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プチDAYS「珈琲の香りに誘われて」
いつからだろう? この苦みばしった香りに誘われているのは。
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昔はこの香りが嫌いだった。顆粒の珈琲を飲んでいた昭和の時代の話だ。それがいつの間にか淹れたての香りが漂うだけで、一杯の美味しい珈琲が、、、、飲みたくなる。
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子供の頃、親指を隠して墓の前を通った。あの縁起担ぎのクセをいつしか気にしなくなって久しい。何度かの喪失を経験し、自分も人生の後半に差し掛かり、景色の隅にはいつの間にか、珈琲が湯気を立てているようになる。
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朝ごはんの時、食卓で珈琲を飲む父の顔を怪訝そうに覗き込んだ記憶がある。そのころの僕や妹は甘いミルク紅茶を飲んでいた。だから子供心に「なぜ父は焚き火の残りカスのような香りを目を細めて美味そうに嗅ぐんだろう」と不思議で、全くそれがその頃は理解ができなかった。
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ぼんやり思い返すとそれから10代の終わる頃まで僕の中で珈琲の記憶は途切れていて、次に珈琲が出てくるのは、バンドを頻繁にやるようになった20歳の頃、練習の合間に、
「はい、これ飲めよ」
先輩が差し出した小さな缶珈琲だった。ブランドの名前さえ覚えてないくらいだが、小さな缶だった。あ、あの焚き火の香りの? と一瞬躊躇った。みんなの真似をしてタブをグイッと開けて喉に染み込ませる。あれ? なんだかものすごく甘い。砂糖たっぷりのお菓子のようなそれは父が嗅いでた飲み物とは全く違った。でも飲み終えた後にほんのり残る香りは、あの食卓で父が啜っていた香ばしい香りだった。
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