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【見ると、施すと】

鍼灸師で易占家の仙亀です。

僕は鍼灸の仕事をずいぶん長くやっています。

鍼灸の仕事は、鍼やお灸を患者さんに施すっていうのが、表面的なお仕事。

でも、その本質は、患者さんの状態をよくよく見るっていうこと。


鍼やお灸で人の体がよくなるって、フツーに考えると、ちょいとおかしい。

針金を人の体に突き立てれば、傷がつく。
もぐさに火をつけて体を焼けば、やけどをする。

フツーに考えれば、人の体に負担をかけているわけです。
でも、現代医療が台頭する前は、鍼灸施術が医療として活躍している時代もあった。

体にちょっと傷をつけてでも、体調を整えることの方が重きを置けた時代。


でも、むやみに傷をつければ万病がよくなるかといえば、そんなことあるはずもなく。

もし傷をつけたらよくなるのだったら、ケガをしたり骨折すればするほど、カラダというやつは無敵になっていくはず。

でも、ケガをしたり体を傷つければ、どんどん弱っていく。


だからこそ、鍼灸師さんという人たちは、見る、見極める、っていうことがとても求められるお仕事。

わずかの傷でも傷は傷。
それを押してでも体調を整えるだけの効果を見出せるだけのリスクを終えるかどうかっていう見極めがとっても大事。

もちろん、鍼やお灸の傷なんてほんのわずかだし、よっぽど無理をかけるわけでもなければ、すぐに治ってしまうもの。

でも、一瞬でも人の体に傷をつけるっていうのは、それだけリスクを負うっていう覚悟は必要。


この見極める力を、僕は鍼灸師さんになる前から、追い求めていたのだろうなぁって振り返ります。

鍼灸のnoteの方に書いたのかなぁ。
野口整体を学んだり、鍼灸の資格を取ってから脈状診というやつを10年かけて研究したり、それ以後、10年かけて東洋占術の易占を研究し続けていたり。

そのどれも、人の体を見極めるということから、人の心理や生活、未来を見極めるっていうところまで、徐々に見るフィールドを広げている。


実際、易占の現場に立った時、施すということがないことに、とても不安を感じました。

クライアントさんに今後の行動指針をお伝えするところで、僕はクライアントさんの人生をお返しする。

鍼灸施術の場合には、もう少し僕の方で施す、ということにかかわらせてもらえる。

でも、そんな易占のスタンスが、実はとても大事で、鍼灸施術のようにいつも頼ってもらって、施されることに慣れてしまう人生って、丈夫にはならないよなぁって思うわけです。

もちろん、人のカラダやココロは常に現代社会というやつにストレスをかけられている。
だから毎日のように鍼施術を施すことで、体調を管理できるのなら、喜んで僕は毎日、患者さんのココロとカラダの支えとなるように術を施します。


でも、社会で生きる、自らの意志を発揮して生きる、っていうスタンスに立つ人に、僕が何かを施すなんてこと、しちゃいけないなぁって思うわけです。

僕の出来ることは、ただただ、人さまの話をよくよく聞いて、必要なアドバイスと先を見通すお手伝いをさせていただくところまで。

書棚を整理整頓していて、僕の過去の書物に触れることで、こんなことを回想しましたとさ。

なんかまだ、いろいろ出てきそうな気もするけど、今日はこれで筆をおきます。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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