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書くことはカタルシス

旅に出るといいながら、別の場所で書かずにいられないのは書くことが浄化作用になっているのだとおもう。
大したものは書いていないのだが、そして溜まったおりもなさそうなのに文字を並べると浄化された気分になれる。

それがクセになってしまった。
お酒をそれほど飲まなくなったからなのか、noteを書くようになったから飲まなくなったのか。
少し違う。

書くことを覚えたから。
なんでもないことでも言葉にすればカタルシスを得られるから。
おしゃべりで発散することもない。
ひとり暮らしになって気楽、喜楽と謳歌しているが、気がつかない何かが溜まっていったのだろう。

それがいつのまにか浄化できなくなっていた。
読んでくれる人が多くなると、ただ自分のために書くだけではなくなる。
毎日更新は義務になり、お礼の訪問は混乱を招くようになった。
浄化どころか、違ったものを取り込んでしまう。

何食わぬ顔をして出奔したとコメントされたが、まさにその通りだと思う。
今後のありかたは思案中。
以前の住居へも時々掃除に行くつもりだ。

それにしても、書くことがこんなにも浄化作用があるとは思わなかった。
noteの存在に感謝しよう。
月や空を眺めるのも浄化を求めているからだろう。
それに浄化されたいものを抱えていたことも発見した。

今日は仕事はお休み。
「チャーリーとの旅」に私もついて行こう。
また読み返したくてとうとう購入してしまった。


月桃
グァバ
新生姜


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