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別れる恋人と結婚する恋人、何が違う?

彼に出会う前、わたしは恋人や自分を好きになってくれた人に対して「この人でいいんだろうか」という不安を常に抱えていた。
勢いで付き合っても、その人への違和感は距離が縮まったことで増幅して、すぐに嫌になってお互い不幸せになってしまわないだろうか。そう思うと、自分に好意を向けてくれる人に対して自分から1歩踏み込むことができなかったし、それに対していつも悩みを抱えていた。

不満はあっても、みんな折り合いをつけて付き合ったり結婚したりするのだろうか。それとも、結婚する相手は本当に赤い糸だとかツインレイだとかみたいに他の人と違うものなのだろうか。

わたしは、後者だと思う。けれど、みんながみんなそうではないことも知っている。

不安だった過去の自分に、今は「大丈夫だよ、焦らなくていいよ」と声をかけてあげたいと思うけれど、タイムマシンがないからそれは無理な話で。
いつかタイムマシンができたときと、昔のわたしのように今悩んでいるかもしれない人に贈る。

とはいえ、わたしにちゃんとした恋人がいたのは学生時代の1回だけなので、偏った経験則となることは否めない。好きになったけれどうまくいかなかった人たちのことも思い浮かべながら書いてみる。


過去の恋人に対する考え方vs今の恋人に対する考え方

「わたしが良くなればいい」vs「全く気を遣ってない」

以前は、恋人に対して感じた不満を伝えるのではなく、自分が我慢すればいいと思っていた。ケンカになって関係が悪くなるのが怖かった。
好かれたい人に対して、自分をより愛嬌や色気があるように振る舞ったり、賢く見せようとしたり、背伸びをしていることも多かった。

今の彼は、不満がない。洗濯物をもう少し防犯に配慮してほしいとか、「僕はこれでいいけど…」といった言い方が気にかかるからどうしたいか言ってほしいといったことはそのときに伝えるし、それによってケンカになったことはない。
出会った当初こそいい印象を持ってほしくて「こう言ったら喜ぶだろうな」というあざとい文言を使っていたが、彼にとってはむしろわざとらしい発言は好感度を下げかねないらしいと後から知った。初めて会った日から背伸びせずに等身大で会話が楽しいと思えた。
そして、今は彼の前では誰もいないときと同じくらい素のままでいる。
好きなだけ変顔をし、意味のわからない発言をして、定期的に奇声を発している(わたしがクレイジーなのがバレるが、誰も見ていない一人暮らしとやっていることが同じと考えてもらうとわかりやすい)。


「彼は自分の全てだ」vs「わたしは1人でも生きていける」

元彼と付き合っていたとき、本気で彼は自分の全てで、全てを捧げてもいいと思っていた。要するに共依存だった。学生のくせに彼の誕生日に10万円以上使った。彼がそうしてくれたから。
彼がいなくなったら死んでしまう!と思っていた。実際は彼がいなくなったら自分が姿を現しただけだった。

今の彼がもし明日いなくなってしまったら、わたしは悲しむけれど1人の生活に戻っていくと思う。わたしと彼の間にある”尊敬”という絆は強いけれどきっと脆くて、切れてしまったらたぶん縋ることもなくあっさりと別れてしまう気がする。
それだけちゃんと、自分は1人でも生きていけるという自信があるということだ。


「時間が止まればいいのに」vs「歳をとっていく姿が見たい」

昔の恋人、好きな人、どちらにも「これ以上あなたのことを知ったら嫌いなところを見つけてしまうかもしれない」と感じる瞬間があった。その人を嫌いにならないために、知らないという選択肢をとりたかった。
そして、幸せの絶頂には「ずっとこのままでいたい」と思った。

今の彼のことは知れば知るほど嬉しい。自分が人に期待を寄せなくなったからなのか、彼の嫌なところがいつまでも見つからないある種の信頼なのかはわからないけれど。
今は時間が止まってほしいとは思わない。歳をとって、体型が崩れて、髪の毛を気にして、ちょっと嫌なおじさんにすらなっていく彼が見たい。
どうして違うのか考えてみたのだけれど、彼にはこれから先もずっと同じように愛情を注ぎ続けてくれるだろうという安心感を持てるからだと思う。交際を始めてから今まで、まだ7ヶ月という短い期間だけれど、彼の愛情の大きさはいつ何時も変わることはなかったから。愛が変わらなければ、自分や相手、世界は定期的に変わっていった方が面白い。


「この人でいいんだろうか」vs「この人だから一緒にいたい」

どんな人にも抱えていた疑問の感情は、今の彼に対して感じることはない。ただ一度だけ、同棲という後戻りができなくなるイベントに向けて不安になったことはあるけれど。
他の誰かにとって、彼やわたしは恋愛対象外かもしれない。けれど少なくともわたしにとって彼は、嫌なところが一つも見つからない奇跡みたいな人なのだ。「結婚するならこの人だな」ではなくて、「彼だから結婚したい」のだ。「幸せにしたい」とか「幸せにしてほしい」じゃなくて「2人でいることがなによりの幸せ」なのだ。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。

