生活空間の思創(3)「ビブリオ・レゾナンス」
娘「ビブリオ・バトルって知ってた?」
父「知らん。なんすか、それは」
娘「推しの本をみんなにプレゼンして、推しの本のコンテストをするゲームなんだよ」
父「推しの本って、自分が感動した本ってことね」
娘「そう。読書感想文のゲーム版みたいなやつかな」
父「よさげですね。そのプレゼンテーションっていう形式も気分が上がりそうじゃないか」
娘「読書感想文って、読むのは先生だけだし・・・」
父「先生も忙しいから、もしかしたら、読んでないかもしれないしなー」
娘「そこの保護者!、それは、いっちゃだめだよ」
生活空間について思考する第3回目。生活拠点「移民・移住・移転」→生活習慣拠点「サード・プレイス」ってやってきました。大きい空間から小さな空間に向かってきてます。今回は、書斎について試考します。・・・というつもりでした。書斎といえば、本棚だな、本棚といえば蔵書だなとか、あーだこーだ考えてたら、子供からビブリオ・バトルなるものについての話を聞きました。
中高生では普及しつつあるらしい。読書感想文のあまりのレガシーさに置き換えが始まったのだろうか?(苦笑
話を戻します。
生活空間で本棚という空間も、結構、放置プレイだよなーとかぼんやり思ってたところに、ビブリオ・バトルの話が入ってきたので、学校という学習圏から生活圏へ持ってきたらどうなるか、試考してみました。これをビブリオ・レゾナンス(「本同士の共振」っていう造語)として押し込んでみます。
やや、生活空間のテーマからは逸脱してるが、与太さも売りの一つなので、ここはアリってことで進めますねw
◼️ビブリオ・レゾナンスとは?
今回提唱する、ビブリオ・レゾナンスとは「異種愛読書を2冊、生成AIを使って、共通点を提示してもらい、そこから自分の愛読書の深層にある嗜好を探求する」という一人でできる蔵書を使っての知的遊戯です。
図表255がその見取り図です。大きくは三段階。探求準備→探求表現→探求鑑賞の流れです。
・探求準備:蔵書から異分野ながらも愛好本を2冊(または、2著者)を選び、生成AIのその共通点を問う。
・探求表現:でてきたもの(レゾナンスと呼ぶことにします)から、自分の嗜好を探求して言葉にします。(=マイ・ブックス・レゾナンス:もちろん造語だよ)
・探求鑑賞:マイ・ブックス・レゾナンスを眺め直すことで、自分の本への読み方が変わったり、蔵書を身近なところに置く順序や意味が変わったり、他者とのマイ・ブックス・レゾナンスを語り合うことで、一種の変形版のビブリオバトルができたりします
◼️事例紹介<その1:著者主体のレゾナンス>
まずは、小生のビブリオ・レゾナンスβ版を見てもらいます。事例があった方が、話早いです。
小生の蔵書の中で大好きな2冊を、可能な限り異分野で選べと言われたら、まずはこれだろうと。好きというより、非常に影響を受けている2冊であり、二人の著者です。
・スティーヴン・サヴェッジ「スーパートラック」
絵本です。小生は上の子(例の娘さん)が3歳から7歳ぐらいまでに、絵本を図書館で1000冊借りるという活動をして、ほぼ毎週図書館に通いました。もともとアートが好きなのですけど、子育て中でもあり、信州という地方でもあり、美術館などでの鑑賞習慣は望むべくもないのでした。その代替として、気に入った絵柄の絵本をただひたすら借りるということをやってみたんですね。
するとですね。「おお、これは蔵書したい」という絵本にも出会うわけです。(はっきり言って、ストーリーは無視してます。基準は絵だけ)我が家には、その流れで購入した絵本が約30冊あります。借りた中で購入に至るのは3%ぐらいってことなので、どれも、お気に入り度は高いのです。
その中でもスティーヴン・サヴェッジ(AIだと、表音表記はステファン・サヴェージ)はダントツの一位なのだ!。このミニマムにして豊かな表現と様式美。(すみません、語り手、酔ってますw)少ない音で豊かな音楽を目指すマイルス・デイビスのような・・・、入れ込み過ぎか?
