借り物の靴を履いて出掛けるように生きてきた
今、わたしはたぶん、重要な変化の途中だ。
うつ病だと10年思われていた後、双極性障害に診断が変わって3年が経ち、この診断も1ヶ月前に覆った。
病気のことを、自分のことを学んで理解しようとすると、次の病気に名札が張り替えられてまた一から自分の理解が始まるような。そんな気持ちだ。
病院で話を聞くたび、新しい病名の候補が上がるたび、自分の本当の原因はこれだったんじゃないかとパズルのピースがはまるような感覚になる。
それと同時に、13年も誰も指摘してくれなかった悔しさや、自分の性格だと思っていたものが実は全部病気の特性だったように感じる恐ろしさが襲ってきて、過去の出来事がみんな昨日起きたことみたいに思い出されて、毎度呑み込まれてしまう。
わたしはずいぶん不器用で、遠回りな生き方をしてきたようだ。
朝井リョウ原作の映画「正欲」を観たときに、わたしの心を少しだけ軽くしてくれる言葉に出会った。
性的なマイノリティを抱えて生きる夏月のセリフ。
このセリフを聞いたとき、ハッと思った。わたしもそうかもしれないと思った。
でも同時に、ちょっと違うような違和感も感じていた。
もっとずっと、わたしは地球に適応しているような。むしろわたしは地球生まれという感じがする。
性的マイノリティと精神疾患は違うから当たり前だけど、自分にフィットする表現ってなんだろう。
今、これまで自分が生きてきたひとつの答え合わせの途中で、自分にはこういう感覚がぴったりだと思った。
わたし、いつも借り物の靴を履いて出かけている。
みんなと同じ見た目をして、みんなと同じ空気を吸っているような気がしているけれど。
サイズが合わない靴だからいつも足が痛んだり疲れたり、どこへ行こうにも遠くまで歩けなくて。
たいていのところでは人と同じだと感じるのに、ほんの少しのところで人より苦労をしてしまう。そんなわたしにぴったりの表現だ、と思う。
でも、靴を脱いでいられる瞬間もある。
わたしのことを嫌いにならないと安心できる人の前で、わたしは自分のことを「変な人」たらしめる要素を気にせずに純粋な会話ができる。
ピースがはまれば、人より抜きん出ることもできる。
わたしの見る世界はたぶん、人とちょっとずれている。
わたしは至って普通の人間のつもりだったけれど、尋ねた誰からも(もちろん彼からも)わたしのことを「変な人だと思う」と言われてきた。
それが、病気からくる無意識の思考の歪みと多動・衝動性だったとしたら。
今まで誰も、心療内科の先生ですらも指摘してくれなかったのはきっと、どの病気も軽度だったからだと思う。
だって、それ自体によって日常生活に支障が出るわけではなかったから。
例えば境界性パーソナリティ障害を疑っても、目に見える自傷行為があるわけではないし、両親とはわたしが知っている誰よりも仲良しだ。
それでも一番近くにいる彼に「この病気についての本を読むと答え合わせのように感じる」と言わせてしまうほどわたしに重なるものがある。
締切は必ず守るし待ち合わせの時間前に着く派だし、机にはずっと座っていられるので誰も疑う人がいなかったのだろう。片付けや人に合わせることはかなり苦手でも、ADHDだから病院に行った方がいいとはわたし含め誰も思わなかったはず。
そのどれも、まだ確定診断ではないので今考えても仕方がないことだろうけど。
わたしももともとそういう気質があるなあとは思っていたけれど、自分にも見えている部分は正常の範囲だと思って必死に自力で直そうと押さえつけてきた。
無自覚のうちに人を傷つけたり、嫌われたりしてしまうから、そうならないように自分の行動と言動全てを制御しようとした。
だからこそ、人より疲れやすくて、落ち込みやすくて、一人反省会をして、だんだん身体がうまく動かなくなっていってしまうのか。
それでも人が当たり前にできることがどうして自分にはできないんだろうって自分を責めて、普通になりたくて、何度も自分を壊した。壊せば壊すほど治らなくなって、働くことはおろか日常生活もまともに送れなくなっちゃうなんてね。笑っちゃうよね。
病気だから治ることは救いかもしれないし、自分の性格だと思っていたものが治さなければいけないものであったことは悲劇かもしれない。
これから検査が始まるので、診断が下るのは1ヶ月くらい先になる。
良い方向に向かっていくと信じることはできないけれど、願うことはできる。
歩みはかなり遅いけれど、体調は良くなっているとわかっている。
彼の感想補足
「治すというと少し言い方が違って、インテグレーション(統合)していく感覚なんじゃないかな。もともとの自分のいいところと病気の特性が混ざり合って、新しい自分になるための。
こなちゃんは今、原石を磨いている途中なんだよ。これから素敵な装飾がついていくの。」
わたしが無意識で人に嫌われて人間関係で苦労してきたエピソードを話したら、「そういう人に何人も出会ったことあるけど、こなちゃんには感じなかったよ」と。
今も同じくらい反省しているから、あなたが少し鈍感なのもあると思うけれど、そう言ってもらえたことで自分は少し遠くまで歩いてこられたことを感じた。