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日曜日はサンドイッチを食べに行く。

MTA(地下鉄)の車両一面が全面的に広告になることがある。

本当に見事な全体感で、それぞれの細部を割ってドアを挟んで続くと大きな一面の全体で1つの絵になるようなアイデアも見たことがある。大胆。

いったい何の広告だろう。そう頭に「はてな?」が残るものも結構ある。インパクトと実際の広告効果は得てして比例はしない。

これは切実 今一番大事なこと

「あなたが住んでいる場所の不動産の値段が的確かどうかを入力するとすぐにわかるサイトです。」とか。「今までの健康保険のどれとも違う新しいコンセプトの保険がクリック一つで簡単に手続きができます。」とか。「どんな家具の査定も簡単。持ち込まなくてもピックアップします」とか。

何度も読んで考える

これでのせられてその場で家具のサイトを登録したらものすごい勢いでそこからジャンクメールが来たことがあり、慌てて解約した経験がある。この前登録したメイン州のサイトからも毎日電話が鳴る。

ま、一長一短なのだが、車内は個人が接近して最も個人を感じる場所でもあるので、インパクトはある。乗ってる時間、この街の小さな物語に触れることができるからだ。

これ全部フェルトだよ
パパが2人!いいね!

「SEAMLESS」と言うUber Eats的なシステムの宣伝は随分長いことやってた。それがめちゃくちゃ自分の生活を見てたんじゃないかと言うくらいニューヨークの日常や現実を捉えてて思わず「くす」と笑ってしまうもの。

わかり良いのも大事だね

この前マンハッタンのルーズベルトホテルの前を通ったんだけれど、ホテルが全部、アダム市長が受け入れた不法移民のための宿舎と化していた。あんなに古き良きニューヨークの時代を残した風格ある建物が、僕がよく行くスーツ屋さんがだけが開店してて、それ以外の部分はホテルのエントランスから全て、閉鎖されてて、NYPDのオフィサーが立って厳重に移民たちの出入りを見張っている状態だった。

あちこちに火種が撒かれる

見上げるとあらためて威風堂々としたいいホテルだ。前にこのホテルのスイートルームを貸し切って「Jazz Times」と言う老舗の雑誌のインタビューをやらせてもらったことがあるけれど、その最上階の部屋の外に張り出したバルコニーとかは、外から見る限りそのままで、あの部屋は今、いったい誰が使っているんだろう、ふとそんな下世話な思いが頭をよぎる。

歩かなければ知ることもできなかった

今やニューヨークで部屋を借りるには1ルームが日本円で考えると安くても20〜50万くらいはするので、みんなどうやってこの状況で家賃を支払えて暮らしているのだろうとふと思う。僕は14、5年くらいずっとお世話になってる大家ジョーが今のところ値上げをせずに現状維持で住ませてくれてる。でも「ここを追い出されたら?」と不安になることは度々ある。

僕らには守り神がいるか

このまえ僕の台所と勝手に名付けている大好きなイタリアンへ行ってきた。1ブロックほど近づいて妙に嫌な予感がした。シャッターが降りていたのだ。慌ててネットで調べてみたら去年の暮れで店を閉めていた。そして僕のようなこの店の大ファンのお客さんが、近所のブルックリンの倉庫街に3分の1ほどの場所を提供して6カ月間、次の場所が見つかるまでイタリアンサンドイッチの店をやっていると書いていた。

この裏メニューが楽しめる店だ

MTAに乗って、この店のシェフやサーバーの顔を思い浮かべ、この5年ほどのNYの変遷、激動の歴史の中での戦いが頭の中を駆け巡る。まだぴが生きてて彼女の病院へ必死に通って、おコロでそれこそコロコロ人が亡くなってそんな大変な時期にも、地下鉄では考え、詩を朗読し、友達を思い、いろんな広告を見たなと思う。

スクアッシュのスープ これもよく作ってくれた

そのイタリアンもおコロから復帰して初めてDINING OUTの外席を開いた時、一番乗りで食べに行くと、まだsocial distanceに慣れてない顔見知りの客同士が少し離れた距離から「ひさしぶり」「喋っても大丈夫かな」なんて手を振りながら、恐る恐るオーダーをしたものだ。

あたちも一緒に行きまちたよ  byぴ

あの頃は本気で店も僕も助け合いだから、チップを50%置いたりしてた。だって潰れたら嫌だし、支え合ってるって実感が欲しかったし。でも飲食への想いと生き物の根っこが強いシェフの店だから、太く賢く生き残ったと思ってたのだが、今回は、、、、どうにうもこうにも「家賃の高騰にはもうついていけない」ということだった。しかも元共同経営者が大家だという何とも皮肉な物語が記事には織り込まれてあった。

この店ですよ  byぴ
大好きな食後のコーヒータイム

場所を提供したのはおそらくあの男だなとよく僕も会ってたので察しがつくのだが、本気でおコロの頃からの皺寄せが経済を苦しめているのだなと思った。イタリアンサンドイッチか。僕はいつもメニューにないポモドーロスパゲッテイとミネストローネしか頼まなかったけれど、もっと頼めばよかったな、よし、サンドイッチを近々食べに行こう。

記事にはこうも書いてあった。僕がめちゃくちゃ気になってた従業員の話だ。シェフは語る。

「今の従業員は全員連れて行きます。狭い場所なのでやることも全く変わるけれども僕らは家族です。」

僕が好きなコロンビア人の若い男の子も一緒なんだなとホッとする。本国に残した彼女といつもテレビ電話しててしょっちゅう僕もそれに参加したりしてて、彼女は僕の曲を聴いてくれたりして、ハードウエアストアで休日の彼に会うとその場でも彼女と電話してて、コロンビア経由で彼女が今聴いてた僕の曲を、ブルックリンの2人が聴かせてもらったりして。

お互いによく観察し合うのもニューヨーカー

知らないふりしながらお互いをよく見ているのがニューヨーカーだ。下町的というか、本当に他人の細部をよく覚えているのだ。しかも名前なんて1回会っただけで必ず。でも僕が赤唐辛子が好きで黒胡椒を少しだけかけて粉チーズをまぶして、そんなパターンがあっても、それは変化する。変化しても彼らは気づかない。近所のプエルトリコのオヤジもこれだけ僕が毎朝「僕は日本人だ」って言っても「そうだろ、知ってるよ。ニイハオ!」だもの。この小さな変化をどう捉えるか、シェフのサンドイッチを食べてみたい。

後日談:先にアップしたんですが「大江屋外伝」でこの店に行ってきた。従業員のコロンビア人はクビになってて、フロアのチーフだけが厨房兼フロア。なんとシェフも運んだりして。でも「トマトのパスタとサラダだろ? 作れるよ」って言ってくれて変わらぬ味とサーブの仕方で楽しませてくれた。横では1かけらのピザを買うチップも払う必要のない男の子たちが美味しいピザを頬張ってる。あゝ、早めにこのヒリヒリする戦ってる店を味わいにきた僕は正解だった、と思った。ものすごい勇気と喝が入った。

文・写真 大江千里 (c) Senri Oe, PND Records 2025


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