・ケン・ウィルバー「インテグラル理論を体感する」
インテグラル思想の大御所です。このnoteでも頻繁に名前が上がってますので、その私淑のほどは推して知るべしですかね。まあ、この本というより、ウィルバーの翻訳本は全て揃ってますので、著者全般の作品への愛好者です。20代の頃から追いかけてますから、筋金入りのファンやもしれません。
ただ、最近の著作は、時代が彼に追いついたのか、過去の知見の再整理的な本が主体です。もちろん、新しい書籍になればなるほど表現はソフィストケイトされてきているので、腑に落ちる部分は高まる内容になっています。
「インテグラル理論を体感する」はそういう意味での彼の知識体系が流麗に昇華されたものです。他におすすめも多々ありまして、「眼には眼を」とか「構造としての神」なんていうマニアックなものも手放せないまま、棚奥に鎮座しております。
さて、2冊から著者名が出揃ったところで、探求準備で、生成AIにこの絵本と思想書の共通点を出してもらいます。「共通点を見出す視点」という言い方で問うています。
絵本作家と現代思想家を、澱みなく語り切るところが生成AIならではです。生身の人間はここまでできないし、そもそも、やろうと思わないのだw
じゃあ、今度は探求表現の段階ってことで、生成AIの情報を参照に、小生がまとめてみたよ。これがマイ・ブックス・レゾナンス(My books resonance)ってことになります。
当然ながら、面白さは当人にしか分からない。ということで、以下は個人談(=探求鑑賞の段階)。
いや、ここは意味深なものがありますね。小生は図表の第二層に書かれている通り、情報圧縮と、図像的な表現に惹かれるわけなんだが、そこにはどうも軽やかさを求めてるところがある。カテゴリー越境のような話は多々ありますが、この「軽やか」に越境するとなると、数が限られてくると感じております。
だからこそ、抽象と具象とか、複数のカテゴリーを跨ぐとか、解像度を上げたり下げたりするような本でも、そこまでだけでは感情は揺さぶられないのです。理性的には感心するだろうけどさ。
ここに、越境での飄々とした「軽やかさ」を感じるかどうかが、重要らしい。「うむむ、愛蔵版にしますので、どうぞ、こちらへ」ってな気分になる条件の一つってことなのだろう。
参考までに、事例で作ってみたフォーマットはこんな感じです。
◼️事例紹介<その2:書籍主体のレゾナンス>
では、このフォーマットを使って進めてみましょう。こんどはもっと本という単体に焦点を当てみます。小生の愛蔵しているものでSF小説と、仏教思想書でビブリオ・レゾナンスをやってみます。無責任なチョイスが嬉しい!
・テッド・チャン「あなたの人生の物語」
これは映画にもなっていますので、ご存知の方も多いでしょう。SF小説であり短編小説です。いやー、インパクトあります。寡作な作家さんなので、必然的に一つ一つの話の完成度は高くなるのでしょうか。読んで唸った記憶が今だに新しいのです。
・鈴木大拙「禅とは何か」
こちらは禅学者鈴木大拙の代表作です。小生は大拙の中で最も見返した本です。はたして、意味がわかっているかどうかは不明です。確かめようもないし。しかし、そもそもの禅の不立文字(ふりゅうもんじ)や教外別伝(きょうげべつでん)に対して、まずは言葉を尽くして禅の妙味に近づくというのはメチャクチャ尊いと思うのです。
今度は、この2冊で生成AIにかけてみました。対比分析には他の著作も参照してねっていう条件付きのプロンプトです
前回と同じ共通項が5項目なのは、「前回のバージョンに沿って」という注釈を入れたためです。この項目数は自由に設定できますから、一回やってみて、多い少ないを感じたら指定してもいいかも。
そして、それを小生が引き受けてマイ・ブックス・レゾナンスにしたものが以下のチャートです。
やっぱり、言語に関する関心が高いんですね。でも、言語学的な意味じゃなくて、言葉を超えるゾーンへの関心です。非言語じゃなくて、超言語。蔵書の中で近しいものは「ウィトゲンシュタインはこう考えた」(鬼界彰夫)の新書。「そういえばあったな」で、見つけてしまった! ウィトゲンシュタインの現物は無理なので、非常にありがたく拝読させていただいた記憶があります。これも、実はこの2冊の近所ってことだね。
◼️ビブリオ・バトルとの対比
市民権を得ているビブリオ・バトルの進行の対比表です。とにかく、ビブリオ・レゾナンスは一人でできるのが特徴です。時が止まったままの蔵書たちから、もっと知を絞り出すみたいなワークです。「まだまだ雑巾は乾いてないはず」みたいな知の二番搾りw
ちなみに、これって蔵書の再読の新しいバージョンとも言えそうなので、再読で得られるメリットの視点で、生成AIで項目出してもらい、マイ・ブックス・レゾナンスの意味を対比的に描いてみました。
こうみると、再読は探求の縦展開、マイ・ブックス・レゾナンスは横展開ですな。
ビブリオ・レゾナンスで主張したいことは、蔵書に再読以外にも知性活性化の方法があるってことですかね。確かに、生成AIはきっかけでしかないけど、無茶振りならではの異文化交流は意義がありそうです。
◼️挫折した本でビブリオ・レゾナンスしてみる
せっかくなので、今度は愛蔵版ではなく、過去、著名な本でありながら読むのに挫折した本たちでやってみましたw。結構たくさんあるんですよ。あなたも?
