[讃岐うどん店「はなまるうどん」] 株式会社はなまるの歴史
今回は、讃岐うどん店「はなまるうどん」店舗の経営で有名な、株式会社はなまるの歴史について解説します。
2000年5月、創業者の前田さんが、「はなまるうどん」第一号店木太店を香川県高松市に開店しました。
創業者の前田英仁(まえだ ひでと)さんは、服をメーカーから仕入れて小売業者に販売する卸の仕事をしていたので、市場調査する癖が付いていました。香川県の出身でずっと昼食にうどんを食べてきたので、行列のできるうどん店にはどのような特徴があるのか興味を持って調査したところ、繁盛しているうどん店に訪れる客は、男性が90%、女性が10%でした。また、お客さんが中高年の方に偏っていることも分かりました。そこで、若い人にも楽しんでもらえるような、カジュアルなイメージのうどん屋をつくりたいと夢を語ると、古本販売・リサイクルショップの運営を行っていた会社 株式会社フォー・ユーの経営者に認められ、前田さんはうどん屋をつくる資金の一部をフォー・ユーから出してもらえることになりました。若い人にも入ってもらえるように、店内をカジュアルでポップなデザインにする・うどんだけではなく天ぷらや温泉玉子などうどんの上に載せると美味しいものも販売し、お客さんが自分好みのうどんを作って食べられるような、エンターテインメント性を持たせるなどの工夫をすることにより、第一号店の高松木太店には、前田さんが手応えを感じるぐらい若い人が入ったようです。
1997年から1999年にかけて全国の雑誌やテレビが「香川県讃岐うどん巡り」を爆発的に取り上げたため、2000年頃には日本中でうどんブームが来ており、うどん屋の店舗数も増え、香川県のうどん生産量は、1980年代は1年1万トンだったのが、2000年代前半は1年5万トンまで爆発的に増えるほどでした。そのため、当時は特に、香川県はうどんの激戦区とされ、丸亀製麺やどんどん庵などの大規模なうどんチェーンも、当時の香川県には出店しませんでした。
その中で堂々と、香川県の讃岐うどんの本場と言われる高松市に出店し、利益を上げたはなまるうどんのスゴさには驚かされます。
2002年 4月に、はなまるうどん社は香川県外の岡山県倉敷市へ初出店しました。
当時日本では、はなまるうどんがこだわっている、さっぱりとしているがほのかな甘さがある独特な味は、讃岐うどん用に県が小麦のオリジナル品種の開発・改良を進めており、毎年 県や県内の製麺所が集まってつくられた本場さぬきうどん協同組合が主宰となって、うどん職人No.1を投票で判断する「さぬきうどん技能グランプリ」が開かれるほどうどんの味に情熱をかけている、香川県民にしか理解されないだろうと言われていました。
それでも県外進出したい はなまるうどん社は、香川県で消費量の多い魚介類 アジ・サバが岡山県でも愛されている・香川県で消費量の多いトウガンが、岡山県の家庭でもよく食べられており、年間約1170トンも消費されているなど食習慣が香川県に似ている、岡山県に出店したら儲かるかな と考え、岡山県に出店しました。
全国でうどんブームが起き、わざわざ他県から岡山のはなまるうどん店舗まで、自動車で来る人も増えたので、自動車利用者の増加に貢献したと、はなまるうどん社は新聞で大々的に取り上げられました。
「関東地方に住んでいる人も自動車ではなまるうどんを食べに来れるように、関東にも店を作りたい」
そのように考えたはなまるうどん社は、2002年 9月 東京へ初出店し、「はなまるうどん渋谷公園通り店」を東京都渋谷区に開店し、大繁盛しテレビ東京でも取り上げられるほどになりました。
自信を持ったはなまるうどん社は、全国に店舗を増やし、各店舗にうどん麺を供給するために、関東や四国などに製麺工場を建てました。
しかし、うどんブームが終わり 2005年には不採算店舗が続出、2005年の一年だけで31店が閉鎖されるほどでした。売上げも減り始め、資金繰りが困難になったはなまるうどん社は、2006年 株式会社吉野家ディー・アンド・シー(現・株式会社吉野家ホールディングス)の子会社となり、資金援助をしてもらえるようになりました。
2015年 4月、はなまるうどん社は、マレーシア1号店「ミッドバレー・メガモール店」をクアラルンプールに開店しました。
当時、マレーシアのナジブ首相がマレーシアの株式ファンドから約7億ドルの賄賂を受け取ったという疑惑が出、ナジブ首相の地位が危うくなっていました。追い詰められたナジブ首相は、日本の進んだ技術を積極的に取り入れマレーシアの生産力を上げ、2020年までに先進国入りを果たし国民の生活を豊かにする と宣言し、2011年9月には日本から学び、優れた技術者を育てる マレーシア日本国際工科院を建てると宣言しました。そのためにナジブ首相は、当時 日本が実現させたがっていた国連安保理常任理事国入りを応援しようと思い、日本から輸入している14967億円相当の品物より価値の大きい、30867億円相当の品物を日本に輸出したり、積極的に日本の企業をマレーシア国内に入れて稼いでもらい、日本経済に協力することにしました。ナジブ首相は2015年5月、「日本企業がマレーシア国内で営業しやすいように、各日本企業に『この品物・サービスはこの層によく売れる』などのデータを提供する」と約束しました。そのため、はなまるうどん社は、マレーシア店舗を繁盛させる事ができました。
