「見通しの良い生活」への道:生活マンダラ図と図解<その2>
生活マンダラ図を試考する第二回目です。今回は生活思創にとっての図解って何かな?って押し込んでみます。
2つのお題に分けてアプローチします。
Part1は「図解を定義する」
Part2は「AIにはない図解はどこにあるか」
・・・です。
娘「トーチャンの仕事中のパソコンを覗くと、だいたい図を描いているよね」
父「楽しそうでしょう?」
娘「楽しいのかな、いつも、うーんとか唸ってるよ」
父「苦悶している時の方が多いか・・・。 それでも、いつもやってるってことは、結構、好きなんだろうな」
娘「きっと図解じゃないとできないことがあるんだね」
父「ああ、きっとそうだ。あなたも小説じゃないと表現できないことってあるでしょ?」
娘「これが意外と表現できないんだよ、うーん、書けば書くほどもどかしいんだよ」
父「うんうん親子じゃのう、そのもどかしさは図解を書く身にも通じるぞ」
◼️Part1:「図解を定義してみる」
さて、まず図解を定義します。ほっておくと、図解の定義は「図や表で説明を補うこと」でチョンってな感じです。定義せにゃならんほどの大袈裟なもんじゃないっしょ、そんな扱いです。だがしかし。それだと、日常生活を必要以上に考え抜く生活思創が成り立ちませんので、迷いなく捏ねましょうw
オリエンテーションとして、図解が持つ期待役割を眺めて見ましょう。
以下は、生成AIが提供した図解の説得力です。これらは、定義が目配せすべき幅でもあります。
確かに、これは間違ってないと思う。でも、図解だけの特質とは言い切れない部分(音声や動画)もありますね。あくまでも、試考のスタートラインです。
まず試考の初手ですが、図解を単体でなく、相対的な視点で語れるようにします。グラフ、マトリックスという図表たちは図解の一部と思われています。グラフ、マトリックスを図解から外だしして、強引に 三者比較の視点を入れることで図解の解像度を上げてみます。
・グラフ
折れ線グラフや円グラフなどで数字群から意味を抽出する方法です。
・マトリックス
数字や言語を二軸で対比させることで、情報全体と個別の意味の関係を視覚化するものです
・図解
数字と言語と象徴(図形、アイコン、矢印など)を使って概念を視覚化して説明するものです。
で、これらグラフ・マトリックス・図解を同じ平面で描くと、図表219のように、グラフはマトリックスに包含され、マトリックスは図解に包含されます。マトリューシュカっぽくなってます。図解は一般的な定義である「図や表で説明を補完するもの」のままだとしても、図解ならではの説明があることも分かります。
では、生成AIにこの3表現方法(図解・グラフ・マトリックスの順になってます)の違いを解説してもらいましょう。ここでは①意味の違いと、②手法的な違いの両方向からアプローチしてみました。
<①意味の違いから>
まずは意味の違いに焦点を当てます。今度は3分解したものに対して、先と同じ説明力についての質問を投げてみます。
ふむ、図解が感情的な説得力となっているのが印象的です。
マトリューシュカ構造で眺めてみます。グラフの論理的って「正しさ」の伝達です。すると、マトリックスの組織化って「目配せ」の伝達と言えそうです。広く眺めて、正しさを補完します。
でもって、図解は感情的ってことなのだけど、これは生活思創の「見通しの良さ」に隣接するのだろう。言葉を足すなら、「目配せした上での正しさなら、それはきっと見通しが良いってことだよ」っていう気分で説得力を増す狙い(願いにちかいけど)があると試考します。
※ちなみに「目配せ」って単語は、小生は生成AIに声をかける時によく使います。マトリックス表現の組織化はAI的なんだな。大きな組織の中間管理職が生成AIで置き換わるって話とどこかで繋がっていそう。実際には、一人の管理職がマネジメントできる社員の数が格段に増えるって形だろうけど。
※この辺りでの感情の扱いは「進化の意外な順序ー感情、意識、創造性と文化の起源」(アントニオ・ダマシオ)にも通じるところがある、それとも、生成AIがダマシオを援用してきたのか?w
