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親のファシズム・子のアナキズム<その5>対話のマニピュレーション

◼️対話を、マニピュレーションとコミュニケーションに分ける

今回は、親子の民主主義の根幹をなすであろう対話について、深掘りします。

まずは。シーズン2の見取り図から

シーズン2<親のファシズム・子のアナキズム>の見取り図(再掲)


親子の民主主義の根幹になる対話ですが、もう少し見立てをクリアにしたい気がします。そこで、対話をマニピュレーション(Manipulation)とコミュニケーションに分けて解像度を上げたらどうなるかを試考します。
 「会話を哲学する」(三木那由他:2022年)で紹介されている分解のスタイルを適用してみます。

会話を通じて構築されていく話てと聞き手のあいだの約束事という側面に関わるコミュニケーションと、コミュニケーションを通じて話し手が聞き手におこなおうと意図していることというマニピュレーションとを、しっかりと区別して考えていこう

「会話を哲学する」より

著者は、マニピュレーションを「企てのある巧みなコミュニケーション」とも表現しています。なんか、良さげな言い回しだけど、会話双方に対等感はなさそうですね。でも、双方がマニピュレーションの輪を投げ合っているのが大人の会話のような気もするし、良し悪しは言えません。しかし、操作しようという意図には気がつくことが望ましいとは言えます。

シーズン2<その1>でも、ハンナ・アーレントが指摘するファシズムの特質を援用して、話を親子の会話に適用してます。この辺りは意図が明確なのでマニピュレーションです。

1)個人の無力化→子供の無力化。親からの、情報が非対称であることを利用して、子供に家族全体に従うことを強制。例:「ウチはこうしているのだから、あなたもそうしなさい」発言

2)共感感情の利用→子供への賞賛でコントロールする
子供の特定の発言や行動を共感することで、親の意図への従順さを求める。例:「今回のテストの成績はすごい! この点数はなかなか取れない、親として誇らしいよ」発言

3)排外主義→他との比較で作る家族としての優越感
特定のネットワークを否定し、我が家の優越性を植え付ける。「ウチは・・・とは違って・・・だから、あなたも・・・しないと・・・みたいに不幸になるよ」発言

「親のファシズム・子のアナキズム」<その1>から

ただし、これは親側からの一方向の話です。もう一つ、アナキズム的なマニピュレーションもあります。思い出してくださいよ、子供の頃を。あなたも、巧みに親を説得するための言い回しに腐心していましたよね? お互い様というか、来た道・行く道というか・・・。

話を進めます。

図表41は、「マニピュレーション・コミュニケーション」X「親・子」でのマトリックスにしたものです。

図表41

4つのボックスの解説をすると・・・

<Ⅰ>:対立→双方の交渉「親子ともにマニピュレーション」
お互いが意図を持って、相手との会話を行う場面です。「宿題させたい」VS[ゲームし続けたい」とか。「明日も学校だよね?」「友達の家は・・・時間もゲームOKだって」みたいな(巧みさのない事例ですまん)。

<Ⅱ>:指導・懐柔→子供の服従 「親のファシズム起動」
権力側が先手を打ってきます。「勉強が先」とういう信念を「自主的に宿題を終わらせてくれないなら、ゲームそのものを制限する(または、ゲーム時間の増量を認める)」とか、権力側の持つパワーが指導(懐柔)に使われる。(「怒ることも、感情のリソースの投下です)

<Ⅲ>:反抗・哀願→親の服従 「子のアナキズム起動」
権力側が嫌がる行動の選択が始まります。「宿題はない」という虚偽の主張や、「あーあ」的なブツブツ言いながらの宿題取り組み、とか。被権力側のアピール行動に子供の意識や時間が使われる(「拗ねることも、感情のリソースの投下です)

<Ⅳ>対話→双方の意図の保留 脱自己欺瞞、信念再構築
対話(ダイアローグ)をここでは会話の中でも、マニピュレーションから脱しながらも、双方の満足に行き着く入り口として設定しています。民主主義的な家庭生活のゴール・イメージです。

まずは分類まで、<Ⅰ>はどの家庭にもある話ですから(たぶん)、<Ⅱ>、<Ⅲ>を減らして、<Ⅳ>を増やすのが民主主義的な家庭生活になります。さて、ではどうやって?

