Ice.の読みもの
エピローグ
8月14日の夕方6時ごろそれは始まった。
義理の母の誕生日であるその日は、毎年家族が集まって早めの夕食を取るのが習わしで、今年もそうだった。
団欒の宴会もそれぞれがそれぞれのことを始めて中弛みと思った時それは始まった。
そもそも3日前から調子が悪く、胸の痛みを感じていて、その症状は、長く続くエピローグからクライマックスへと移っていった。
キッチンで話をしている姉妹の言葉をBGMにのんびり酔い覚ましをしていた時、この数日続いていたその胸の痛みが再度私の体の中で動き出した。
体の中に飼ってはいけない悪いやつを飼っていて、ニュルッと顔を出したといった感じだ。
大丈夫、大丈夫、落ち着け、落ち着け、と心の中でその悪い奴に訴えかけるのだが、今回はあまり機嫌が良くないらしく、顔を出すだけにとどまらず、胸の中に存在をアピールしてきた。そいつのことを、悪い奴と言い続けるのもなんだか悪い気がするので、奴に名前をつけよう。日頃は大人しくたまに具ぜって、見た目は可愛いが、怒り出したら手がつけられない。命名-Bull-だ。
今回のBullは、機嫌が良いとは言えない。そう感じた私は、彼に与える餌を探す。
確かラスト1個残っていたはず。餌やりになれていないので、この3日間くらいで既に3つの餌を与えるのだが、うまくやれているのかどうかわからない状態だった。探し物とは欲しい時に見つからないものだ。そうこういっている間に、Bullも諦めたのか気の迷いか落ち着いてくれた。これまでの期限の損なえ感と違いがあったので、昔から弟のように可愛がってくれているDr.Dに電話をしてわずか数分前に起こったことを相談した。彼からのオピニオンとしては、早めに医者にかかったほうがいいということだった。私がいたところからDのいる病院までは、車で15分というところだろうか。一番近い病院が5分でいけるR病院。10分でいけるC病院。洗濯はその3つだった。内容を理解して、電話を切って部屋に戻り、姪っ子と電話の内容を話し、Dの診たてについて話をしていた。その時はBullも機嫌を直して、体の奥深くに戻っていってくれていたので、できればあと二日、お盆休みが明けるまで、おとなしくしてくれているといいのいなどと、感じていて、姪っ子からは Bullの餌?あったよとテーブルの上にわかるように置いてあった。
テーブルの上にたまたま置いてあったタンブラーには、冷たいお茶が入っていて、まずはそれを飲んだ。昼前に作ったと思われるそのタンブラーの中の液体は、氷が溶けて、お茶の風味のあるミネラルウォーターといった感じだろうか。冷たい喉越しがとても気持ちいい。この辺になると私にも笑顔が戻り、隣に座っている姪や甥と笑い話すらできるよになっていた。今日は大人しくこのまま眠れるといいななどと考えたそのすぐあと、全速力でBullが覚醒してきた。今回は本気だ。宥めすかすなどできないことがリアルに感じた。
車前に持ってきて!そう姪っ子にお願いする。何も聞かず前でいい?と聞き返すのみで静かに立ち上がって車を取りにいった。その間餌やりだ。Bull落ち着いてくれよと思いながらその餌を口の中に入れる。舌先で、それを飲み込まないようにしていると、真夏ではあるが全身から涼しい汗が沸いてきた。
出発
物静かに姪が家に入ってくるその頃やっとBullに餌を見せて落ち着かせようとしているが、そう簡単にはいかないようで全身からの冷ややかな汗はその量を増していく。車きたよと、姪っ子に声かけられて、傍にいた甥っ子に、お前もついてこいと命令。(なかなか偉そうな叔父である)二人は淡々として慌てている様子はなくとても頼もしかった。玄関を出て車に乗り込むまでのほんの数名取るがとても長く感じた。正直いうとこの段階でおそらく視野は目の前だけになっていただろう。門扉のところで誰か叫んでいたようの秋もするが、それもあまり頭に入っていかなかった。助手席に乗るように姪っ子に指示され、言われるままその席へ、二人も乗り込み出発だ。R病院でいいのと聞かれ、瞬時に色々なことを考えたが、何は無くとも近所でまずは落ち着かさないといけない。今回は違う。まずはR病院に、まずは近くの受け入れがありそうな病院を目指そう。車は家のまえの路地を、走りR病院に向かっている。あ~ぁ!