<②手法的な違いから>
次は、小生が対称性を感じるものと対比してみます。
マトリックスにはできてグラフにはできない、図解にはできてマトリックスにはできないものを言語化するなら、小生の手持ちの知識だと統計解析手法が似たような構造なので、それを生成AIで説明してもらいます。
これは手法的な違いに焦点を当てたものです。
小生の意図は・・・
単純集計→グラフ
クロス集計→マトリックス
多変量解析→図解
・・・という規模感は異なりますが、統計解析手法と図表全般にマトリューシュカ的な対称性を見立てる、っていう魂胆です。
図表221はその対比です。概念記号群も同様に扱ってみました。グラフは数字という概念記号の群が一つ。マトリックスは数字と言語の概念記号が2つ。図解は数字と言語と象徴(図形、アイコン、矢印など)など3つ以上。そういう視点です。
もちろん、図解だからといって3つの概念記号の全てを使う必要はないです。しかし、逆にグラフは数字以外の概念記号群は扱えません。大は小を兼ねますが、その反対はないってことです。画面上での表現が異なる記号群(数字、言葉、シンボル、矢印、カラーなど)を、お互いが飛び越えるところに図解のダイナミズムがあるのだ。
ではここで、まとめます。現時点での図解とは?。
図解とは「情報量の圧縮と表現要素の越境を同じ画面で同時に行い、受け手が読み取れる意味を深める静止画」
まだ文が長いけど、ベータ版としてキープしておきます。
◼️Part2:「AIにはない図解はどこにあるか」
後半は生成AIと図解の関係を試考します。今のところ、2024年4月現在では生成AIと小生はバディの関係です。仲良しw
しかし、これからAIがどこまで図解を自前でこなしていくかは不明です。
先の話はNobody knowsで、ここでは素直に、現段階でのバディ関係での棲み分けを言語化してみます。さすれば、その延長にある新たな生成AIとの関係も少しは「見通しが良く」なるかもしれないからです。
では、今度は図解が必要な場面から試考します。
バディである生成AIからは、5つの要素にまとめてきました。これを、スライスした世界ってことにします。スライスした断面であれば、まずは、それをベースの地図にしてみます。
Part1でも語ったように、広義の図解にはグラフやマトリックスも入ってくるので、それぞれにの必要場面を当ててみました。また、5つの要素のうちで最も図解らしさがでる場面は「概念の説明と複雑な関係の整理」だと見做しました。なので、図表222の中央にプロットしてみたよ。
定義上、図解と呼べそうなのは・・・
「概念の説明と複雑な関係の整理」=文脈図解
「階層構造の整理とカテゴリーに分類」=コンテンツ図解(Being存在系)
「プロセスの理解と手順の整理」=コンテンツ図解(Doing 行動系)
・・・の3つではないかと試考し、それを生活思創のマンダラ図のカバー範囲とします。文脈-コンテンツは戦略-戦術の関係ですね。先に文脈で後にコンテンツの関係になります。
ここに、生活思創の目指すマンダラ図があるとするなら、常に目指しているのはこの3っつの融合です。概念を他の文脈からの対称性で組み立て、カテゴリー越境でBeingに関係性を与え、記号接地でDoingにリアリティを持たせる、そんな感じ。「見通しの良さ」への作業的なアプローチとも言える。
文脈図解をキーチャートにして、コンテンツ図解はそのキーチャートの派生版にしていくスタイルは、ずっとヤスハラ節だと思ってたけど、結構、それらしき王道の図解手筋だったのかも。
そんでもって、やっとPart2の本題です。生成AIのカバーは、控えめにみてもこの5つ全部です。ただし、生成AIから直接、意図した図解を引き出すには、それなりの質問の仕方やプロンプトの組み立てが必要でしょう。そして、それが最適かどうかをチェックするための違和感に気づくセンスも鍛えておかねばならないでしょう。
図表224で見るなら、生活思創のマンダラ図は完全に生成AIの一部になっています。
