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ブルックリン物語 #01 良き人生 "The Good Life"

ブルックリンに引っ越してから早いもので5年目に入る。

それまではニュースクール (The New School for Jazz & Contemporary Music in NYC) で同期のドラマー、テップと12丁目のアパートをシェアしていた。

テップが一人暮らしを始めたいと言うのと、僕も自分自身の時間をもっと欲するようになったことで、それじゃあそれぞれの部屋を借りようということになり、春学期の終わりにそれぞれの荷物を出し、僕の分は倉庫に一旦入れた。

2セメスターのみを残した長い長い夏休みを日本で過ごし、そのあとブルックリンハイツのサブレット(家具付き又貸しアパート)にぴと二人転がり込んだ。

一度日本に行く前に仮契約まで行ったユダヤ人オーナーの新築アパートは、よく契約書を見ると「October〜」とある。僕は完全に「August〜」と勘違いしていて、そこに入るつもりで何度も内覧に通っていたのだ。

ところがある日突然、10月からだというレントの始まりにはたと気がついた。老眼のせいとかいうよりも思い込んだら勝手な妄想が広がり、契約書の内容を勝手に変換して事実を塗り替えてしまった自分を呪った。

それから振り出しに戻り「アパート貸します」情報をネットで探し、1日に何軒も見て回る日々が続く。そんな中、シアトルから来たミッシェルというメキシコ系の青年ブローカーに出会った。

「Senriはおそらく音を自由に出せて昼夜関係なく生活できる、所謂(いわゆる)音楽家としての自由なスペースを探しているよね」

ありがたい理解。ノリが合う。

「ちょっと待って。日が暮れるまでにもう一軒見てもいいかな? 僕の知り合いのオーナーがそういうかんじのアパートを持っている。今ちょっと電話してみる。もし大丈夫だったらあと1時間内覧に時間を割けるかな?」

とミッシェルが目を輝かせる。もちろん。こんなに嬉しいことはない。

というわけで今の場所を夕焼けの時間に見て、その場で惚れ込み即決、仮契約、本契約とトントン拍子にことが進み、住処が決まったのだ。

リビングが少し狭いが、ぴと二人で過ごすにはむしろそのほうが便利かもしれない。それにNYでは珍しく部屋の中に洗濯機と乾燥機が常備されていた。これがあれば家で洗濯ができる。冬の寒い夜、サンタクロースのように洗濯物を担いで雪道をとぼとぼ歩かなくて済む。

もうひとつ、ここが一番の魅かれたポイントだが、40畳ほどの大きなウッドデッキがある。これがあればBBQも出来るし、ぴは大喜びだ。案の定引っ越してきて一番先にぴがやったのが大きなデッキでの練り歩きとお昼寝。パパはこの木のデッキの上に冬物の衣類を全部出してお日様の下で天日干しだ。

ブルックリンハイツの宿り木の家からぴと二人、自分たちの新しい住処にやってきた。大家はイタリア系アメリカ人ジョセフ。

「僕も音楽家なんだ。下に住んでるから時々セッションしよう。あ、そうだ。引っ越してきた一夜目は、僕のお爺ちゃんの代から通っているイタリアンレストランへ行くといい。もしよかったら車に乗せて連れて行ってあげるよ」

気がつけば、あの日から4年の月日をとうに越えている。

そして次の夏で5年目に突入。

『僕の家』(KADOKAWA刊/電子書籍として4分冊になっている)という本の中でも書いたのだが、僕には比較的短い期間で引っ越しを繰り返す癖がある。ここに4年もいるのは快挙と言える。なぜか? そう言われてみれば何度か「そろそろ引っ越そうかな」と思ったことはあるにはある。しかし不思議なもので、そういうときに限ってジョセフの手下のホセ(メキシコ人)がドアをおもむろにノックする。

「Senriが前言ってた呼び鈴なんだけどさ、新しく鳴りのいいやつをつけてあげようと思うんだけれど、今日の午後時間をくれないかな」とか、「セントラルヒーティングをもっと効きのいいのに変えてあげようか」とか、心の内側を盗撮されていたかのように手厚く住みやすくアップグレイドしてくれる。

ゴミ箱を管理してるジョセップおじさんさんも、恥ずかしがり屋だけれどとても仕事が丁寧でいい人だ。大家ジョセフは、ブローカーのミッシェルが僕にこのアパートを紹介したときに「俺があいつにはきちんと支払いするからSenriはいっさい払わなくていいよ」と言った。ホセにだってジョセップおじさんにだってチップをいちいち払う必要はない。