少し息ができるようになってきた。何やら道が違うのではと思いどこへと聞くと、細い道でトラブルに巻き込まれると、間に合わなくなるからなるべく大きな道をいく。前後左右がよく見えている自慢の姪っ子である。その言葉は私を少なからず安心させた。割と信号にも恵まれてもたつくことなく病院へ、R病院校内に入る信号だけが、受け入れるのを拒んでいたような気がした。Bullに与えた餌は、ようやくその効力を発揮しだし、奴は大人しくなってきた。R病院校内に入り、救急外来横につけようとする姪っ子に、駐車場に入って良いよ。歩ける。過去、BLSの研修で何度も訪れたことのあるこの病院は頭に地図が入っている。外来までも歩ける。むしろそのほうが受付は早いと考えた。
前に一人、後ろに一人のボディーガードを連れた要人が救急外来に入っていくような格好で中へ。真ん中にいる私が良人というより、要注意人物に見えるだろうなと思いながら、救急外来に、受付は、姪っ子に任せて受付をしてもらう。
日曜日の午後7時過ぎ、コロナが流行っているせいか?それとも元々そのくらいの人が押しかけるのかと思えるくらい外来には人がいた。
程なくして名前を呼ばれ来院の経緯を看護師さんに伝える。横で姪っ子が、ニトロペンは、6時50分で、それが2度目の発作である旨をしっかりと伝えてくれた。誇張することもなく、さらにはしっかりと要点を押さえた申し送りのような口調で。
ファアーストオピニオン
黒黒田さぁん!そう呼ばれて待合から処置室へ。胸が痛いといって来院したのだからもん深夜らなんやらの前にまず心電図。そうだよねっと思いテーブルの上に横になる。看護師の〇〇です。胸に電極つけますね。なので上脱ぎましょうか?Tシャツを脱ぎ上半身を露出させて心電図を撮られる。胸だけかと思いきや、両手首両足首もクリップのようなもので、その時周りの空気が変わった。少なくとも一人の足音は早足になり、二人の声は大きくなった。
マジか!これリアルな奴だよね。そう思ったら、Drの〇〇ですいなくなったかと思ったら違うDrが、現れて、、、。たまたま隣が受付などを行なっているカウンターだったので、話の内容は筒抜けである。
心電図の記録シートを持って、あっ!っていうNs。すみませんトイレに行ってもいいですか?何せ上半身はだかで、酔いも覚めてきて、膀胱はもう溢れんとしていた。
がしかしその思いは砕かれた。体を起こせないので、では尿器を持ってきますねと笑顔で言われて、じゃあ我慢しますといって諦めた。
入れ替わりに、黒田さんもしかすると他の病院に移ってもらうかもしれません。と伝えられる。
じゃあできればDr:Dのいる病院へと言いかけて口籠る。その後いろんなNsが来ては蛙を繰り返し、横のカウンターでは受け入れ先を探している。これって私のことだよね。多分。おそらく。間違いない。と思考を発展させて時、すみませんもし可能ならN病院へ行きたいと伝える。Nsはご期待に添えるかわかりませんが、、、。その時カウンターでは、10分後ドクターカーで再生回と、他のNsに申し送っていた。しばらくすると、小柄の女性が横にきて現状を伝えてくた。Dr.の〇〇です。心電図を見たところ心筋梗塞を起こしていると思われます。現在当院での処置に時間がかかるため可能な限り、じん速に処置できる病院を探したところ、再生回が引き受けてくれました。もうすぐドクターカーで、S病院に向かいます。所要時間は15分程度だと思われます。少しお待ちください。
確かこの時点では4・5人の人に一瞬で身包み剥がされて、全裸になっていたはず。
それから10分そんなに時間はかかってなかったロウけど、とても長く感じた。ドラマだとこんな時、色々な人が走ったり電話したり、他のClが、運ばれてきたりする風景が、スローモーションでVになっているのだろうが、あれはスローモーションなどではない。常人ではない情報を頭の中に入れ現状把握をしようとしていて、CPUがスペックオーバーしている状態なのだろう。
そんな思いも整理つかぬまま、黒田さんドクターカーがつきました、S病院へ行きますよ。とまた小柄なDr.に声かけられた。
ドクターカー
じゃあ黒田さん移動します。とDr。隣に二人の男性が立っていて、よろしくお願いしますと声をかけられた。二人は制服?タクシーで行くの?なんで2台?
