六巻抄と文段抄
安国論及び観心本尊抄等(かんじんほんぞんしょうとう)の文段抄と六巻抄とは寛師法門の極意である。従来この文段抄は唯(ただ)単(たん)に御書の注釈書として扱われていた様であるが、それにしてはいかにも量が少なすぎる。結論を言えば、文段抄は決して単なる御書の注釈書というようなものではない。寛師の一つの構想のもとにかかれた法門書である。
六巻抄については初めから法門書として著作されているので取りくむ上においても全く違和感を感じないが、初学の者が文段抄を文段に名をかりた法門書である事に気づく迄にはかなりの修行を要する。
六巻抄が法門書として表から戒壇の本尊の題目を明らめ、師匠分としての本仏を説くに対して、文段抄は本尊に秘められ乍(なが)ら、而(しか)も大きな役割をし、その半分を領有している弟子分を文段の語をかりながら裏から説いており、ここには弟子分のあり方が明示されている様である。
その構成については、先(ま)ず安国論をあげてこれを課題とし、これについて一念三千の法門に関連した御書をもって、弟子分としての安国論に説かれる折伏の受け止め方、行じ方を示しながら、更に本尊の中に於ける弟子の意義を闡明(せんめい)されているのである。一言半句(いちごんはんく)の法門書としての示しもなく、而も甚深(じんじん)のものを現す、ここに寛師法門の深さがある。
客殿の客とは大聖人の客分の意であるといわれているが、これは弟子分のことを意味している。即ちこの文段抄の奥底(おうてい)に示された弟子分である。師分は表から、弟子分は裏から明されたのであり、五字の妙法に南無(なむ)する処の七字の妙法の集団を意味している。この師弟相寄(していあいよ)った処が客殿である。寛師の法門で表せば、弟子は文段抄であり、師は六巻抄である。客殿の事(じ)の法門に対すれば、文段抄・六巻抄は理の法門である。事理揃って客殿に相対する時、一箇(いっか)すれば戒壇の本尊となる。
その弟子分とは弥四郎国重(やしろくにしげ)と同じ内容である。もし弥四郎国重が対告衆(たいごうしゅ)であるとすれば、その本尊は一機一縁の本尊でしかない。弥四郎国重は弟子分の惣名代(そうみょうだい)として本尊の客座、即ち弟子分を領有(りょうゆう)している事を示されているものであって、これを日興跡条々事(にっこうあとじょうじょうじ)でいえば自余(じよ)の大衆であり、御伝土代(ごでんどだい)でいえば記者道師(きしゃどうし)に当るものである。
御伝土代は現在(げんざい)史伝部(しでんぶ)としての扱いを受けているが、決して史伝書という類(たぐい)の書ではない。六巻抄の第六当家三衣抄(だいろくとうけさんねしょう)の最後の三祖に対する観念が三祖の伝記という形で表わされているのであって、明らかに法門書である。本尊に於ける師の領域の解説書と考えねばならない。
ところで文段抄八部の内、先ず安国論を中心課題として立てる方法は観心本尊抄の冒頭に止観第五の文を挙げるのと同じで、これを詮(せん)じる事によって本尊が現ずるようになっているものと思われる。形式的な思惟(しゆい)方法とでもいうのか、古来より取られている方法で、椙生(すぎふ)枕の双紙(そうし)などは本尊抄と同じく止観第五の一念三千の文より始まっており、本尊抄と全同の文である事に留意しなければならない。民衆所持の本法(ほんぽう)を本尊に昇華させるための方法といえる。止観第五一念三千の文の他には円頓章(えんどんしょう)、止観明静前代未聞などの文を中心課題とする方法があるが、ただ円頓章や止観明静前代未聞などの方法は本尊抄の方法とは結論が真反対の側に出るようになっている。
さて宗開三(しゅうかいさん)の三祖は順次日月星辰(じゅんじじつげつせいしん)にあてられ、三祖目師が宗開両祖を頭(こうべ)に戴く時、明星となって而も推功有在(すいこううざい)の故に功徳(くどく)は宗祖に還元される。ここにいう目師とは所謂歴史上の目師のみならず、既に道師以下の人々、即ち弟子分に一箇(いっか)した処の目師を指す。そして人をとれば日蓮大聖人といい、法をとれば戒壇の本尊といい、これを人法体一(にんぽうたいいつ)というのである。
この文段抄及び六巻抄に示されたものは、先(さき)にも云う如く、実には道師の御伝土代と記者道師との師弟を理論的に明らめたものである。そして有師(うし)の化儀抄(けぎしょう)は、その師弟一箇・人法一箇の本尊の用(ゆう)の部分に重点をおいて本尊の実体を説いたものであり、逆に御伝土代は本尊の体(たい)を説いたものと云える。この意味からいえば、寛師の両抄は体用一箇の処で、体、用を離れず、用、体を離れざる境界に於いて、更に両師の抄を詳細にせられたものであり、体・用・一箇と、この三(みっつ)をもって本因実義(ほんにんじつぎ)を明し、本尊の真意義を説いたものと解(かい)さなければならない。
六巻抄の内、唯(ただ)第二文底秘沈抄のみによって、前後の連絡を無視して三秘を解し、戒壇の本尊を明らめようとしても、そこには本尊の出現する何の下地もない事を了知しなければならない。強いて三秘相即(さんぴそうそく)の本尊を見るとしても、それは未だ応仏智(おうぶっち)の領域に属するものであって、末法(まっぽう)の愚悪(ぐあく)・無智の凡夫(ぼんぷ)を救う本尊ではない。何となれば未だ慈悲の外にあるが故である。
六巻抄で見ると宗祖の慈悲は、三重秘伝抄の最後に秘された撰時抄(せんじしょう)の広宣流布の文が依義判文抄(えぎはんもんしょう)の冒頭に示されている事からみても、文底秘沈抄を除外して依義判文抄に流れている。ここに文底秘沈抄の意を読みとらねばならない。慈悲のない処に末法の衆生救済(しゅじょうくさい)の意義があろう筈がない。日蓮大聖人とは報恩抄(ほうおんじょう)に仰せの如く、慈悲の上にのみありうるものである。
清澄山(きよすみやま)で虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に祈った知恵は未だ応仏(おうぶつ)の領域に於ける知恵である。安国論の折伏を一往応仏世界の智(ち)に比(ひ)し、これを受けとめる弟子、この弟子の側からこれを報仏の智と受け止める。ここにも文段抄の意義を了知すべき処がある。師は既に修行充ちて折伏の資格が備っているが故に折伏を行ずる。弟子は未修行の故に外相(げそう)に摂受(しょうじゅ)と受けとめ、その折伏を自行(じぎょう)に向ける。これが現実の弟子の在り方であろう。これを捉えて末法に於ける己心の一念三千の上に成じる戒壇の本尊の意義を明らかにする意味が含められたもの、これが文段抄の意図する処である。末法に於ける修行の在り方を示しながら、戒壇の本尊があくまで内証にあるものであって、外相のみが本尊ではないという意義を闡明されようとした処がほのかに見える。ここに寛師の甚深(じんじんさ)の意を見る。