しかし、さすがに3年目あたりから心からの感謝を伝えたくて、クリスマスや感謝祭に小さなぽち袋に50ドル札を入れて、ジョセフには内緒で彼らに渡すようになった。

ホセもジョセップおじさんも最初「ええ、そんなのいけないよ」と言いながら受け取るのを拒否する。でも強引に押し付ける僕から半ば強制的に、ぽち袋を手のひらに握らされた。

あれは去年だったか。感謝祭のときに、そうやってジョセップおじさんにぽち袋を渡し、ぴの散歩に出かけた。ヒーグル(ユダヤ人の厳しい戒律を持つ種族)の居住区の中を20分ほど歩きアパートのある通りに戻った。

ゴミ箱の置いてあるエリアを徹底的に掃除をし、最後のゴミ袋を出し終えたジョセップおじさんがふ〜とため息をついて何かを思い出したかのようにポケットから取り出した。それは僕がさっき「受け取ってください」と渡したぽち袋。その中に入っている50ドル札を確認すると、ジョセップおじさんは手を合わして空を見上げ、顔の前で十字を切り深くお辞儀をした。

一部始終を目撃していた僕は胸が熱くなる。居合わせてははいけない瞬間に戻ってきてしまった僕はすかさずぴを抱きかかえ、踵を返しもう一回り散歩を続けた。アメリカに来てから「チップをもらうことが当たり前になっている人たち」が余りに多いことに辟易しつつもそれに慣れ始めていた僕の心に、ジョセップおじさんの行為はキラキラとしていて心に温かいものを通じさせてくれた。

そのジョセップおじさんがこの秋の深まった頃、突然いなくなった。背格好がよく似て体型もそっくりだがおじさんというには若すぎる大男が、ジョセップおじさんの聖地を代わりに掃除し始めた。

今度の男もさくさく手際が良い。が、なんだか物足りない気分でゴミ出しを続け、彼が代打であればいいなと思っていたら、あっという間に2週間が過ぎてしまった。病気か下手したら亡くなってしまったのではと思い始め、心配でしょうがなかった。

感謝祭に渡すぽち袋も用意したのに渡せずじまい。そんなこんなで年を跨いだある寒い朝、見覚えのある背中がゴミ箱を掃除しているのを発見した。

あ、ジョセップおじさんだ。

そう思うと熱いものがこみ上げてきて一瞬駆け寄りそうになったが、僕はいつもと同じようにゆっくりゴミ袋を持って「Good Morning」と彼の背後から声をかけた。

すると、僕の知っているあの懐かしい照れ屋な笑顔で「Good Morning」と答えるおじさんがそこにいた。

こらえきれずに「辞めたのかなと思って寂しい気持ちでいっぱいだったのだよ」と言ったら、おじさんは「ありがとう。妻と一緒に貯めていたお金で長期のバカンスに行っていたのさ」と嬉しそうに目を細めた。

そうか、そうだったのか。

僕は心の底から安堵して、「よかった。また会えて」と思わず言った。おじさんも「うん」と頷いた。

賃貸アパートだと、引っ越しはきっと突然にやってくるものなのかもしれない。それが人生だったりもする。が、少なくとも僕はもうしばらくはこの家で、毎日音楽と食事を作り練習しゴミを出しにここへ降りて来よう。そして「ごめん、このゴミはどれに入れればいい?」とジョセップおじさんに聞く。するとおじさんは優しい顔で「そこに入れておけばいい。あとは僕に任せて」と答えるだろう。

3枚のアルバムを作り、1000に近い数のお皿の食事を平らげてきたこの場所で、今日も階下から響く大家ジョセフのイタリア語とスペイン語の入り混じった歌声を聴きながら、結構これって「良き人生(The Good Life)」かなと思う。

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The Good Life 良き人生 (1963年)

作詞・曲 : Sacha Distel 作詞(英語) : Jack Reardon

フランスのギタリスト、サッシャ・ディステルが1962年に作詞・作曲した「 La Belle Vie (麗しきや人生) 」を、トニー・ベネットが英語でカバーして大ヒット。トニーの代表曲となっている。ビリー・ジョエルもカバーしている。

https://www.youtube.com/watch?v=zJ82mHBtrc8

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47歳。天命を知る目前にして、ポップミュージシャンとしてのキャリアを捨て、愛犬ぴと共にニューヨークへジャズ留学を決めた。