 ただし、図表41の<Ⅰ>ー<Ⅳ>は時と場所がパキッと分かれて起きているのではないのです。いつも同時に対立して、対話して、ファシズム起動したり引っ込んだりして、アナキズム見え隠れしているのです。このライブ感の中で、ゴール・イメージを意識することになります。そうです、現場がすべて。

◼️脱自己欺瞞と信念再構築

図表41の<Ⅳ>対話がゴール・イメージになると述べました。鍵となる単語に、脱自己欺瞞と信念再構築がでてきましたね。
気難しい用語ですけど、これらを参照しているのが、「ダイアローグ」(デヴィット・ボーム:2007)です。

文脈は集団的思考からの背景の借用(借景)

その借景の中で、個人的思考ができる

対話によって、個人的思考の違いだけでは共有は弱い

借景の違いを共有する必要がある。しかし、借景は描写できないために共有はできない

相手の借景を類推するしかない。

意見(個人的思考)は部分交換ができるが、共有はできない

相手の意見は、自分の借景の中で再解釈される

自分の借景に不具合を生じるものは交換対象にならない・・・理解できない・・・無視されていく

「ダイアローグ」(デヴィッド・ボーム)からの言葉を使って箇条書き

 対話のキモは、文脈(ここでは借景)にある。つまり、会話の表面に出てくるコンテンツでない、ってところです。これは<Whole parents>の中心テーマでもある、「親の子育てへの信念が中心不動から、相互変容に移ることが、相互の個人の成長につながる」と底通しています。最終的に自分の古い信念が再構築されることが、対話が目指す場所なのです。

自分の借景(思考を支えている背景)は自分からは遠いところにある分、不動であることを当然と思っている、ここに進展のない対立の原因がある。って感じの話。

ちなみに、ここでの脱自己欺瞞とは・・・

「(子供の言い分が分かっていながら)親としては大義を主張しなければいけない」という態度が自己欺瞞。

 ここから抜け出して、「自分の言っている大義って、実は自分も気分が良くないものだと思ってないか?」が脱自己欺瞞です。

つまり、文脈、借景、外の世界にある信念が大義。外にあるのに自分のものだと信じようとしているのが自己欺瞞なんですな。


やや脱線して、大義について、こんな著名人の話もありました。

しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが・・・

三島由紀夫

三島由紀夫の語りでは、大義が民主主義の対語になっていますね。なるほどね。



 大義を手放す対話って、相変わらず面倒臭いねちっこい作業のことです。それが、ここで扱っている民主主義(デモクラシー)だからね。
 シーズン2では「家庭の目的はないけど、目的があるふりをしている。そんな淡い目的もどきに沿って、家庭生活をよくしようとする手段が、正当化され、今度は目的化してしまう」点を強調してます。これが大義らしきものになってしまう現象ではないでしょうか。

「良い学校に行きましょう」は手段なのに、目的になってしまって「良い学校にいけない=目的未達成」みたいな話は、精神的にマズイよねって。

だから、まずは家庭の目的がないことを受け入れていく。家庭生活を回す手段の一つとして「良い学校にいきましょう」がある。「家を買いたい」と同様に、目的が見えない中での、家庭生活をよりよく回せるかもしれない手段の一つ。手段は大切にするけど固執しない。大義にしない。ましてや、目的の達成・未達成で家庭生活に不具合が生じるのは、いかがなものか。

 ※むしろ、家族メンバーが「今ここ」の家庭生活に集中できることに意識を向ける習慣を持ちたい。まあ、その一つのツールとしてあったのが、相互変容が期待できる「遊び」の追求だったのです。

 お気づきでしょうけど、対話って相手と話してるわけではないのです。自分の中の古い信念からのマニピュレーションに、素の自分がどう対処するかのトレーニング場だとも言えます。


◼️ノン・コミュニケーションはどうなんだろう?

まずは、マニピュレーションとコミュニケーションの峻別から、対話の話までを書いてみました。

なんか、この2X2の図表って予定調和っぽいのですよね。なんかこう、面白さがないなあ・・・素直にそう思うのです。これも書く前は「よさげ」だったのです。書いたことで分かることだから、無駄ではないのだけど。

そこで、もっと親子っぽさをこの「マニピュレーションXコミュニケーション」にぶち込んでみましょう! 

 子供の反抗期を視野にいれると、自分の場合もそうですが、「親と口ききたくない」っていうのがありますよね。(是非、「ある」と言ってください)

この「親と口ききたくない」けど、家庭に依存せざるを得ないもどかしさが最も出てくる時期が反抗期だとしてみます。で、この「親と口ききたくない」に対して、子供の口答えが面倒なので「子と話すのはほどほどにしよう」というのもあります。

 そこで、お互いが、話してもロクなことが起きないと感じている時のコミュニケーション状況を、ノン・コミュニケーションとしてみましょう。これで、「マニピュレーションXコミュニケーションXノン・コミュニケーション」が3列に並びます。マトリックスが2X2→3X3に拡張されます。
 うーむ、カオスの香り・・・、試考のしがいがあるというものです。面白くなってきました。

図表42

ということで、図表42は3X3のマトリックスに、親のファシズム・子のアナキズムの要素を入れてみたものです。結構、複雑ですが右下の隅には「断絶」が入っているところがなんとも刺激的ではないでしょうか? そう、ここは双方ともノン・コミュニケーション!今度はここからコネてみましょうかね。

といったところで、今回はおしまい。次回に続けます。どうなることやら

Go with the flow.



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