宣誓2:人の性別って、なにで判断するんだろう
プライドウィークの最終日に、この期間を通してジェンダー/セクシュアリティについてさらに学んだこと反省したことを皆さんに問いかける形で宣誓していきます。第1弾に引き続き、射落美生乃 と目黒雄大 の2人で制作しました。
ポスターやこのnoteをご覧いただいた上で、活動の趣旨や言っていること自体に賛同してくださった方は、twitterやfacebookで
「#私たちは宣誓します」
をつけて宣誓を行なっていただけたら嬉しいです。
特に、「え、それって自分もやってしまっていたな」と思うところがあった方はその気づきもぜひ教えてください。その素直なシェアが、他の人のこころを柔らかくすることにつながるはずです。
私たちの表明に続いて、ぽつりぽつりと手をあげていく人が集まっていくように、活動の輪を徐々にでも広げていけたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願いします。
多様な“性”について
これだけの性がある。私たちは日頃から、ジェンダーに関することには特に意識した言動をしているつもりでいたが、文字通りつもりなだけだった。LGBTQ +の定義そのものや、人間には性自認と性的指向があること。マイクロアグレッションのこと。それぞれ理解はしているつもりでも、生活する中で意識が及んでいないことがかなり多いことに気がついた。マイクロアグレッション、、
ここまで考えられているのだから先ずそれが良いねと言っていただくこともあるが、だからといってここまでしか考えられていない私たちの言動で傷つけられる何かがあってはならない。
上記に書いたジェンダー/セクシュアリティも、私たちがまだ知らない/気づいていないだけで実際はもっとあると思う。それに、定義自体を全て知ったとてそこにモレが生じる可能性はいくらでもある。そのことを強く肝に銘じたい。
※セクシュアルマイノリティに関する定義や種類まとめに関して、以下の記事が大変参考になったためシェアします。
https://jobrainbow.jp/magazine/whatissexualminority
他人の性別は判断できるか
私たちが性自認/性的指向について考えたのはいつ頃だろうか。以前から、「私(射落)、女の子から告白されたらどう感じるのかな」といった話はしていたものの、はっきりと性自認/性的指向として話していた訳ではない。これを書いている私(目黒)は、尊敬するすずかんゼミの先輩が昨年12月頃に送ってくださった「みんな性自認ってどうやってしてるの?」という一言が考える大きなきっかけとなった。
そこから、2人で調べたり話したりする中で、これまで全く知らなかった性的指向のあり方やそれが故にしていた自分たちの勘違いにも気づいていった。(気づきはあくまで何かをしたことによる結果であって、まだ気づいていないことはこうして今も気づけていないのだが、、)
たとえば、ゲイとレズビアンのカップルである可能性。
女の子が女の子を好きだと言っていたら、それまでの私たちはその子がレズなんだと思い込んでいた。男の子が男の子を好きと言ったら、ゲイだと思い込んでいた。別の可能性など正直考えたこともなかった。
本人が実際どうなのかは分からない。ただ、両者ともトランスジェンダーの同性愛者である可能性もあるのだ。SAABが女性でも、その人がトランスジェンダーであるなら性自認は男性となる。その中で恋愛対象が男性であれば、その人はゲイとなるのだ。一見、シスジェンダー/ヘテロセクシュアルだとしてもそうでないことがある。他人の“性別”を考える際は、性自認と性的指向の両者を考える必要があったのだ。本来、当たり前のように理解していなければならないことだが、それまで思い込んでいた自分たちにとってはかなり大きな発見だった。これらを考えると、本人が性自認/性的指向について言及しない限り、もはや他人の“性別”は判断できないとまで思った。容姿で判断するなど以ての外だ。
自分の当たり前が誰かの当たり前ではない