2016年 1月、はなまるうどん社は、本店を東京都中央区日本橋に移転しました。
はなまるうどん社が、採用面接が行われる本店を、香川県から東京に移した事により、日本の中心部でもまれ 洗練された感覚をもった、首都圏に住んでいる学生を採用することができるようになりました。
首都圏に住んでいる学生は優秀で、入社後すぐ
「はなまるうどん社は、加盟者が運営資金の一部を負担してくれるので本部の会社の負担が少なくて済むフランチャイズ店舗の数をとにかく増やし、拡大一本やりの戦略をとっているが、フランチャイズ店舗は社外の人によって営まれるのでどうしても直営店よりもサービスの質が落ち、顧客の人数の減少につながると考えられる。事実、売上げが上がらず 利益が出ないので、潰れた店舗が多くある。ただちにこちらの戦略を変え、直営店を増やすべき」
「2016年に、2017年卒の大学生にwebアンケートを採ると、「最も敬遠したい業種」は「飲食」が20%と、2位以下の業種を大きく引き離してトップとなった。また、2017年2月の厚生労働省の発表によると、宿泊業・飲食サービス業が最も人手不足らしい。このままでははなまるうどん社に入社してくる学生が居なくなると考えられる。『ライフワークバランス推進部』を新設し、調理の仕方や他の仕事の仕方が 誰でも一目で分かる冊子をつくり、先輩社員が後輩を指導するために休日も出勤する必要をなくすなどして、完全週休二日を実現したり、転勤時にかかる費用を全額会社負担にする努力などして、社員の負担がなるべく減るような仕組みを作るべき」
と提案してくれたそうで、2018年の売上げは2017年の売上げより22%増加した約270億円となり、日本の数ある讃岐うどん店業界の中で2位となりました。
こちらを知った、2010年に本店を東京に移転させ、首都圏に住んでいる学生を積極的に採用し、彼らを優れた人事担当に育成し業績を伸ばしてきた和食チェーン「なか卯」は、はなまるさんも、やっと本店の東京移転の大切さに気づいたかと思いました。
2016年 5月、はなまるうどん社は、北海道札幌市の工場を稼働し出しました。
はなまる社は、オーストラリアから小麦を輸入している北海道に、大きな倉庫の付いた工場を建てました。
小麦粉は湿気の多いところに置いておくと、小麦のタンパク質やデンプンを好むダニが沸きやすいので、基本 高温多湿の日本に小麦粉を輸出すると、ダニが沸いてしまい企業のイメージが悪くなるので、外国企業はあまり小麦粉を輸出してくれません。しかし、北海道は高緯度に位置するため、湿気を運んでくる台風や熱帯性低気圧の影響を受けづらく、湿度が低いのでオーストラリアは「湿気の少ない北海道に輸出すれば、ダニが沸きづらいから大丈夫だろう」と考え、北海道に小麦を輸出してくれます。
倉庫内にオーストラリアから輸入した、タンパク質含有量が国産小麦よりも多いのでうどんに固い食感をもたせることができる小麦 ASWを貯めておき、その場でASWと国産小麦とを混ぜ合わせ麺に加工して、全国の店舗に配送することにより、はなまるうどん社は食材調達にかかるコストを低くすることに成功しました。
はなまるうどん社が北海道に製麺工場を作って食材調達にかかるコストを低くした事を知った讃岐うどん業界は、次々マネし出しました。
今後 はなまるうどん社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね
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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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あなたはアマゾン派?楽天派?
<亀田の柿の種>
次回は、ドーナツチェーン店『ミスタードーナツ』の店舗を全国展開する、ミスタードーナツ(日本)の歴史について解説します。
サムネイル内で使った画像の引用元:
https://machinoma.jp/shop/detail/?shop_cd=000030
https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20030329/26885.html
https://lowch.com/archives/4102