さん、共に僕より少し若い世代のミュージシャンやアレンジャー。ざっくりと“僕らの世代”という括りで語らせてもらうと、アメリカの音楽に多大な影響を受けて育ち、ロックやポップス同様、ジャズにも大きな刺激を受けてミュージシャンになったのは言うまでもありません。だからジャズというのは、それぞれの心の中にどんな形であれいつも存在する、桃源郷のような大切な場所なのです。
日本で引く手数多で次から次へとビッグネームの音楽家たちと日本中を駆け回る佐橋さん。アメリカのエージェントに所属して活動をアメリカに移して頑張る松本さん。ともに心の中にある自分が大好きな音楽への純粋な憧れを持ちながら、それぞれの場所で切磋琢磨していて、格好いいなと思います。そんな彼らとの会話でジャズが見え隠れするのがとても楽しいのです。

本当にジャズって知れば知るほど奥が深くてポップス同様にキラキラしています。歴史をたどるのも楽しいし、背景を知らなくても音楽だけをSpotifyのプレイリストで聴くのもワクワクするし、理論や聴音、リハーモニゼーションにモードなど、学ぶことがいっぱいで一生かかっても終わらないくらいの冒険があります。
そんなジャズ山を先に登っている人が今から登ろうとする人に「おーい」って声をかける、この連載はそんなノリですね。皆さんも「おーい」って声を掛け返してください。

坂本龍一との出会い

坂本龍一さんとニューヨークの某所でバッタリお会いしたことがあります。2020年、新型コロナのまっただなかだったと思います。亡くなられる3年ほど前のことです。今となってそれは僕にとって貴重な思い出となっています。坂本さんとジャズの話をしたのです。

僕は大村憲司さんプロデュースのアルバム『WAKU WAKU』で1983年にポップスのシンガーソングライターとしてデビューをしました。憲司さんが坂本さんと音楽活動を一緒にして親しかったこともあり、NHKのラジオ番組「サウンドストリート」に、憲司さんと一緒にお邪魔したのが坂本さんとの最初の出会いになります。

その後「月刊カドカワ」全盛期の80年代の終わりに、「カドカワの人に電話番号を聞いたんだ」と、僕の自宅に電話をいただきました。薬師丸ひろ子さんに提供する曲の歌詞を僕に書いて欲しいという発注でした。その曲は「ふたりの宇宙」という楽曲になりました。

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つづきはこちらから↓ 読んでね ! (ぴ・時空を超えて)


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