【ますみ】生誕祭というものについて改めて考えてみる(前編)
以前に予告していた内容について、今日はじっくりと書きたいと思います。
テーマ、生誕祭について。
1ヶ月後に
この前、私の生誕祭が来月開催されることが、正式に発表になりました。
うちのグループでは3回目の生誕祭。夏にあったそらさん、先月のあすかちゃんときて、3番目。
正式な発表はついこの前だったけど、過去に2人やってきて、私はやらないってことは、まずないよねって、当然ながら私たちもファンのみんなも思っていたはずで。
地下アイドルにとっての生誕祭って、やっぱりすごく特別だなって思う。
普段はグループとしてステージに立つのが当たり前で、みんなで自分たちの曲を披露する。それが、生誕祭の日だけは、主役の子が一人いて、特別な衣装を着て、ソロがあって、カバー曲もやって。
ファンのみんなも、フラスタとかメッセージカードとか、ケーキとかいろいろ準備してくれて。普段はいろんな色が混ざり合っているフロアを、その日だけは主役の子の色だけに染めてくれて。
運営さんも、生誕衣装を作ってくれたり、生誕グッズ、Tシャツとかを作ってくれたりして。
みんなで作り上げる特別な1日、という感じがすごく素敵だなって思う。みんな言うけど、その日、世界で一番幸せなのが自分だなって感じられるっていうのは、本当に嘘偽りない気持ちなんだ。
複雑な想い
ここは匿名だから書けちゃうけど、既に生誕委員が立ち上がっていろいろ準備をスタートさせていることとかも知っていたりする。中心にいるのが誰かっていうことも大体把握してる。
これってきっとどこのグループでも似たようなものじゃないかなって思う。ファン側も気を使って、生誕用のアカウントとかを別に作って、私たちのアカウントをブロックして見えないようにして、こっそり進めているんですよ、感を出してくれているのは分かるし、だからこちらもそこには触れずに当日まで過ごしているけど。
実際はね、めちゃめちゃ気にしてます。準備大丈夫かな、とか、どれくらいの規模感で考えてくれているんだろうな、とか。
ステージ上で、メッセージカードのアルバムとか出てきて驚く、みたいな演出はあるけど、当然あるだろうなって、こっちは思ってたりはする。
でも、演技しているっていうわけではないんだよね、あれも。分かっていても本当に嬉しい。実際にモノとして出来上がって自分の手元に届く瞬間が本当に嬉しくて、感動する。アルバムあるだろうな、とは思っていても、どういうデザインかとか、どういう装丁になっているかとかは知らないから、それを知ってびっくりする。そういう驚き込みの演出なんでね。わざとらしい反応だな、みたいに思わないでもらいたいなって。
今日とかも、特典会の最中どうしてもちょっと、後ろの方でやりとりしてるファン同士のこと気になっちゃったな。メセカのお願いとかやりはじめてるな、みたいなね。それを見てちょっと安心したのも確かだったりね。
そして、やっぱり意識しちゃうことは、他のメンバーの生誕祭のことだったりする。
これも隠していても意味のないことだと思うので書いてしまうけれど。前回やったあすかちゃんは、うちのグループで一番人気があってファンが多い子。そしてその次になった私は、今うちのグループで一番ファンが少なかったりする。これはもう、普段のチェキ列とかで見ててもわかることなので。
そうなると、前回やったあすかちゃんの生誕祭の規模と比べて、今回の私の回ってどうなるんだろうなっていうのは、どうしても意識してしまうのが偽りない本音。
あまりこういうことをアイドルが言うのはって思われてしまうかもしれないけど、単純にフラスタの大きさ、お値段とかもだし、もちろん動員もだし。
あすかちゃんを越えるのは絶対無理だと思っているけど、少なくとも比較したときに、明らかに私の回は質素だったな、みたいになるのはさすがにちょっと寂しい。だけど、ファンのみんなが全て善意で取り計らってくれていることだから、そこに贅沢を言うなんて、という気持ちもものすごくある。
はっきり言ってしまえば、フラスタにいくらお金をかけたとしても、それは全てお花屋さんが儲かるだけで。もちろん、すごく嬉しいって気持ちにはなれるけど、それよりチェキにお金積んだ方が良くない? っていう意見があることも知っているし、それも分かるよって思う。
だけど見栄も大事じゃん、アイドルってそうじゃない? っていう気持ちもあって。あまり私たちのことを知らない人がたまたま来てくれた時に、ああ、この子こんなでっかいフラスタ立ててもらってるってことは、人気あるグループ、人気ある子なのかな、って思われるのは大事なことだと思うし、やっぱりそう思われたいという気持ちもあって。
でも、私が自分のファンの顔を思い浮かべて、この人達はきっと頑張ってくれそうだなって思えるような人たちの人数を考えると、きっと結構な負担になるんだろうなって思って、申し訳ないなって気持ちにもなってしまう。
あすかちゃんくらいたくさんファンがいたら、きっとそこまで大きな負担になったりしないよなって考えてしまって、結局自分の人気がまだ足りてないんだなって思って落ち込んでしまう。
なんというか、今の自分の現実を知る機会、グループとしてではなく、個人としての評価を突き付けられる日でもあるな、というのを感じてしまうのが、私にとっての生誕祭というものの位置づけかなと思う。
まだまだ長くなりそうなので
頑張っていろいろ書き切ろうと思っていたんだけど、まだ長くなりそうなので。
この話は前後編に分けることにする。
後編は、私の前世の時の生誕祭にまつわる話も交えて、今年の生誕祭についての私の想いを書きたいと思います。