ブルックリン物語 #69 Salongo
トリオはN Yのリハスタで初めて手にした航海図を確認し、トミジャズはシミュレーション、肌感覚でマップを確認し、博多でいざ、その航海へと出航した。関係者の客観的感想や博多の観客の生反応が、僕たちがより先へ進むための自信と反省をくれた。トリオの船は進み始める。
少し前に盲腸をとったこともあり、身体が100%完璧じゃないので今自分が持っているものを最大限使い切らなければいけない。ちょっとでも目を逸らすとブレが生じコンデイションに左右される。なので客観的に見つめる目を持って状況に流されないよう気をつける。
ツアーの4日ほど前に大阪に入り父を見舞った。父はケアが必要で病院に入っていたのだがどうしても家に帰りたいと言うことで僕が関空から直行した日、実家へ戻った。父の乗る車椅子を運ぶミニバンと並走する妹が運転する車の助手席に座る。空は青く地元のラジオは明るい放送を続けている。小学生の頃通った田んぼ道を抜けてザリガニやタニシを捕まえた池を通り、父より先に家に戻り雨戸を開け空気を入れ替える。
「やはり家はいいなあ」
父は安心したように目を瞑る。不自由になった身体ではあるが遠く離れた地に住む息子がそばにいる。父の人生のマップとはどのようなものだったのだろう。その通りに進んだのかそれとも。父と過ごす貴重な時間になるなと覚悟する。父が建売の家を買ったのは僕が小学校4年、妹が1年の時だった。庭園業者が作った芝生のミニゴルフコースは一度も使わないうちに父によって耕されスイカやキュウリが採れる畑になる。小学生の頃から一人でラジオ番組を想定して登下校中に喋りかける曲も自分で即興で作曲し、将来はピアニストか作曲家になると心に決めていた。しかしどうやったらそうなれるのか途方にくれながら眺めた場所が実家の周りの景色にはいっぱいある。
家を離れ東京生活を始め音楽家としての道を歩き始める僕だったが、思えば実家を離れるため遠く遠くへ旅をし続けていたのだろう。恐ろしいほどの時間を漂流し、15歳の頃初めてジャズを聴いた2階の自分の部屋のドアを開ける。窓を開放すると湿気を帯びた青春がどこかの空へと逃げていくのを見たような気がした。
父との残された時間、覚悟を決めた妹との時間は濃くて有意義なものだった。もしかしたら父にはもう会えないかもしれないなと思いながら博多へ向かう。最寄りの駅まで妹が車で送ってくれる。シンガーソングライター時代に何度も新幹線の窓から見た景色を神戸、岡山、広島、宇部と辿り、コンサート初日の地を目指す。
博多のライブが無事に終わり名古屋を目指す朝、早起きして一人で繁華街を散歩する。僕が知っている博多はずいぶん変わり、さらにこれからもまさに変わろうとしている。少し迷い小一時間だけ歩く。点と点の記憶が繋がり再び昨夜のライブを思い感慨に耽る。
名古屋で更なる進化と更なる検証、大阪でやっとなんとなくの形としてものになった実感が出てきたライブ。別々の時空から集まった3人は夢中で演奏に没頭する。僕のプチ過去への旅の想いなど知りもしないふたりが現在の僕の音楽と戯れる。
「ムッチャよかったで。ええトリオが組めてよかったね」
大阪では妹が息子や友人たちを連れて大勢で聴きに来てくれた。書道の先生や彼女の中学高校時代の同級生など僕も知っている顔ぶれが興奮しているのを見るのは素直に嬉しいしありがたい。アリは演奏が終わると表に出て自分のCDを売っている。大きなスーツケースいっぱいの自身のCDは3箇所でもう随分売れて在庫がほとんどなくなってきている。
「業者さんですか、アリ! ああ見えて買ってくれた人たちとは一人一人ナイスに写真を撮ってあげているんですよ。優しいし偉いわ〜」
Kayが忙しそうに楽屋とロビーを行ったり来たり。マットと僕はそれを眺めながら深々とした楽屋のソファに体を沈めしばしの休憩をとっていた。故郷の大阪のお客さんの大きな声は壁を隔てた楽屋にまで届く。
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