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[しゃぶしゃぶ・すき焼き屋] しゃぶ菜(クリエイト・レストランツ)の歴史

 今回は、しゃぶしゃぶ・すき焼き食べ放題で有名なファミレス しゃぶ菜の店舗を全国展開する、クリエイト・レストランツの歴史について解説します。


天下の三菱グループの危機から産まれた企業


 三菱商事の社員であった、クリエイト・レストランツ社の創業者となる岡本晴彦(おかもと はるひこ)氏は、三菱商事の経営陣にいわれ1996年4月から、当時同社が運営していた日本ケンタッキー・フライドチキン社の仕事を手伝っていました。
以前は海外産の鶏肉を使っていたのですが、味がイマイチ美味しくないという苦情が出たので、日本ケンタッキー社は1996年から鶏が食べるエサにこだわり、香りが良く脂肪が少なくてヘルシーな鶏肉をフライドチキンの材料として使う事にしました。しかし、そのようにすると仕入れ費用が高くなってしまい、ウリのオリジナルチキン(1ピース)の値段を人件費の上昇により「1990年代初頭: 185円」から「1996年はじめ: 206円」にまで上げなくてはいけなかった同社は、価格をこれ以上高くできないという危機感から、仕入れ先を変更したり物流コストを安く抑えたり工夫し、原材料をなるべく安く仕入れる必要に駆られました。

日本ケンタッキー社の仕事を手伝い始めた時からわずか3ヶ月で岡本さんは、同社の物流システムを改善させて商品価格の値上げを避けることができました。ちなみに、岡本さんの改善策は最高で日本ケンタッキー社は、アメリカ政府が穀物から作られるバイオエタノール生産を推し進め小麦やトウモロコシの価格が高騰した2008年まで、商品価格の値上げを避けることができました。
このような優秀な働きぶりを認められたので、岡本さんは社長に付きっきりで指導され、ホットパイなどの新メニューの開発に取り組みました。取り組む間、アドバイスを求めて様々な外食企業の社長の話を聞きに行った岡本さんは、洋食レストランの運営を目指すベンチャー企業の社長 後藤仁史さんに気に入られ「一緒に会社をやらないか」と声をかけられました。

後藤仁史さんは、もともと大手住宅販売会社 旭化成ホームズ社のエリート営業マンでしたが、退社後1997年に地ビール製造会社を立ち上げられ、後にレストランを運営することになった人です。
旭化成ホームズ社は、創業からわずか8年後に年90億円の売上高を上げるようになり、1981年から住宅のリフォーム工事も行うようになった大手住宅販売会社でしたが、こちらの会社に営業として勤められていた後藤さんは、十分 商売のコツを学んだと思ったので、1982年に退社されました。その後 後藤さんは、大正時代 海軍の基地があり古くから欧米の国々とも文化交流があるので、イタリア料理やフランス料理に合うお酒の製造が盛んな、神奈川県横須賀市で地ビール製造会社 ヨコスカ・ブルーイング・カンパニー社を設立されました。そちらで、できたてビールや簡単なおつまみを提供する居酒屋を運営していた後藤さんは、1999年に親戚が経営していた老舗焼き肉店から、新規事業の洋食レストラン5店舗の運営を任されました。

後藤仁史さんに「一緒に会社をやらないか」と提案された事を日本ケンタッキー社長に話すと「面白そうじゃないか。やってみたら」と許してもらえたので、岡本さんは1999年5月から、日本ケンタッキー社を退社し以降はクリエイト・レストランツの事業を始めました。

アメリカのソフトウェア開発大手マイクロソフトが1995年に「安価だがサイトがカラフルに映り、マウスやプリンターなど周辺機器との接続が簡単にできる画期的なパソコンのシステム」を開発し世界のネットブームを加速させたり、アメリカ物販大手Amazonの株価が1998年5月に上場時の約6倍にまで上がり世界を驚かせたので、アメリカ経済が期待され円が売られてドルが買われる、円安が起きました。円安なので外国からモノを高く買わねばならなかった影響で、1998年の純利益が前年の65.5%に減ってしまい、三菱商事の経営が傾いていました。

1998年に年間売上高1億円を達成し まだまだ業績が伸びるとされていたローソンの筆頭株主になりたいので資金が必要だが、円安なので「外国からモノを買って日本で売る」事によって儲けることが難しくなった三菱商事は、外食会社を経営してお金を手に入れる必要が出てきました。そのため、岡本さんが創業したクリエイト・レストランツ社は独立した会社ではなく、あくまで三菱商事の一部という位置づけになりました。ちなみにこの位置づけは、2012年にクリエイト・レストランツ社が三菱商事保有株を買い取るまで続きました。