20代のクラスメイトに混ざって授業を受け、地下鉄に乗り、猛練習をし、肩を壊す。4年半のジャズ大学生活(『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』(ブックウォーカー/KADOKAWA刊)は決して楽ではなかった。

卒業後、レコード会社を設立し、オリジナルジャズアルバムをリリース。

東京ジャズフェスティバルにも出演する。

ホームをマンハッタンからブルックリンに移す。海からの風を受け、太陽の光を浴び、仲間と出会い、ジャズの庭を耕す。種を蒔き、水をやり、丁寧に、根気よく。

マンハッタンから地下鉄でほんの10分足らずのブルックリンで。新しい物語が始まる。

毎週木曜日。日々の想い、ジャズの名曲、とっておきの自前レシピ、触れ合う人々などなど、大江千里がブルックリンからジャズライフをデリバリー。

noteのメニューはこんな感じ。

【ブルックリン物語】ブルックリンでの日々雑感を綴ります。★

【続・9th Note ブルックリンでジャズを耕す】『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』(ブックウォーカー/KADOKAWA 刊)の続きになります。

【アミーゴ千里のお悩み相談】アミーゴ千里があなたのお悩みを一緒に考えます。下記のURLからご応募ください。

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Senri Amigo Oe : ブルックリン在住の愉快なピアノマン。2008年に東京からニューヨークにやってきた。日本ではポップミュージシャンだったらしい。NYのジャズ名門大学ニュースクール卒。好物はモレ。料理やパーティも好き。相棒のダックスフント、ピース (通称ぴ)をこよなく愛す。Senri Gardenのオーナーにして、PND Records & Music Publishing のCEO、大江千里の顔も持つ。

【大江屋 OOEYAレシピ】音大生は体が資本と、身も心も癒されるために始めた自炊生活。自己流ですが今はパーティもできるほどの腕前に。とっておきのOOEYAレシピとジャズのBGM付きでご紹介。

【ニューヨーク・スケッチブック】ブルックリン、マンハッタン、東京、アムステルダム、ニューオリンズなど、世界の街から動画、写真、スケッチをアップしていきます。

【今週のアップデート ぴの耳より情報】アップデートした【senri garden 】マガジンのラインナップ、ライブ、リリース、来日、メディア出演など、ぴが耳を裏返して聞いたダディの近況をお知らせします。

【SENRI CAVE】ディスコグラフィ、フィルモグラフィ、ブックリストなど、大江千里の活動を所蔵しました。

“Senri Garden” is the Pleasure as a glass of wine with jazz from Brooklyn by Senri Amigo Oe.

Senri Oe (大江千里)

1960年9月6日生まれ。1983年、関西学院大学在学中にシンガソングライターとしてエピックソニーから「ワラビーぬぎすてて」でデビュー。2007年末までに45枚のシングルと18枚のアルバムを発表。主な作品に「格好悪いふられ方」「ありがとう」「夏の決心」「Rain」「太陽がいっぱい」(光GENJI・提供曲)「すき」(渡辺美里・提供曲)など。音楽以外にも映画、ドラマに出演、NHK「トップランナー」司会のほか、エッセイ、小説も執筆。2008年1月、ジャズピアニストを目指し、ニューヨークのニュースクール(The New School for Jazz & Contemporary Music)に入学、ジャズピアノを専攻する。2012年6月卒業と同時に自ら立ち上げたPND Records & Music Publishingからオリジナルジャズアルバム『Boys Mature Slow』、2013年には『Spooky Hotel』を発表し、いずれもビルボードの日本ジャズチャートで1位を獲得する。2015年には、オリジナルアルバム『Collective Scribble』のほか、4年半に及ぶ留学生活を綴った単行本『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』(ブックウォーカー/KADOKAWA刊)発表する。東京ジャズフェスティバル、ブルーノート、NYの富(トミ)ジャズをはじめ、ニューオリンズ、アムステルダム、フィラデルフィア、ブラジル、ホノルルなど、ライブ、パフォーマンスに精力的に参加している。また、ニューヨークのジャズアーティストの発掘にも乗り出してる。

http://www.peaceneverdie.com

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text & photo & movie by senri oe

edited by k.matsuyama

supported by Sony Music Publishing Inc.

special thanks to tsutomu yamazaki, PND Records & Music Publishing Inc.

©senri oe 2016

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