全裸に何か一枚かけられただけの状態でストレッチャーに移される。自分で移りましょうかと聞くと、120%否定されて、こちらでします動かないで特技を刺される。さて出発である。
今回初の寝ているベットが動く瞬間だ。天井しか見えていないしその天井が上から下に降りていく。変な感じ。いきなり周りが暗くなり移動式私の寝床が止まる。次の瞬間、トラックの荷台に乗せられるようノア感じで、そのドクターカーノ中へ滑り込む。はっきりいうと滑らかな滑り込みではなかった。あっ後ろ外れとる。ちょっと待ってください。よかあんたは前さんのって!はいこれでよか。そういう言葉が発射されては消えていく数秒間だったが、ちょっと面白かった。元来プロはプロに徹するべきで、うまくいかなかったら謝罪をしなくてはと思う私なのだけど、その時の会話は、楽しく受け入れた。
行き先は、S病院だったですねと確認をして、後部ドアが閉まり、二人の男性が運転席と助手席に座り、準備完了。
DrのFですよろしくお願いします。ご家族は後ろからついて来られます。運転席でもそれでは出発しますと合図を送り
Drは振り返り今度は私にFです。S病院まで一緒に行きますと優しく声をかけてくれ車は走り出した。
今すごいことを言っていなかったか?後ろからついてくる?
そおそも私が乗っているのは、緊急車両であって、ハイエースタクシーではないはず。
などと考えたが、まあいいかと考えることを諦めた。
その車は、私のイメージでは、近代的な装置が無数にあり、いついかなる時も対応可能になっているのがドクターカーだと思っていたが、私のそれとはお世辞でも一緒ではなかった。それはさておき、R病院構内を出て一般道に出る、予定で行くと15分、やけに揺れる。
車は大きく右に曲がる。あくまでも推測だがそこでバイパスに乗ったのだろう。あとは直線だ。前の方では、昼間同じところを走ったのだろう、昼間はすごい渋滞しててねと、なんだか日常感満載だった。車はわ大きく揺れていた。もうどの辺を走っているのか。わからないくらい頭の中ではCPUがクロックを回していた。
と思ったらS病院つきましたと、声をかけられた。さてここからが本番である。
カテーテル
黒田さんS病院につきました。これから中に入っていきますよ。それではこのまま中に入っていきます。右に曲がりますよ。頭から。循環器科のDr.Cです。淡々と、病状の説明を受けた。これからカテーテルを右腕からするそうだ。それで問題があったら、右鼠蹊部からのカテーテルに切り替えるとのことだった。元々鼠蹊部からだと思っていた分腕からなのかという驚きもあった。何より、Drの説明がとてもわかりやすく、私とBullに、訴えかけてくるようだった。
頷いただけだったか、わかりましたと言ったか覚えていないが、カテーテルを使った処置をすることを同意した。初めてのカテーテル驚くほどの痛さは最初の麻酔。これだけは安定したクオリティーだ。手首で操作しているが少し手間取っているようだ。Bullが嫌がっているのだろうか?