レゾナンス対象となる2冊の選定ですけど、途中で読めなくなったものの中で、異分野なのにニオイが似ているものを選んでみました。それでいて、生成AIが世間全般から情報を掻き集められるメジャーなもの、という条件です。
・吉本ばなな「キッチン」
有名ですね、ええ、小生も手に取りましたが、途中で挫折してます。決して厚い本じゃないし、文章とか凄いなと感心しながらも、読めんかった(苦笑) 多くの人たちの絶賛に背を向けてしまった負い目がある作品なのだ。
・九鬼周造「偶然性の問題」
九鬼周造は「いきの構造」が有名ですね。小生はこの「偶然性の問題」のチャートに魅入られて購入しました。うーん、でも、よー分からんかった。よくわからないから挫折っていうのは珍しくないでしょう。なのに、掲載されている図表には惹きつけられっぱなしなために、手放せないのだった。
つまり、小生にとっては、両方とも文体の魅力や、図表の魅力を認めながらも、先に進めないという2例なのです。
こういう場面での生成AIは「強引に分からせちゃうぜ!」みたいなノリが素敵w
しかし、挫折組のビブリオ・レゾナンスは反省文のようだな。読めなかった言い訳っつーか。
先に「軽やかさ」についての共感を書いたけど、今度は極端に境界線をフラットにした表現「キッチン」と、極端に境界線を複雑に分解していく表現「偶然性の問題」に、気持ちが迷子になってしまったってことなのか・・・って、眺めながら気がついた。2冊とも、境界線の扱い方が、小生にとっては極端なのだ!
負の記号接地からの事例でございます。まあ、こういう挫折系も対応可能だということです。とはいえ、ビブリオ・レゾナンスでの優先順位は低いでしょう。
娘「書斎の本も埃かぶってるだけじゃないんだねw」
父「埃は、たまに拭いてます! ええ確かに、放置プレイになりがちな空間だと、反省してます」
娘「そこで、ビブリオ・レゾナンスで本のケアをするんでしょ?」
父「まあ、本棚のメンテナンスだと思ってください」
娘「デッドスペースが生き生きするのはいいことだと思うよ」
父「家族からのレゾナンスだけが頼りです」
ずいぶんと生活空間から遠いところに来ました。書斎という空間、特に本棚というエリアが倉庫化しているのを、「なんとか有効活用しましょうよ」という動機だったのだが・・・。この流れでビブリオ・レゾナンスを眺めたら、シャッター商店街の盛り上げ施策の一つみたいなものかもw。
でも、生成AIの徒労を厭わない電脳的な献身さには感心しますね。これって、音楽とか美術とかもやれるし(例えば、コルトレーンとマーラーとか)、歴史上の有名人物(例えば、千利休とアンディ・ウォーホールとか)ってことですから。そこに意味が探求できるかどうかは別問題だよ。愛好という記号接地がなければ、探求準備まではできても、探求表現や探求鑑賞までは進めないだろう
ビブリオ・レゾナンスは、大きな括りで言うなら異文化共鳴(Intercultural resonance)かもしれない。きっと、主催者の感情的な記憶を言語化するワークなのだろう。そう思うと、なくても差し支えないけど、あったらあったで何かの「見通しの良さ」を残してくれるようだからね、生活思創の範囲とも言える気がする。
Go with the flow.