臆病な書簡
拝啓
貴方の元へ帰るかどうか、ここ最近はずっと考えています。
貴方を訪ねた理由すらよく分かっておりませんが、過去のことはまた考えるとして、ひとまず今の心境を記しておきたいと思います。
もちろん、ここに書くことが全てでもないはずです。
*
私の思想は理解されにくい。
例えば、「良いものが嫌い。」こう言ってもなかなか伝わりません。大抵は僻みに思われる。けれど違うのです。(このことについてはまだ書き上げる力がありませんから、ここで止めておくとして、)このように私の考えは大衆文学というよりは純文学に方向性は近いように感じています。
そんな中、貴方は私の思想の良さ(良さというか、、、何といえばいいのでしょう。表現力が追いついていません)を知っている。
私が優れているということではなく、私が発した黒い光を、貴方は確かに受信している。
これほどまでに感性が近い人に出会ったことはありません。
そう。
貴方は私の核を肯定する。
それが怖いのです。
それは褒められ慣れていないから恥ずかしいという類のものではありません。
むしろ、(共有できる人が)ようやく現れたかと思うほどに私は己の思想を愛しています。
そうではなく、貴方に肯定されると、この思想が“定着”してしまいそうで怖いのです。
私は実に優柔不断で、意思を固めることを極度に嫌います。
これまでも常に逃げ道を用意してきました。
そんな優柔不断なのに、今まさに目の前に提示された岐路に、思い悩んでいます。
抽象的な話ばかりでは冗長になるので、例え話をしましょう。
私は文章を書くようになってからというもの、街とは反対側にある悪魔城に興味を持っているようなものです。
(悪魔城というのは言い過ぎかもしれませんが、世間に真っ向から対立するという意味では当たらずと言えども遠からずでしょう。)
しかし、その城内に住まう勇気までは持てず、塀の外にあるベースキャンプで暮らしています。
時たま探索に出ますが、疲れたら帰ります。
しかし貴方のその“肯定”は、ベースキャンプに帰る必要性を失くします。
貴方が傍にいる限り、腕の中で休むことができるからです。
結果、悪魔城のさらに奥まで進んでいけることでしょう。
すると私の思想はまた一段と、理想へ近づき、街からは遠ざかります。
いずれ深淵までたどり着くことになり、その頃には街への帰り方を忘れていることでしょう。
例え覚えていたとしても、帰ることが億劫になります。
半日で帰れたから帰っていたものの、それが一カ月かかる道のりならば当然、帰る意義を失くします。
結果、私はいつの間にか悪魔城の住人となっているのです。
これは大変なことです。
予算が限られている中で、全てを投げ捨てて寝台特急に乗るようなものです。
一歩踏み出したばかりに、帰る術を失くしている。
だから怖いのです。
理想に近づくならいいのではないか。と疑問に思う人もいるでしょう。
私にとっての夢とは、そういう単純な話ではないのです。
たしかに私は深淵までたどり着ける人に憧れは持ってきました。
これまで憧れてきた人物は皆、自分の主張がはっきりとしていて、それが世間とかけ離れていても貫く強さを持っている人です。
そのような人に対して一瞬でも軽蔑を抱くことは、今後の人生においても一度もないでしょう。
しかし、私が実際にそのような人物になることを望んでいるかまではまだ分からないのです。
小さい頃から望んできた人物像ではあったし、今後もその理想像自体が変わることはないのだと思います。
そうではなくて、この理想像を現実にしたいかという問題です。
夢は夢だからいいのです。
夢が現実になってしまったら、私にとっても居心地がいいかまでは分かりません。
とはいえやはり「腐っても夢」ではあるのです。
今の現実が理想とかけ離れたものであること自体が、現在進行形で私を苦しめています。
だから普通に考えれば、勇気を持って夢に踏み出した方がいいことはわかります。
けれどやはり分からないのです。
私が理想像になりたいか、なりたくないか、分からないのです。
そんな揺れている状態で、一歩でも貴方の元へ自らの意思で踏み出してしまったならば、もう後戻りができない地獄の門を開くことになってしまうような気がするのです。
決して行きたくないということではありません。ただ、分からないのです。分からないのに、帰り方の分からない特急に飛び乗るのはやはり怖いのです。
一時の気の迷いかもしれない。
一種の恋煩いかもしれない。
仮に現時点で心から望んでいることであっても、そんなことを考えるとたちまち動けなくなるのです。
仕舞いには「あいつは一時の恋煩いで、自殺した。」などという囁き声が聞こえてくる始末です。
私は(恥ずかしいことではありますが)「落ちぶれた」というレッテルを貼られることを極度に嫌います。
それはプライドの問題というよりは(それもあるとは思いますが)、やはり後戻りができなくなるからだと思います。
仲間外れになるのが怖いのでしょう。
私は今でも子どものように、モラトリアムという名の自由を愛しているのです。
しかし、何者にでもなれる状態を保っている限り、何者にもなれることはない。
夢にたどり着くどころか、夢見人のままで、夢追い人になることすらないでしょう。
そんな自分にまた劣等感を覚えます。
だからできれば踏み出したいという気持ちも強い。
でもやはり怖さが勝っている。
こんなことを今こうして貴方に伝えていることも、きっと帰り道を残しておくためなのでしょう。
帰り道を残しながら、理想に近づきたい。
ああ。私は臆病なのですね。
強さを選ぶか、安心を選ぶか。
その瀬戸際に立って、私は今でも抜け道を探しています。