入りました。では始めていきます。と告げられた後が、なんとも言えない違和感。いや、確実に嫌な感じだ。手首から肘を越えて、脇の下でもたついている。決して痛くはない。何度も言おう。気持ち悪いのだ。笑笑。
何やら胸のところに物が動く違和感があり間も無くDr.が、黒田さん、梗塞を起こしている箇所があまり良くないので、もう一度鼠蹊部の方からカテーテルを入れますね。いいですか?と言われ、ねと言われいいですかはないだろうなどと思ったが、お願いしますと答える。今度は右の鼠蹊部に、あの安定の痛みを受けて、カテーテルを入れる。安定した気持ち悪さだ。お腹のの赤を 逆流してくるものが次第に胸のほうにくる。すると俄に心臓がどくどくと言い出した。これまた気持ち悪い。流石に気持ちよさを求めてはいないが、ここまで気持ち悪いと笑えてきた。
誤解のないように付け加えておくと、とっても痛いとかとっても嫌いというのではなく、笑えるほど気持ち悪いということにしておいてほしい。
循環器のDrが横に立たれて、今回の梗塞の箇所が、カテーテルで、シャントを展開して経過観察という場所ではない。できるだけ早く血液の流れを再開してあげないといけないと告げられ、まだ若いし手術をお勧めします。そう持ち出されて、いやいや冗談でしょうと言える状況でもなかったし、至って冷静に受け止めた。返した言葉は、”マジか!”でした。私の記憶が確かだったら、”マジです。”と答えが帰ってきたように覚えている。
その後の説明を受けた後、外科の先生を呼んで相談をしますね。と告げられた瞬間は、必要か必要でないのか相談だろうと思っていたがが、おそらくあの時は、日程的な相談だったのだろうと今ではわかる。
それほど時間の経ってない時に外科のDrが来られて同じことを説明される。開胸ですか?と聞くと、そうですねと答えが返ってきた。この時に感じたことは傷が残るなぁ!だった。手術は怖かった、寝てるだけだとは分かっていたが、手術しないのも怖かった。またBullが、怒り食うのが。つぎにBullが怒り狂ったら、そこまでかなって気持ちは、既にあったので、わかりました、先生にお任せします。よろしくお願いしますと告げた。
その名があれで、では手術前に梗塞箇所に、血液の流れを作るポンプを入れますねと言われ、そのポンプとやらが中に入ってくる。定位置に収まると異様なまでに心臓の拍動を感じ、これでいいのかと確認すると、どうもそのためのポンプだということの説明を受けた。
明日の手術までの準備はできた。いざICUへ。
アイスケアユニット
カテーテル室を出て、布切れ一枚で全裸の私は、極寒のCT室を出て、ICUへ向かう。途中の多目的ルームの横を通る。ストレッチャーはそこでしばし進みを止める。そこには4人の家族が立っていた。母・姉・神さん・弟だ。ドラマなら今から手術室に入るので、みんなから声をかけられて行ってきますというシーンだが、今回は、一旦ICUで一晩となる。私自身は自分のことなので仕方ないが、みんなには多大な心配を長時間かけることになる。以前大腸癌の手術を受けている母は、やはり肝が座っている。仕事のことを神さんに伝え対応をお願いし、みんなに、がんばってねと皆に声をかけられ、ICUへ。ICUか~ぁ!と考えていたらふとこの言葉が浮かんできた。”アイスケアユニット”。私の相性がIce.なので、私をケアするためのユニットだ!こんな時までバカである。
ここで、建物1っカイトはおさらばだ、次はいつ地上に戻って来れるのか、エレベーターで4回に上がり、アイスケアユニットへ(ICU)。中に入ると、ちょうど真ん中あたりにストレッチャーは吸い込まれた。あまり覚えていないが何やら身体中に色々と繋がれ出したのはこのあたりか?な。
黒田さん。隣のベットへ移りますよ。ご自身で動かれないでください。(なんだか聞き慣れてフレーズ)体は軽々と浮かび、隣のベットへ。そこには、エアマットのベットだった。割と?いや結構いい感じの寝心地だとその時は思った。
しんぞうげかのDr,か来られて、状況の説明とこれまでの経緯をもう一度聞かれて、その後これからの流れを教えてくれた。家族には、私から伝えますから。と約束してくれてお願いしますと答えた。
どのくらいの時間が経ったのだろう。流石にもう真夜中か?時計もなければ、iPhoneも手元にはない。 私の視力で探したところで、今亜現在が何時なのかもわからない。Ns?Dr.たくさんの人が目まぐるしく動き回っている。ICUというところは、やはり昼夜関係ないんだろうとこの時感じる。そのおかげで、ここに寝れているのだから。
どうしてだろう。とても喉が乾く。唇、口の中が、乾燥して痛いくらい。
どうしてだろう。下半身のベットに設置している面だけが異常に汗をかく。
そのうち神さんが、Drの説明を受けた後アイスケアユニットへやっってきた。日頃聞き慣れた彼女の声は、一瞬で心が休まった。先ほど伝えた明日以降の多方面への連絡の残りを伝えながら、まぁ~いいか。という気持ちにもなってきた。後々聞いたのだが、この時点で2時を回っていた。みんなは、夕方6時から7時間。ありがとう。
とても長く、とても短い時間がこれから進んでいく。
明日のオペは、開胸手術。ドラマで見たあのガリガリってやつで胸を開くんだろうなぁ。痛いのかな?いや、麻酔はかかっている。痛くないはず。帰ってくるかな?帰ってきたいな。来週のクライアントさんの手配は、任せたので良いとして、WEB予約は止めてなかったな。あっ!誰か入ってきた。天井しか見てないな。これって全然見えてなくても入ってくる情報は変わらないのでは?なんだか騒がしいな?外が明るくなってきたのか。前もより良かったね。色々身のあることからないことまで頭は休まることを知らない。
おはようございます。本日手術になります。何時からですか?まだわかりません。、、、。
心休まる暇もなく朝を迎えた。
胸筋を開いて首脳会談
黒田さん準備ができたみたいです。手術に向かいましょう。
また天井がスクロールする。
どこをどうきたのか全くわからないまま手術室に。えっ!こんなにあっさり始まるの?