ここで新たな問いが生まれる。基本的に判断できないなら相手の性別など考える必要は果たしてあるのかということ。私たちは、誰が誰を愛そうともそのこと自体を尊重している(つもりでいる)し、みんな違ってみんな良いと考えている。実際、同じようなことを言っている友人もいて、たしかにと思うところはもちろんある。ただ、みんな違ってみんな良いと言うだけで済まされないことは、この日常生活でかなり多く出てくる。
たとえば、「彼女/彼氏いる?」「~ちゃん/くん」といった、何気なく使ってしまう言葉たち。シスジェンダー/ヘテロセクシュアルが前提とされた社会で、聞かない日はないというくらいには耳に飛び込んでくる。(特に、彼女/彼氏いる?という質問に関しては、そもそも何のためにする質問なのか分からない、と思ったりはするが今回そこへの言及は避けようと思う。)これらは相手の性別を無意識にも決め込んで発せられる言葉だ。「彼女/彼氏いる?」は同性愛者や一部のクィアからすれば、ああ異性愛を前提としているんだ...と感じるかもしれないし、「~ちゃん/くん」はトランスの人からすれば、身体とこころは一致していることが前提なのね...と感じるかもしれない。
ここで、2つとも「かもしれない」を入れたのは、文字通り私たちの想像でしかないから。シスジェンダー/ヘテロセクシュアルだと今のところは思っている私たちには、当事者のその時の気持ちは分からない。当事者にも同じ人などいないことを考えると、もはやその人自身以外に分かることは難しいのかもしれない。想像することはできたとしても。
だから、当事者はこう思うなどといった無責任な代弁は絶対に避けないといけないし、それ以前に思うのは、「当事者は」って主語大きすぎないか、、ということ。こうしたことは、特に当事者か否か問わず、活動している方がそれが故にする言動で多く見られたりもするから、自戒も込めて言及したい。というかもうした。
こうした中で今、私たちにできることの1つは、「人の性別って、なにで判断するんだろう」と自らに問い続けること。今まで、なにで判断してたんだっけ、というこれまでの言動への回帰。そして、今後の実生活においてあらゆる場面で問い続けることで、危ない危ない。今の自分は性自認だけで判断してた、という気づきに繋げていきたい。
これが、今回私たちが行なった宣誓だ。
最後に
私たち自身の経験とそこからの学びをシェアすることによって、自分もそういうことしていたかも、こういうことも気をつけないと、といったことに気づく瞬間を感じる人が1人でも多くいたら良いなと思っています。
気づく以前に人格否定のような言動をする人もいる中で、気づいた私たちができることを1つずつ積み上げていきたいです。
p.s.
コピーを考える中で特に意識した3点について言及したい。
①メインコピーとそこに対応するボディコピーの文章が異なることについて
メインコピーはこの宣誓の概要を示すという役割も持っている。だからこそ、それによって漠然とした話をしている印象を受けるかもしれないという懸念があった。「日本の未来はどうなるのか」というような大きな疑問を考えるというのではなく、日常の中で逐一自分の言動を振り返っていきたい/振り返っていただけたらと考えた。そのため、ボディーコピーでは、まさに誰かとコミュニケーションをとっている時のように、日常のシーンに当てはめて考えてもらえるように工夫をしてみた
②「敏感」という表現について
コピーにもニュアンスはある通り、本来は当たり前に考えなければいけないことであると考えている。ただ、現状を見れば無自覚にしてしまう言動は少なくない。そのことを重く受け止め、意識的に変えていく必要があるという意味を込めて「敏感」とした。
③「気配り」「配慮」という言葉を使わなかったこと
人に気を遣うといった意味を持つこれらの言葉は1つも使用していない。そんなのただの言葉遊びだとか、言葉そのものよりもどう思っているかが大事だといった意見を目にすることも多いが、私たちが誰かのために気を遣ってあげるというニュアンスに違和感がある。そもそも、人の性について考えることなど当たり前で、気を遣うことではないからだろうか。そういうことを思いながら使用を意図的に避けた。
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