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ブルックリン物語 #59 我が心のジョージア”Georgia On My Mind”

2017年クリスマス、最初にミネアポリスのセントポール国際空港で演奏 してから駆け足で一年が過ぎ、次の冬がやって来て再び同じ場所で弾くチャンスをもらったので、早速行って来た。

ミネアポリスの大地は雪に包まれ寒そうだった。表情豊かな自然に育まれた雪景色が飛行機の窓の向こう側に流れていく。通路側からほんの少し首を伸ばして一年前に思いを馳せる。空港で行き交う忙しい人たちに向かって弾くなんて果たして聴いてもらえるのだろうか?  そんな不安を抱え窓からミネアポリスの景色を眺めたのを憶えている。時の流れは早いものだなと物思いに耽る間もなく、飛行機は急降下しあっという間にランディング。

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若干の揺れをも諸共せず、必死でブレーキをかけ滑走路に機体を留まらせようと踏ん張る飛行機。そうこうするうち子犬が飼い主に宥められるように徐々に静かになってスーッと深い息を吸って吐く。急速な降下が嘘のようにそのあとはしばらく動かない。機内はずっと無言のままでどことなくその空気は気まずい。やがて窓にゆっくり横切る景色が地上への帰還をそっと僕たちに教えてくれる。着陸時にシャッフルされたわが心はゲートへと静かに誘導される。

ミネアポリス。

初めてこの街を訪れたのは2017年の秋だった。中西部をライブで回った時でシカゴのライブ会場、オハイオ、コロンバスの小児病棟での演奏を経て、最後ミネアポリスに到着した。その旅で四海(Sihai)というこの街に住む中国出身の映像監督がチームとともにドキュメンタリー「A Conversation with Senri Oe(大江千里との会話)」を撮影したのだ。ミネアポリスでは500人ほど入る劇場での演奏(日系のイベント)ともう一つ、アメリカ1大きいモール(Moll of America)のアメリカ1小さな(僕はその時そういう風に表現した)雑貨屋さんでの演奏だった。アジアの「KAWAII」を集めた店のオーナーはダニー、韓国系アメリカ人の男性、四海や彼女のプロデユーサー、フレンチ~の友人だ。彼が僕に興味を持って場所を提供してくれたのだ。

飛行機の窓から見るアメリカ大陸は無謀なくらい大きく、ここのどこかの街で誰かと知り合ったり一つの仕事に結びつけたりしていくのは砂漠で水を探すごとく大変なことのように思える。しかしこの大きな合衆国の中の小さな場所で知り合う「たった一人」でいい。その「一人」と深くなっていくと必ずそこに切れ目を入れることができる。漠然とした景色に、ふと自分が混じっていることに気がつく。そこから始まる。音楽があると言葉を超えて先へ行ける。

その時に仲良くなったダニーが、ホリデイシーズンにミネアポリス空港でやっている演奏会の主催者に僕を推薦してくれた。そのシリーズを牛耳る女性は、僕にチャンスをくれた。1回目が2017年の冬、クリスマス前のこと。僕と並びの人たちは地元で活躍するプロのミュージシャンの面々。無我夢中で与えられた2時間を汗びっしょりで終えた。思ったよりもたくさん人が耳を傾け立ち止まり拍手をくれた。日本では僕だと知っている人の前で演奏することに慣れてしまっていたので、アメリカの、しかも空港という場所でのこの経験は僕の中に風穴を開けた。その夜は流石にヘトヘトだったが心は不思議と爽快だった。

そして、嬉しいことに再び次の冬に、2回目、空港での演奏会への仕事の発注をいただけた。

ミネアポリス、セントポール国際空港。

去年と同じように一般入口の右に位置する関係者専用口へ行って事情を話しSecurityをパスする。ぴもパパ同様のやり方でSecurityをくぐる。次に地図にある別階の総合受付で就労ビザを提示しフォームに記入、空港内での仕事の許可を貰う。1回目の時はこの場所までアシストの人が迎えに来てくれたが今回は自分で現場へ行けということだ。確かに初めての時とは違う別の緊張感が増してはいるが、同時に心のどこかに自分が一度音を奏でた場所へ戻って来れた安心感がある。

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