では、眠くなりますよ。数を数えてください。の次の瞬間。私は、相変わらずベットの上にいた。
周りにたくさんの人がいて、みんなから押さえつけられている。喉の奥に何か詰まっているような?うん?息ができない?苦しい気がする。一度落ち着こう。いややはり空気が吸えてない気がする。このままだと窒息する。チョークサインをしてわかってもらいたい。だが私の手は拘束されていて動かすことができなかった。
そう手術がすみ、麻酔が切れて覚醒した瞬間のパニックだった。懸命に麻酔かけて、手術してくれたDr.には悪いが、この時このまま死ぬのかとも思った。後々考えると、知識としては、頭に入っていたはずなのに。いざ自分のこととなると勝手なものだ。
暴れるので、再度沈静をかけて私は大人しくなる。多分なっていた。喉のやつ抜きますから、あーって言ってください。その後週間で、その奥まで押し込まれていた何かが抜けてなくなるのを感じた。多分。のはずだ。
というのもこの辺から、翌日朝くらいまで、寝ているのか、起きているのか、楽なのか、きついのか?よくわかっていなかった。そんな中覚えているのは、すごく懐かしい顔ぶれが、夢に出てるる夢だった。だがその夢は毎回追いかけられて逃げ惑う夢。よほど現場から逃げ出したかったのだろう。
手術も終わり次に待ち構えるのは?リハビリである。夜のうちから明日のリハビリを言い渡され、明日は立って歩いてもらいますから。聞いてはいたが、本当に、翌日から経つんだね。驚くやらナットすくるや。そしてもう一つ、翌日から、食事も始まった。生きている以上食べなくてはならないが、あまり食べる気にならない。とはいえ、頑張って食べて。久しぶりの食事。なぜか箸を使わずスプーンで、その時気づいたことが。全く遠近感がないのだ。スプーンで救って口に運ぶのだが、口の手前でスプーンを返してしまいこぼしてしまう。どうして?と考えたが、そんなにお腹が空いてるわけでもないので、食べることをやめた。それでもお粥半分は食べただろうか。ここだけの話だが、この後この時こぼしたミートソースの匂いがずっと取れずに苦労した。
そしてその後、待ちに待ったリハビリである。(不安しかな)理学療法士さんが横にきて、黒田さん。今日は起きて50m歩いてみましょう。と告げられる。まぁ50mくらいなら。それが何のリハビリになるの?などと考えたが、そんな考えは、無知の産物だった。二日ぶりに枕から頭を離す。いや話したい。話せと言われている。が、簡単ではなかった。枕から頭が外れると今度は姿勢維持。前に、後ろに、右に、左に、全ての方向に倒れそうになる。これはいかん。少し気合を入れないと。気合いで体を起こして、倒れないように姿勢制御。ゆっくり体を前にずらして、ウォーカーへ。おそろおそるたってみる。やった出来だではなくて、その不安定感はなおも続いていて、理学療法士さんからのスタートの声。不安定さと、それによる恐怖と、やってやるという負けん気と、指示に従う従順さが頭の中を駆け回る。黒田さん結構いけますね。と褒められて、色々なくなって心の隅っこを撫でられる。(単純である)ICUの中を50m歩いて終了。
終わった時は、結構な冒険に出て帰ってきたような満足感もあった。
アイスケアユニットとの別れ
そして午後、二日間の私の居場所から、移動する。ICUから一般病棟へ、アイスケアユニットが移動する。新たな冒険の始まりだ。
では黒田さん一般病棟に移動しますよ。その言葉と共に、これまでお世話になった、パドックのようなカーテンの中から移動が始まる。また天井がスクロールするだけでどこへ向かうのか見当もつかない。さてどのくらいの距離を進むのかなと思っていたら、案外すぐ。同じフロアーの反対側だっった。個室に入る。大部屋とどちらがいいですかと言われたが、消極的に、個室を選んだ。一泊9200円と引き換えに、私が受けられる恩恵は?入院などしたことない私は、色々と考えて、個室に決めた。
