生活困窮者支援をする人間として藤田氏の言動について思うこと

はじめに

最近廃娼主義を唱えている藤田氏について思っていることを書いておきます(長文です)。
私自身は藤田氏と面識がないので直接批判を伝えることができないのですが、私の知り合いやその知り合いで交流がある人にはぜひ自分の立ち位置を踏まえて藤田氏にやめるよう働きかけてほしいと思っています(他力本願になってみっともないし歯がゆいのですが)

私自身は生活困窮者支援にはそれなりに長く関わっていて、セックスワークに従事する人ともかかわってきましたが、その専門家ではありません。また、シス男性という「安全圏」にいる自分が何か言うのがはたしてよいのか、自分だって多かれ少なかれgender based violenceの加害をしてきてしまったはずなのに白々しいのではないかなど思うところもあります。
しかしそれにしても藤田氏の言うことがひどすぎるのと、当事者たちが必死になって抵抗しているのに支援に関わっている人間がだんまりを決め込むのは無責任だという思いもあり、悩みながらも書くことにしました。

言いたいことはいろいろありますが、ここでは次の点について述べておきます。
①藤田氏の方針は、その主張に反して構造的な問題から目をそらしている
②藤田氏の議論の仕方は実際に性産業に関わっている人の福祉を考慮したものではない

①:構造的な問題とは何か

藤田氏はセックスワークについて、構造的な性差別の問題と関連づけて論じています。そのロジックが個人的には見えづらいのですが、問題としていることの1つは性産業では性暴力が横行していることだと思います。

性産業で働くことによって暴力を受けるのがよくないのは誰も異論がないと思います。人身売買や強制労働はもってのほかです(といってもこれらはどんな仕事についても同じことが言えるのですが)。しかし、規制を強化すればするほどむしろアングラ化してしまうことはこれまでに指摘されていますし、実際風営法改正によって非店舗型のより危険な環境で仕事をせざるを得なくなってしまった人がいることは事実で、これを無視して廃娼を単純に唱えるのは無責任でしょう。


だからこそ辞めたい人は辞められる選択肢が得られるような抜本的な社会の変革が必要であると同時に、現に働く人には労働者としての権利が認められるべくセックスワーカー当事者たちによる運動があり、アムネスティ・インターナショナルの方針が示され、非犯罪化の政策が求められてきたのだと思います。

また、選択の余地がないなどの理由で不本意にセックスワークに関わっている人(シス女性だけではありません)がいる背景には賃金格差や不払い労働の不均衡な分配その他もろもろの構造的な問題があるということは大筋その通りだとして、性産業の事業者に廃業を迫ったり、現にセックスワークをしている人にやめるようにいったところで構造的な問題の解決には至らないと思います(注1)。

ここに問題の矮小化があると思います。批判すべきなのはジェンダーやセクシュアリティに関わる不平等な構造――これをヘテロノルマティブな家父長制と言ってもよいのかもしれません――であって、性産業だけをつぶそうとしたところで残念ながら何も変わらないでしょう(後述)。現に性産業で被害を受けている人がいるというならば、社会福祉に関わる人間としてまずすべきはその個々人の支援であり、構造的な問題を語るのであれば性産業に限定して語るべきではありません

一方で、性産業を否定する背景として藤田氏は貨幣を介したセックスそれ自体に対して批判的なようです。

「より踏み込めば、貨幣を媒介せず、双方の同意で好きな人と好きなだけセックス、性行為ができる権利保障もすべきで、そのための環境整備も遅れている社会だということ。
セックスや性行為は売買するものでも、強制されるものでもなく、自由意志でおこない、人生に豊かさを提供するものであるべき。」
(7月12日:職業選択が可能であればだれもセックスワークをしないだろうし、やりたい人がいてもやめさせるべきだという趣旨の別の人のツイートに対する引用RT)

「双方の同意で好きな人と好きなだけセックス、性行為ができる権利」というものがよくわからないですが(それは権利なのか?)、いずれにせよ貨幣を媒介していなければ双方の同意に基づいたセックスができるのでしょうか?夫婦間の性暴力やデートDVというのは一体なんなのでしょう?貨幣を媒介していない「愛情」ゆえの行為とされることによってNOを言いづらくなること、「同意」が事前調達されてしまうことがこれまで批判されてきたのではないでしょうか?現在の不平等な構造の下でのさまざまな搾取の問題(ケアワークとか)についてほとんど触れずに性産業に焦点を絞ることの意味はなんなのでしょう?(注2)
ジェンダーやセクシュアリティにかかわる不平等は決して性産業を叩けば直るといった単純なものではないと思います。藤田氏が本当のところ性差別や構造の問題に関心があるのか、疑問に思ってしまいます。