AIにはない図解をどのあたりで見込んでいるかについて試考します。生活マンダラ図は2つの特徴を意識していますから、ここからの言語化・図解化で、奥に進みます。2つの特質とは<❶対称性の活用>と<❷相補性の意識>です。
<❶対称性の活用>
課題テーマAがあるとして、まったく関係なさそうなテーマBを持ってきて、AとBには対称性がある!、って設定するのは生活マンダラ図ならではの展開です。過去、生活思創のnoteで書き溜めた中から事例を拾うとしたら、性教育とデジタル教育、推し活動とペット飼育、アウトサイダー・アートとアウトサイダー・思想とかね。
対称性があると試考するなら、そこにはBにあってAにないものがあって、新たにAで考慮したい要素が設定できるわけです。
※圏論的な視点で強引に語るなら、集合と写像をセットでA,Bを想定します。A,Bに対称性があるって決めたら、あるべき関手がA,Bともにあるはず。なければ作る。特に、Bにあって、Aにないものは造語が鍵になります。すると、見通しについて語れる新たな単語が増える。つまり、既成の概念が膨らんだってことです。
<❷相補性の意識>
生活思創では生成AIはバディとしています。そこには生成AIと生活思創が重複しない関係だけでなく、不可分な関係があると試考します。いや、むしろ、不可分な関係になりたい!
そこを探るために、小さな段取りを施してみます。
まずは生成AIに、AI自身と多変量解析で対称性を語ってもらいました。生成AIの自己著述が欲しいからです。
多変量解析は先に示したように図解全体との対称性が語れたので、近隣の知識群になりそうだなって想定しての選択です。でもって、今度は生成AIと多変量解析を強引にマッチングさせて、試考を明瞭にする生成AIの自己著述をしてもらいます。
※留意点。プロンプトを変えると、言語表現も変わるので、あくまでも今回の生成AIの自己著述は一面的なものではあります。なので、これだ!って断言はできないです。あくまでも「見通しの良さ」発見の一つのプロセスです。
上記の中の生成AIの自己著述部分を反対に置き換えることができる部分があれば、そこに生活思創の「相補性を表す傾向」が出てくるだろうという算段ですな。
こうなると、相補性についてはポイントを絞り込むことができます。
(1)対称性からの新たな存在の創造
(2)無関係なものに対称性らしき匂いを感じる直感
(3)図解での感情的な納得感への収束
この辺を意識的に押し込んでいけばAIと生活思創はお互いを補い合えそうってことですな。特に(1)、(2)は対称性による生成Aとのバディ関係だとすると、純粋に相補性に至るための生活マンダラ図作成の勘所は(3)感情的な納得感へ収束、ってことになりそうだ。
確かに、対称性は入り口なので、あまり感情的なセンサーで判断する必要はないか。相補性を見せる場面は、試考の出口で出てきます。結論というか、一旦ここで区切りをつけるための<まとめ>には、相補性を言語化したものが紹介できると生活思創のお題の納まりはすこぶる良くなります。感情的な納得感(生活思創が大切にしている、清々しさと穏やかさ)がでてくるんでしょうな。
※相補性を見つけるパターンを分析哲学っぽく語ると、無関係だった2つの要素にルビンの壺のような関係を見出すってことです。生活思創の過去noteでは、お金と好奇心に相補性があると見立てたやつなんかが典型的ですかね。
娘「AIはグイグイくるね」
父「煽ってくるよね」
娘「煽られたいくせに」
父「かもしれない。こちらも『これならどうだ!』って心の中で言いながら質問してる時があるな」
娘「イヨッ!好敵手」
父「いや、好敵手ではないな。ちゃんと向こうはこちらのレベルに合わせて手加減してくるから。それに、よく分からないと今度は適当にまとめてくるし」
娘「結局、AIっていい奴なのかな、やな奴なのかな?」
父「それは使い手次第だから、人によって意見が分かれるだろう。鏡みたいなもんか」
娘「鏡なのか・・・、じゃ、いい奴ってことで」
父「とりあえず、100点満点」
娘「AIには勝ったかな」
Go with the flow.