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[お好み焼き屋] 鶴橋風月(つるはしふうげつ)の歴史

 今回は、お好み焼き屋の店舗を全国展開する、鶴橋風月(つるはしふうげつ)の歴史について解説します。

 1989年10月、株式会社イデアを経営していた五影隆則さんが、大阪・鶴橋の老舗お好み焼き店 『鶴橋風月』の経営権を取得しました。
五影隆則さんは、戦後の大阪・天満の狭い路地に老夫婦2人が開いていた、「毎日開店していて、安くて美味しい、しかも接客も上手い」と有名で繁盛していたお好み焼き屋 風月の常連客でしたが、1985年に起きた政府の為替操作(プラザ合意)による急激な円高や、1987年から行われた日銀の低金利政策によるバブル経済など、物価の上下が激しかった1980年代を生き抜いた、最高の商売人でもありました。そのため五影さんは、戦後直後の1945年頃から 小麦粉の値段が高騰したので、水に溶いた小麦粉の中に大量のキャベツを使用するお好み焼きが主流になったり、1948年にどろっとしたとんかつソースが発明され「とんかつソ-スをお好み焼きやたこ焼きにかけると旨いじゃん」と言うことで関西にお好み焼き文化が広がったので、お好み焼き屋が多数できた中、主に肉や野菜の出汁で味付けしていた他の店とはひと味異なる、魚介類からにじみ出るうま味を活かしたお好み焼きを発明し、大繁盛になったお好み焼き店『風月』を経営していた老夫婦に認められ、老夫婦が必死に編み出した味を守り続けながら、お好み焼き屋『風月』の店を全国につくって風月の味を多くの人に広める、後継者に選ばれました。五影さんは店名を『風月』から『鶴橋風月』に変え、以後 鶴橋風月の名前でお好み焼き屋を経営することになりました。

五影さんが『鶴橋風月』の経営をスタートした1989年年末には、資産価格の上昇による国内の経済の活発化があり、日経平均株価が3万8915円の史上最高値を記録したほど、日本中の景気が良く、売上げや利益も伸びました。その上、この年 東ドイツやルーマニアなどヨーロッパ諸国で民主化革命が起き、アメリカ大統領 ジョージ・ブッシュとソ連共産党総書記のミハイル・ゴルバチョフが1989年12月会談を行い冷戦が終結し、それまで社会主義圏と資本主義圏との間は自由に貿易できなかったため、日本の商社や工場は利益が少なかったのですが、冷戦が終結し自由に貿易できるようになったので、会社の利益は増え日本経済はさらに良くなりました。また、日本だけではなくアメリカ経済も良くなり、アメリカ政府がさらに国内経済を発展させるために低金利政策を行い、銀行からお金を借りやすくした事により、数々のベンチャー企業が生まれインターネットの新技術が発達したのでヤフーやアマゾンなどが大会社に成長しました。そして、これらの企業から優れた技術を提供してもらう事により、日本でもライブドアや楽天など多くのインターネット企業が生まれ、巨大な雇用がうみだされました。このように、好景気だったこともあり、鶴橋風月社の取締役 内田氏によると同社は知名度がなかったのですが、多くの有名な商業施設が出店させてくれたので、多くのお客さんに来てもらう事ができたそうです。

そのため、五影さんはどのように集客しようかということはあまり心配せずに、優れた調理技術を持った若手を育成したり、焼きそばやたこ焼きなど、どのようなサイドメニューを置けばお客さんを喜ばすことができるか考えたり、世界の人口増加による食肉消費量の増加を受けて、家畜の飼料に使う大豆・小麦などの国際価格が値上がりした、1990年代初期の物価高の中 いかに値段を上げずにお好み焼きの味をキープするかを集中して考えることができました。

 鶴橋風月社は、1990年7月、大阪市港区の駅前に店を出しました。
港区は、1989年 阪神高速道路が完成し、高度経済成長期から松下・シャープなどの家電産業が人口の多い大阪で商売をはじめた時、そちらの家電を売る商業が盛んになり商業地の地価が高くなり、人口も増えた大阪市西区と行き来がしやすくなったので、水族館 海遊館や巨大なショッピングモール 天保山マーケットプレースが新しく建てられるほど、住宅地街として栄えていました。
そのため、港区の駅前に店を出した鶴橋風月社は、売上げ・利益を上げることに成功したので、そこで資金をゲットし、以来 大阪府以外にも店舗をつくり、ビジネスを大きくすることができました。

 鶴橋風月社は、売上げ・利益を伸ばしたので、1997年8月から事務作業を効率化するために、事務所にコンピュータを導入することができるようになりました。
1995年にマイクロソフトが、安価だが、カラフルなWebページを表示でき、さらにプリンタやマウスなどの周辺機器をコンピュータ本体につなげば、複雑な操作をせずともすぐに使える画期的なコンピュータ『Windows95』を発売しブームとなったことをきっかけに、ソフトウェアの開発・販売を行うマイクロソフト社と同業他社 ネットスケープコミュニケーションズ社との間で、技術開発競争(ブラウザ戦争)が始まりました。
こちらにより、Webブラウザの機能が飛躍的にリッチになったコンピュータを導入したり、1998年11月からポスレジ(会計の際に、お客さんの注文内容を記録するレジ)を導入し、さらに本社と各店舗をネットでつないで、各店舗でのお客さんの注文内容を本社で把握することにより、鶴橋風月社は「どの商品がよく売れるか」などを考え戦略を練ることができるようになりました。