②:当事者の尊重


藤田氏は実際に性産業の廃止を求めてさまざまな人にいろいろなことを言っていますが、実際に様々な事情のもとでセックス・ワーカーとして働いている人がその仕事を失ったときどうするのかという点についてはあまり言及していません。業界内の環境改善に努力してきた事業者に対してエッセンシャルワーカーに事業転換(つまり廃業)するようにいったり、社会福祉を使うように言ったりしています。

もちろん、事業を転換しようと思ったときにできることや、社会福祉が利用しやすくなることは一般的に良いことだと思いますが、どうするかをなぜ藤田氏に言われなくてはならないのでしょうか?藤田氏はホームレス支援にもかかわっていたはずですが、頑張って野宿続けるという人に対して「福祉取れ」と言っていたのでしょうか?もちろんホームレスの場合とはもろもろ事情が異なりますが、個別の人間の考えや判断を尊重する気がないように見えてしまいます(追記:注3)。

また、最近になって藤田さんは性産業で暴力被害にあった人の声を募って広めていこうとしているようです。しかし、セカンドレイプの危険(声を挙げた人、それをSNS上で見てしまった人)には思い至らなかったのでしょうか?

しかも、当事者運動をしている人たち、そのほかにもセックス・ワーカーとして働いている人たちの声を捨象して自分の主張に都合の良い声だけを集めるというのは当事者の多様性を無視し、当事者を自分の運動のために利用しようとしているようにすら見えてしまいます。藤田氏は盛んに構造という言葉を使いますが、その言葉は個々の人間の状況を無視するために使ってはいけないと思います。

すでに多くのセックス・ワーカーや関係者たち、支援者たちが批判の声を上げています。
長々書いてしまいましたが、藤田さんにはまず、自分が受け入れがたいと思った意見を拒絶するのではなく、真剣に受け止めて尊重するところから始めてほしいと思っています。



1)では客側を取り締まって「廃娼」を目指せばいいじゃないかという話になるのだと思います(追記:2020/7/29 これを新廃止主義とかスウェーデンモデルと言い、藤田さんも自身の立場をそのように記述しています)。しかし、そのときに2つの問題があると思います。むしろ客が逮捕されないようにより不可視化されてしまい、却って暴力の危険が増す可能性があること。そして、それで生計手段を失ったセックス・ワーカーはどうすればよいのかということ。後者については後半でも触れています。

2)より最近では性産業の存在が女性に対する社会福祉を阻害しているといった趣旨のことを言っているようですが、そんな単純なものでしょうか?性道徳の観点から女性を分断し、一方的に「更生」の対象とする差別的な法制度や性道徳的に潔癖であることを要求する児童扶養手当など、社会福祉そのものに埋め込まれた問題について向き合うことが社会福祉士としてはまず必要なことではないのでしょうか?

3)追記(7月28日15時40分):ここでホームレスの話をしている理由がわかりづらいと思ったので追記します。これは藤田さん自身以下のツイートを念頭に置いたものです。

風俗嬢は好きでやっている、ホームレスは好きでやっている、好きで生活保護受けている、好きで派遣社員やっている、好きで日本にいる、好きでその生き方を選んでいる…
この被差別構造を無視した自己決定の暴力すごい。
そのうち、死にたくて死んだ、というのも平然と容認されていくのでは。恐怖。(2020年7月25日)

おそらく、藤田さんは「被差別構造を無視した自己決定」と言っているように、一般的に否定的なものとして考えられているものの例として以上のようなものを挙げているのだと思われます。私自身野宿者運動にそれなりに長く関わっていることもあって、ここではホームレスの例を出しています。いずれにせよ、何かが否定的なものであるということは所与のこととされ、実際にそれに関わっている人がいた時に構造的な規定で説明しようとする論理事態に「逸脱」を決めるのは誰かという視点や個々の人がその現象や構造をどう捉えているのかという視点が欠如していると思います。