アメリカ経済の復活とともに躍進


 日本経済は2000年10月に景気の山を迎え、以降 景気後退局面に入りました。アメリカの最先端技術でつくられたインターネットが世界で注目されているので、インターネット関係の会社を立ち上げると儲かるぞということで、アメリカでIT系のベンチャー企業が沢山でき同国の景気を良くしたITバブルは、アメリカ政府が2000年初頭から、物価が上がりすぎないように景気を冷やす為、金利引き上げを行ったことにより一気に崩壊しました。結果、日本の主要輸出相手国アメリカへの輸出額は「1998年: 15.5兆円」から「2004年: 13.7兆円」まで減り、日本の失業率は「1999年: 4.67%」から「2002年: 5.36%」まで増えました。また、日本のGDPの推移が「1999年: 469.6兆円」「2000年: 482.6兆円(前年より13兆円増)」「2001年: 484.5兆円(前年より1.9兆円増)」「2002年: 484.7兆円(前年より0.2兆円増)」となっている所を見ても、日本経済が2001年に入ってから減速しているのが分かります。

このように2000年代前半は日本の景気が悪かった上、当時 洋食のファミレスならすかいらーく(ガスト)といわれていたので、クリエイト・レストランツ社は経営が難しかったそうです。「洋食で勝負しても、ガストに負ける」と思ったクリエイト・レストランツ社経営陣は、洋食レストランの店を出しまくるのではなく、洋食レストランの他にも高級寿司屋『雛鮨(2003年~)』やしゃぶしゃぶ・すき焼きが食べ放題の『しゃぶ菜(2006年~)』など様々な業態の店を少しずつ出す「マルチブランド・マルチロケーション戦略」により大きく成長しました。成長企業となった同社は、上海で有名な小籠包専門店『南翔饅頭店(なんしょうまんとうてん)』の運営会社に認められ、同社に協力してもらい、2010年5~10月に上海市で開かれた国際博覧会で小籠包や中華料理の店を出店し、中国の人々の好みを調査する事ができました。

その結果クリエイト・レストランツ社は2012年6月 中国に、抹茶が美味しい和カフェ『抹茶館』としゃぶしゃぶ・すき焼き食べ放題『しゃぶ菜』を運営する孫会社を建てることができました。
当時中国は、まだまだ景気が良くなると考えられていたようです。
ヨーロッパ諸国の通貨 ユーロの信用がなくなり売られて価値が下がり、ヨーロッパ経済がガタガタになった欧州債務危機で、中国のヨーロッパ向けの輸出が減少しましたが、オバマ大統領の政策 減税8013億ドルや失業保険給付565億ドルにより失業率が低下してきて、好景気だったアメリカへの輸出が増加していたので、2012年1~3月期の中国の経済成長率(前年同期比)は8.1%増となり、中国はまだまだ経済が良くなると考えられていました。

また、稼げるようになったクリエイト・レストランツ社は、2012年3月にはイタリア料理店『TANTO TANTO』を7店舗経営するルモンデグルメ社の株を100%買って完全子会社化しました。
ルモンデグルメ社からイタリア料理をつくる技術を吸収したクリエイト・レストランツ社は、2012年4月 ボートが楽しめる池と桜が綺麗なので映画の撮影でも使われる上野恩賜公園に、パスタとサンドイッチのカフェを開いたり、2012年5月 東京スカイツリー前に、本格ナポリピザとパスタの店『VIVA NAPOLI』を建てることができました。

クリエイト・レストランツ社を立ち上げた当初、創業者の岡本さんには社長として飲食店を経営するという経験がなかったので、岡本さんは何をすべきかというアイデアを、従業員から教わることが多かったそうです。中心となってやっているスタッフや飲食店勤務歴の長い先輩の話を聞き、プレゼンテーションを重ね「他にないオンリーワンの飲食店」をつくることを目標に経営を続けた結果、クリエイト・レストランツ社は2013年8月には504店舗を運営できるようになり、2013年10月には東証1部へ上場する事ができました。