ストレッチャーから、個室のベットへ。ICUはエアベットだったのだが、一般病棟はそうではなかった。普通のマットレスで、少し違和感を覚えた。
これまでもそうだが、場所が変わると自己紹介のラッシュだ。一般病棟編は、Nsの〇〇攻撃。正直、顔を覚えるのは苦手で、顔の識別は最近のIce.の視力ではどんどん難しくなってきている。ましてや、マスクにシールドをつけて名乗られてもちんぷんかんぷんだ。緊急で、最初の病院nに入ってから、今まで何人の人に名前を教えてもらったのだろう。覚えておくのは無理だ。なので、すっぱりと、覚えることを諦める。
この日から毎日のルーティーンが始まる。
検温・血圧測定・血糖検査・食事・服薬。1日3回のこれが始まる。
その日の夕食がくる。あまり食欲ないなと思いつつお粥だけは完食する。日本人のサガなのだろうか?食事が終わると長い夜。2日間の夜は、周りでバタバタと動き回る中だったので、ゆっくりできずあまり寝れてなかった気がしていたので、個室ののでゆっくりできることを期待した。
Nsの見回りは、10時・0時・3時・6時奇しくも全てにおいて挨拶を交わすことができた。
お薬出しましょうか?と言われて2度出してもらったが、全く眠気が刺さず、寝れたと思ったら、追い立てられる夢を見て起きでしまう。覚醒したか通ったら、ゆっくり眠りに落ちていく感じで呼吸がとあった気になって起きる。の繰り返しで朝を迎える。
一般病棟の朝がやってきた。
首輪が外れる
朝がきたということはもう食事が来てしまう。あまりお腹がが減っていないので食べたいと思わない。プラス味がおかしい。やはり病院食は、こんなものなのだろうか?
色々と、体に繋がれてい管が、一つづつ減っていく。首輪が外される感じだ。
導尿が抜けたので、トイレも自立した。さてちゃんとおしっこできるかな?ベットから起き上がりトイレに行き便座に座ってちゃんとできた。
幼稚園に行けるね。笑笑
この日家からの届け物があった。iPhoneと、Mac。これで暇つぶしのガジェットはできた。というか、仕事のキャンセルの電話やら、LINEやらをやっと自分の言葉で、クライアントさんに伝えることができる。ずっと胸の奥に詰まっていたものがこれで抜ける気がした。ビジネスLINEや、直接電話、facebookや、twitter。連絡できるすべてのところに、受付を一旦白紙にする旨と、その経緯を伝えた。そして、一般病棟に移っての、リハビリが待っていた。入院中は、電話や、LINEより、こちらの方がちゃんとした仕事である。さて予定通り300m。昨日の6倍である。理学療法士さんがきて、ウォーカーを持ってきてもらい、病室を出てスタート。構造上の距離を元々測ってあって、どう歩けば300mになるのかを教えてくれた。とりあえずそのリハビリ自体は終わったが、のちに自主練を行う。
それ以外の時間は、MacやいPhoneで暇つぶし。なんだかおかしいのだが、私の個室にどなたか見知らぬ人が入れ替わりやってくる。病室にあるテレビは、W画面になってパノラマだったりした。これがいわゆる繊毛というやつだ。これはこれで、一部楽しく付き合ってみた。夢と違い追い立てられないので、楽だ。
ハーフタイム(せんにん会のみんなとあってチャージ)
入院中にもかかわらず、第3水曜日は来てしまう。第3水曜日はオートノミー自主勉強会の日だ。発言をせずに、ROMでの参加だったらできるだろ。iPhoneもあればMacもある.。繋いで皆さんの顔を見てみたい。私の顔を見てもらって安心してもらいたい。そんな思いから、いつもの時間にMacの前で、いつものように。いつものようにというのが味噌である。時間になって皆さんと顔を合わせて会話が始まる。コロナ禍の入院なので、この時やっと社会とつながった気がした。この日は、まだ2週間後の石巻研修に参加するつもりでいたが、その後それを諦める。まだまだ体力的にも傷的にも無理だということがわかったからだ。諦めるのが早かったので、飛行機のキャンセルもホテルの間セルもできた。飛行機は満額とはいかなかったが、半分は戻ってくるらしい。
