五百塵点劫と五百塵点劫の当初


 五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)とは過去遠々(かこおんのん)より未来永々(みらいようよう)に続いてゆく無限の時を指す。無始無終の時のことであり、寿量品(じゅりょうほん)に説かれる処、これを迹仏(しゃくぶつ)の寿命という、所謂(いわゆる)流転に属する時である。これに対して当初(そのかみ)はこの迹仏の寿命を受持する事によって凡俗(ぼんぞく)の己心の一念に納めたもので、一日一日を積みかさねた時間ではなく、時空を超越した処の、無始にも非(あら)ず、無終にも非ずという還滅門の時を云う。これを本仏の寿命という。この時は云うまでもなく時節の長短を問題にしない。
 ところが正宗要義ではこの五百塵点と当初の違いがはっきりしていないばかりか、むしろ五百塵点の延長線上の時を当初と考えているようである。しかし五百塵点とは本来無始無終を意味するものであって、これでは五百塵点も当初と差別がない。ここに宇宙の大霊(たいれい)なる思想が生まれるのであろうが、この無差別が己心に建立された日蓮大聖人という人徳と合体する時、鎌倉に生まれた凡僧日蓮が釈尊より遥か昔に生まれた本仏という当家本来の宗義とは似て非なる異義ができる。このような異義を以(もっ)て他宗に対してみても既に論争以前の問題として相手にされない事になるばかりか、矛盾をつかれても、それが矛盾であるという事さえもわからないという失態を演じる事になる。折伏教典の程度を少しあげた様な正宗要義を以て、他宗に対しても論争の対象にはならない。もしなるとすれば負けるのは必至である。なぜならば大石寺本来の法門ではないからである。鎌倉に生まれた宗祖がどうしてインド応誕の釈尊よりも古い本仏なのか、この単純にしてかつ素朴な疑問に対して一言(いちごん)を以て答えられるかどうか疑わしい。
 一口に本仏といっても、当家に云う本仏と、釈尊に云う本仏とでは全くその定義が違うことをこの正宗要義の作者は知っているか。釈尊仏教の本仏が流転門にたてるに対し、当家は左尊右卑の還滅門にたてる、即(すなわ)ち師弟子の法門によって本仏が誕生するしくみになっているのである。したがってまず本仏にしても釈尊仏教に云う本仏観を以て当家に云う日蓮大聖人という本仏を説明しようとする時、大変な矛盾をはらむことになる。つまり本仏とは断惑(だんわく)である。しかし当家は未断惑の上行菩薩を本仏とする事は道師や有師(うし)によって明らかである。また当家は師弟同時の成道を説く。しかし正宗要義の如(ごと)く宗祖即ち師(し)一人(いちにん)が本仏であるとすれば、すでに師弟同時の成道ではなくなってしまう。こうなるともはや貴族仏教であり、民衆仏法ではない。
 五百塵点と当初、久遠と元初(がんしょ)、何れも外相と己心、三千と一念、流転と還滅の相違である。当初・元初に流転門の時が附与された処に法門の混乱の始まりがある。そしてまたこれが今日の混乱の最大の原因でもある。すべては時の混乱によるといえる。宗祖は「夫(それ)仏法を学せん法は、必らず先(ま)ず時をならうべし」と仰せである。

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