アベノミクスが失敗しても、止まらぬ成長


 2013年4月から始まった、アベノミクスの大胆な金融緩和(日銀の札刷りまくりにより円の価値を下げる)により為替レートが「2013年: 1ドル=97.6円」から「2014年: 1ドル=105.9円」に変化するほど円安になり、結果輸出がやりやすくなったので、日本の製造業の会社や輸出商社などが儲かりました。安倍首相はこれらの会社の利益が増えると、同時に労働者の賃金も上がり、消費も増えて日本経済が良くなると見ておられました。
しかし、アベノミクス発動のわずか数年前の2009年末から始まった欧州債務危機(ユーロの信用がなくなり売られまくり、ユーロの価値がめちゃくちゃ落ちた事件)の影響で、欧米諸国の国家間軍事同盟NATOを通じてヨーロッパ諸国と莫大な資金を貸し借りしていると考えられているアメリカの経済が悪化すると考えられたので、ダウ平均株価が2010年7月に5.9%も下がりました。その結果、アメリカ経済が期待されなくなりドルが売られ代わりに円が買われ「2010年: 1ドル=87.8円」から「2011年: 1ドル=79.8円」になるほど絶望的な円高になったので、日本は輸出しにくくなりGDP伸び率も鈍化しました。
その時 日本企業の業績も落ち込んだので、その記憶がある経営陣は
「また欧州債務危機のようなことが起きてドル安円高になり、我が社の業績が落ち込むかも知れないから、その時に備えて会社の利益は従業員に分配せず 会社に貯蓄しておこう」
と考え、増えた利益のほとんどを会社に貯蓄したので、日本の労働者の賃金は上がりませんでした。そのため日本の景気は思うほどよくならず、日本国内の経済活動が活発になればなるほど上昇する日本のインフレ率は、「2014年: 2.76%」から「2016年: -0.12%」まで下がってしまいました。

このように日本の景気が悪い中でも、2013年4月に、有名外食企業を渡り歩いてきたと有名なカリスマ・シェフ渡邉明さんが経営する野菜にこだわった飲食チェーン イートウォーク社や、「繁華街のロードサイド」に居酒屋を出店して繁盛させるのが上手く 2013年の売上高が競合の串カツ田中社のなんと18.4倍の154.4億円も出した大企業 SFPダイニング社と資本提携し、出店の仕方や調理方法などのノウハウを学んだクリエイト・レストランツ社は、2014年年度末に総店舗数が514を超え 2014年度の売上高が前年度より41.3%も増え、営業利益が前年度より37.5%多い37.0億円に達しました。
さらに同社は、2017年に競合のコロワイド社やあさくま社より大きい営業利益を出し、2018年からこれらの企業より株価が高くなりました。
そのため同社の知名度は増し、製麺技術が優れており昭和43年(1968年)の創業時から現地で愛されている、北海道の有名なそば屋「ごまそば遊鶴」と2018年12月から業務提携できるようになりました。これまでは地元で有名なだけだったので、東京や神奈川など関東圏に本社がある飲食店ばかりと業務提携してきたのですが、株価が高くなり存在感が増し日本全国で有名になったので、クリエイト・レストランツ社は北海道の名店とも協力できるようになりました。「ごまそば遊鶴」から製麺技術を学んだので、同社はしゃぶしゃぶやすき焼きのシメに使う、うどんなど麺類を自社生産できるようになりました。
他にも、店舗を工場に近いところに建てるなど物流コストの削減や、徹底したシフト管理による人件費削減などムダのないコスト構造をつくってきたので、コロナ禍で競合のコロワイド社が赤字決算を出してしまった2023年度にもクリエイト・レストランツ社は、2023年3月頃に時短営業への協力金がなくなったにも関わらず、50.8億円の営業利益を出すことができました。円安の進行やコロナ禍が収まってきた事によるインバウンドの回復、来年1月から行われる 日本政府の支援によるバスツアーなど旅行商品の割引(全国旅行支援)が追い風となり、2024年度の売上高は2023年度より247.6億円多くなる見込みだそうです。

今後 クリエイト・レストランツ社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。

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次回は、しゃぶしゃぶ食べ放題で有名なファミレス 和食さとを全国展開する、和食さと(サトフードサービス)の歴史について解説します。
11/20(月)に提出予定です。お楽しみに。

まあに

サムネイル内で使った画像の引用元:
https://kabutan.jp/stock/?code=3387

https://shabu-sai.com/

https://www.jmca.jp/prod/1801

まあには見た!

上の記事から学んだ事:
中国はスマートフォンや産業用機械を輸出する輸出額世界一の工業国なので、環境問題には無頓着というイメージがありましたが、この国の人工林面積が世界一多いと言うことや、中国では天然林の面積も年々増えていると言う記事内データを見て、中国への考え方が変わりました。
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上の記事から学んだ事:
円安や原油価格上昇による物価高で、会社経営にお金がかかるようになったので、日本人労働者の賃金が下がってしまうんじゃないかと心配していましたが、回復傾向にあるインバウンドや半導体不足の緩和などが効いたためか、所定内給与(時間外労働などに対して支給される給与を除いた給与)が上昇傾向なので安心しました。

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まあに(SSR)
その100円が、まあにのゼンマイを回す