ゼクシィのキャッチコピー

有名なキャッチコピーだけれど、わたしはこの言葉が大好きだ。
わたしは1人でも生きていけると思う。でも、あなただから一緒に生きていきたい。そういう人を探して、諦めかけて、不平不満も漏らして、それでもちゃんと巡り会えたんだもの。

わたしは1年前Xにこんなポストをしていた。

結婚ってアラサーになってくると、
好きな人と結婚する
じゃなくて
結婚するために好きになる(人を探す)
になっていくのなんか嫌だな

めちゃくちゃ好きになった人と結婚したい

2023年9月23日のポスト

ほらね。わたし今、人生で一番好きな人と暮らしてるよって1年前のわたしに教えてあげたいよね。



自分の気持ちの変化

「恋愛市場から抜け出したい…」

フリーの状態ってどこに出会いが転がっているか分からないので、「今日行った料理教室で素敵な人がいたらどうしよう!」などと思い始めるとどこに行くにも気を抜いた格好や仕草ができなくなる(実際、パーソナルトレーニングにすっぴんで行ったら兄の大学時代の友人に担当してもらった偶然もあるので、気は抜いたらいけない)。
ひどいと恋人がいるときにも「この人よりいい人がいるんじゃ」と思い始めるのでもはや病的だ。
結婚のメリットとしてこの恋愛のレースから降りられる安心感をあげる人が多いように、21歳から婚活(当時は恋活)を始めたわたしも疲れ果てていた。

さらにわたしの場合、25歳まで比較的清純に生きていたけれどなんとなく納得がいかなくて、2年半ちょっと遊んだ。これでかなり女としての生活に懲りた感じがする。まずまずモテたし、自分は男性の扱いが下手なこともわかった。
恋愛はもう諦め気味だったので、「恋愛はもういいかな…」と思い始めていた時期だった。


「与えることこそ幸福」

以前のわたしは、愛されるために人を愛するような人間だった。人に何かを与えるのは自分がそれを欲しいからで、思った通りのものが返ってこないと勝手に憤慨した。よく考えれば、他人が自分の期待通りに動くことなんてありえないと理解できるはずなのに。

自分で自分を愛することが少しずつできるようになると、人に何かをあげることが幸福になった。
何も返してもらえなくても、その人がもらえたら嬉しいことを想像して渡すことそれ自体で満足するようになった。

そうすると、人に期待をしなくなった。察してほしいと思わなくなった。その人を通した自分の理想の恋愛じゃなく、その人自身を見て愛することができるようになった。

ありきたりかもしれないけれど、自分自身を心から愛せるようになるまでは、間違えた人を愛してしまうと思う

エマ・ワトソン

未だに結婚報道のない彼女の言葉だから信じない!という人もいるのだろうけれど、わたしはこの言葉を支持する。
わたしにとって、自分を信じ、自分を利用しようとする人の手を離すためには、自分を愛するための努力は欠かせなかったから。



最後に:わたしと彼の終着点みたいな言葉


少し前にXでバズってパクツイされまくっている、Fさんの書籍の一節。
5年近く恋人がいなかった先で一生を共にしたいと思える人に出会えた今、この文章はわたしにとってキラキラした答え合わせのように感じた。

なんとなく違う感じを抱いて付き合うことを何度も見送ってきたけれど。
焦ってなんとなくで付き合おうとして酷いこともされたけれど。
この年齢でわたしの理想とする人はもうみんな結婚してしまったんじゃないかと思ったけれど。

手放さなかった理想の先に、わたしのことを理想だと他の何より大切にしてくれる人が。
孤独な、わたしの片割れみたいな魂はいた。


 好きな場所で、好きなことを、好きなだけしている、そんなあなたを好きになってくれる人をまず一番に大切にしたらよろしい。背伸びした自分を好かれたって、もはや仕方ない。遠慮したって、いつまでも埒が明かない。等身大で嘘を吐かず、隠れず、隠さず、堂々と暴れる。好き嫌い、はっきりさせる。それが二十代の大前提です。
 シンデレラはいません。白馬の王子様もいない。
 でも、どこかに特別な一人がいる。同じような魂を持つ、孤独な人がいる。
 そんな一人に出会うまで、とりあえず一人で生き延びるとよろしい。そんな一人に出会うまで、訳の分からないことを言い続けていたらよろしい。好かれることにさえ飽きたら、財布と携帯だけ握り締めて、地図を持たない旅に何度でも出たらよろしい。
 最も痛々しい思い出が、それでも一番美しいのです。

「二十代で得た知見」F



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