力を分けてくれたメンバーに感謝だ。
ドレーチューブからの解放
翌日すべての体につながっている管が外れ、単独でシャワーを浴びることもできるようになった。日々何かが回復していっている実感があったが、少しずつではあるが、夜の睡眠時間が長くなっている。夜から朝にかけてのNsの巡回に気がつかない日が出てきたり、朝食の後に、睡魔に侵されてそのまま寝てしまっていたり。手術からの緊張が抜け、回復するための準備がそろったといった感じがした。2時間ほどしか寝れなかった時から比べると運霊の差だ。一晩4回のNsとのご挨拶も、1つ減り、最後には、気づかないくらいになった。
寝れるようになったのと同時期に、呼吸が楽になってきた。空気を吸える。体中に新鮮な空気を入れて浄化したくなる。回復していく、できなかったことができていく。
土曜・日曜は、何の検査もない。一日3回半のリハビリは、すでに日課になっている。
わたしの住む家は6階にあるので、6階まで、寒暖で上がれると助かる。もちろんエレベーターはついているが、万が一ということもあるので、6階まで時間をかけて、ゆっくり階段を上がる。だが結構きつい。
週末が過ぎて新たな週が始まる。手術後1っ週間である。CT・レントゲン・血液検査。まとまった検査を1日で受ける。そろそろだ。検査を受けたその日は、Drから嬉しい一言を聞けるかと楽しみに待っていたが、その日はどなたもお越しにならず。翌日午前Dr回診の時に、待ってましたの声を聞いた。退院できそうですね。来週いっぱいくらいまで吐いてもいいですよ。と言われてもわたしとしては、今すぐにでも表に出たい。では明日の午前に退院します。ということになり、神さんにその旨を伝えてた。
母と姉そして帰宅
神さんは当日お仕事で迎えに来れないといことだったので、代わりに姉が来てくれた。入院して初めて部屋に入ってきたのが姉で、最初で最後だった。コロナ禍で面会のできない状態だったため、姉が病室にいるのがすごく違和感。すでにその時には、荷物のパッキングも済ませ、何日振りかの私服に着替え、靴を履き、その時を待ち望んでいた。姉に荷物を持ってもらい病室を出て、詰所の横を通る。おせわになりました。と声をかけるも皆さんお磯がいい様子で、あまり言葉を交わすこともなく病棟を後に、1階に着くとそこには母も来てくれていて、退院できたんだたって感じ。
生産を済ませ車に乗り込み家路に着く。時間はちょうどお昼時。母と姉そしてわたしとで、ランチに行き、家に帰る。久しぶりの我が家は何も変わらずそこにあった。
ちゃんと歩いて帰ってきました。
終わりに
8月14日から25日までお10日間の病院生活を記録したものである。
まずはこの場を借りて、わたしの治療にかかわっったすべての方にお礼を言いたい。
また心配をかけてしまった家族・友人・知人にお礼を言いたい。
取り乱さず淡々と支えてくれた神さんに感謝だ。もう少し完全復帰まで時間かかりそうなので、今後もよろしくお願いします。
普段から運動し、脂分の少ない食事を心がけていたわたしなのに、冠動脈症候群という考えても見なかった疾患に侵されてしまった。如何なる病も絶対にかからないということはなく、誰しもが、その脅威にさらされているのだなと実感した。個人的なことだが、この時期のこの手術のおかげで、5回目の国体は辞退ということになたのは、とっても残念。また来年以降に、チャレンジだ。今後は、これまで以上に、意味のある人生にしたいと思っている。
また新たに私に与えられた、人生に心残しのなように、最後まで大事に過ごしたいと思う。
これからもよろしくお願いします。共に白髪の生えるまで。わたしはすでに真っ白なんだけど。