2000年4月、鶴橋風月社は、お好み焼き屋『鶴橋風月』店舗を関東に進出させました。

バブルが崩壊し地価下落が起き、各企業が土地を担保に銀行の融資を受けられなくなり、倒産・ビジネス縮小が相次ぎ日本の景気が急速に冷え込んでいきました。
1997年、大手金融会社「三洋証券」「北海道拓殖銀行」「山一証券」などが相次いで経営破綻し、1998年日本政府が銀行を資金不足・経営難から救うため、大手銀行21行に合計1.8兆円の公的資金を注入しましたが効果がなく、さらに「日本長期信用銀行」「日本債券信用銀行」が破綻してしまいました。資金を注入しても効果がない事を悟った政府は、2001年から金融制度改革(銀行が証券子会社・信託子会社を設立できるように法律を変えること)を実施し、銀行が銀行業以外でも稼げるようにしました。そのため、銀行は経営難に立たされることが少なくなり、銀行から各企業に融資できる金額も増え、2001年の輸出額は2000年より約2.7兆円も減ったのですが2002年には2001年より輸出額が3.1兆円以上増え、同時に国内の製造業も儲かるようになり、失業率も低下しました。2002年の日本のGDPは2001年より1%増加し、日本の景気は少しだけ良くなりました。

そのため、鶴橋風月社は景気が良くなってきた中で、お好み焼き屋店舗を関西だけでなく関東でも経営することにより、2012年に起業家の支援をする会社「北浜グローバル経営」などが市内に建てられ、大阪市外に本社や支店をもたない規模の小さな卸売業の会社が増え、他市からの人口流入も起き 2015年には人口が約269万人にまで増加した大阪市に、2015年、上手くいけば売上げが倍増するが建てるためにコストもかかる路面店を建てられるほど売上げを伸ばしました。

 鶴橋風月社は、人口の多くなってきた大阪市をはじめ、戦後直後の昭和20年(1945年)に東京の浅草の駄菓子屋で、それまで植民地だった台湾や他のアジア諸国から米を輸入できなくなり米の値段が50倍にまで跳ね上がり、庶民が米を手に入れにくくなったので、当時「節米料理(米を節約した、ボリュームのある料理)」として愛されていたお好み焼きの「だし汁を沢山入れて味を濃くしたバージョン」であるもんじゃ焼きが発明されてから、そちらが関東の他の地域に広まっていっただけで、お好み焼き文化のなかった関東圏にも出店し成功させたので、鶴橋風月社は社会から認められ出資され、2001年2月、資本金(他の会社などから集めた、会社が事業を行うために出資されたお金)を9,400万円まで増やすことができました。活動資金が多くなった鶴橋風月社は、冷凍お好み焼きを開発し、同年7月からコンビニエンスストアで発売しはじめ、自宅でも手軽に鶴橋風月の味を楽しめるようにしました。こうして、「地元のお好み焼き屋『風月』を経営していたおばあちゃんから引き継いだ、美味しい味を多くの人に食べてもらいたい」という、創業者の五影社長の夢がまた1つ叶いました。それだけではなく、鶴橋風月社は2002年には九州、2003年には北海道にまで店舗を広げました。

 鶴橋風月社は、好景気の波に上手く乗り儲けたので、2006年10月から鶴橋風月の新業態、お好み焼きダイニング『kirara風月(「鶴橋風月」の店よりも、より凝った美味しいお好み焼きを提供するが、その代わり提供までに時間がかかる店)』の営業を開始し、さらに2007年12月に韓国1号店をたてた事から始まり、以降海外進出を進め、やがてシンガポールにも店をつくりました。2010年、シンガポールは小売りによる企業全体の売上げが、2009年より15.1%も増えました。こちらのデータを見たシンガポール政府は、外資系の進んだ小売企業を国内に呼び込めば、もっと売上げが伸び景気もより良くなるんじゃないかと考え、2011年はじめから、国内で活動する外資系企業には法人税を軽減する・助成金を支出するなどの誘致戦略を開始しました。こちらを利用して、シンガポール店を経営してもっと儲けようと考えた鶴橋風月社でした。しかし、シンガポール店の経営はあまり上手くいかなかったようで、2012年3月に閉鎖せざるを得なくなりました。

2011年9月、鶴橋風月社は、マレーシアに店舗をつくりました。しかし、2012年12月にはマレーシア店を閉鎖しなくてはいけなくなりました。

マレーシアは2010年、7.1%のGDP成長率を記録したものの、主要貿易相手であるヨーロッパの経済が悪くなっていたことから、輸出が減り2011年のGDP成長率は5.1%まで落ちました。
2009年10月に、ギリシャの財政赤字が公表数字より大幅に膨らんでいるということがバレ、それまでユーロ圏の諸国は財政赤字がGDPの3%以下だと信じられており高くなっていたユーロへの信用が一気に崩れ、世界中の投資家がユーロを投げ売りした結果、2008年には「1ユーロ=1.47USドル」だったのが2010年には「1ユーロ=1.33USドル」まで落ちました(欧州債務危機)。それによりヨーロッパは世界から自動車や化学製品を輸入できなくなり、生産が低迷する結果となりました。また、ヨーロッパ企業の株価も暴落したので、大手銀行が破産するという大事件が起き、ヨーロッパの社会は大混乱となりました。
ヨーロッパへの輸出が減ってしまっただけではなく、外国からの輸入量も減ってしまったので、食料品や原油価格が高騰し、マレーシア国民の生活は苦しくなりました。

そのため、鶴橋風月社は景気の悪いマレーシアに出店し、儲からず出店から1年後にマレーシアから撤退するハメになりました。鶴橋風月社は、メニューのクオリティを維持するために、海外には直営店を出すという方針なので、直営店を出すための人材を採用するために多額の資金が必要だったので、マレーシア店の失敗は同社に大きな損害を与えたそうです。

 鶴橋風月社は、2014年10月、台湾の百貨店内にて実演販売(無料で試食してもらい、気に入ってもらえたら買ってもらう販売方法)を行いました。こちらの中で鶴橋風月社は、台湾では日本産の魚介類が人気であることを知りました。
台湾には日本の寿司屋が進出しており、また首都台北にはお手頃価格で食べられる鉄板焼き屋がありそこで「安全・安心・美味しい」と有名な日本産の魚介類も食べられているので、台湾では日本産魚介類が人気です。
以前は、日本とチリが両国間の貿易で関税を撤廃する自由貿易協定を結んでいるため、安く手に入るチリ産のイカを食材に使っていた鶴橋風月社でしたが、こちらを知ってから、同社は国産イカを使うようになりました。すると行列ができたので、これはいけると思い同社は2016年1月から台湾に本格進出しました。

 2017年7月、鶴橋風月社は京都にニュースタイル店舗「風月CLASSIC京都(通常の鶴橋風月の店とは異なり、京野菜のサラダや鴨肉の串焼きなど京都風のメニューが売られている店)」を新規オープンしました。また同社は、同年12月に、シンガポールのチャンギ国際空港(映画館やゲームセンター、エアコン完備の室内公園などが入っており、世界中の航空サービスを格付けするスカイトラックス社が毎年発表する「顧客満足度ランキング」で毎年上位に位置する空港)内にフードコートを新規オープンしました。

2022年10月、鶴橋風月社は、漁師町・日生(ひなせ)の家庭でよく食べられている、牡蛎のお好み焼きの作り方を参考に、季節限定で、鶴橋風月全店で岡山県日生産の牡蛎をお好み焼き・焼きそばに贅沢に加えて提供するサービスを始めました。
普通 カキをお好み焼きの具材として入れると、水分が多すぎてべちゃべちゃになったり焼く間に牡蛎が縮んでしまってプリプリ感がなくなってしまったりするのですが、調理前に牡蛎に片栗粉をまぶすなどにより、日生の主婦はこれらの問題を克服しました。そちらを知ったことも、鶴橋風月社が牡蛎のお好み焼きを無事提供できたヒミツです。

2021年5月から、日本政府がイギリスからアストラゼネカのコロナワクチンを大量購入したので、日本はイギリスと自由に貿易ができるようになりました。イギリスは2021年、日本から車両や電子機器など(機械類)を2020年より多い44億1700万ポンド分も輸入してくれました。2021年は1ポンド=151.0円なので、かなりの利益になります。
EU離脱により年1000億ポンド(約16兆円)の損失が生じ、お金に困っていたイギリスと2020年10月に結んだ「日英包括的経済連携協定(日本が輸出している自動車に、イギリス政府は関税をかける という取り決め)」により、自由に貿易ができず 日本は自動車をイギリスにあまり輸出できなくなり儲けられなくなりました。
しかし、コロナワクチンを大量購入したことにより、2021年中頃からイギリスへ自由に自動車を輸出できるようになり、2022年はじめより日本経済は緩やかに持ち直してきました。失業率は去年より0.2%ほど低下し賃金もゆるやかに上がってきましたが、賃金が上昇してきたのは一時的だと考える人が多いためか、預貯金が1万円増加しても消費支出の増加幅は、最も大きい世帯で250円というデータが出ていたので、日本国内経済はあまり活発化しませんでした。

そのため、鶴橋風月社は日本経済があまり良くない中でも、季節限定商品を売り出した事により、売上げ・利益を伸ばすことができました。

今後 鶴橋風月(つるはしふうげつ)社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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あなたはアマゾン派?楽天派?
<亀田の柿の種>

<なとり チータラ>

次回は、たこ焼き屋の店舗を全国展開する、築地銀だこ(つきじぎんだこ)の歴史について解説します。



サムネイル内で使った画像の引用元:
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270306/27047962/

https://fugetsu.jp/

https://fugetsu.jp/?p=3027


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まあに(SSR)
その100円が、まあにのゼンマイを回す