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違和感のない同棲についての考察

同棲には悩みがつきもの。それまで他人だった2人が一緒に生きているのだから当たり前だ。それぞれが妥協点を模索し、ときにぶつかりながら生活を形作っていく。
わたしの周りの友人に話を聞くと、初めてパートナーとケンカやすれ違いになったのは同棲を始めた後であることが多かった。マイナビウーマンCanCamなどの記事では同棲後の破局率は42〜80%にものぼる。それほどまでに、同棲というものには大きなハードルを感じる。

しかし、一部のカップルにはそういったことが全くないとも聞く。というか、わたしたちがそうなのだ。
交際して5ヶ月、同棲を始めてからは2ヶ月が経過した。一度もケンカや言い争いをしたことがないままぬるっと始まった他人との同居生活はそのまま違和感なく続いている。今回はその理由を考察したいと思う。
「ケンカにならない理由」は他の同棲中カップルに役立ちそうな、「相性のよさの考察」は理想の恋人を選ぶ参考になりそうな内容となったので、あわよくば役立てていただきたいという思いもある。




ケンカにならない理由

話し合ったわけでも意識しているわけでもないが、わたしたちが大きなぶつかり合いにならない理由がいくつかあるので列挙していく。
彼は「何にも心がけてない。一人暮らししてるときと変わらない。」と言いつつ考え方を教えてくれたのでそれも含まれている。


不満や違和感を溜め込まない

一緒に暮らしていると、自分が当たり前だと思っていたのに相手にとってはそうでなかったことがたくさん出てくる。自分では理解できない相手の行動ももちろんある。
不満や違和感は思ったときに伝える。わたしの場合はそれに至る理由もあると考えるので、その行動をした理由を聞くこともある。後から言われても改善の余地がないし、我慢して何度も不快な思いをしたりさせたりするのはお互いに嫌だ。

相手への幻滅や自己犠牲になる前に、少しでも嫌だなと思ったことは相手に伝えて解決の道を探る。


怒りの感情は建設的な話し合いに不要である

相手に対して何かを変えてほしいとき、そこに怒りの感情は不要である。怒りは自分を疲弊させ、冷静な思考を停止させ、話し合いを対等でなくしてしまう。
アドラー心理学では、人は何かの目的をかなえるために怒りの感情をつくりあげるという。愛する人に自分の願いを通すために怒りの感情を使うのは悲劇だ。
前項にも通じることだが、怒りの感情が生まれるまでさまざまなことを溜め込んでしまう前に、相手に自分がどうしてほしいかを伝えることが重要だと考える。


自分のこだわりを相手に求めない

こだわるポイントや程度が同じである必要はない。無理をして相手に合わせる必要もない。
しかし自分が心地よく生活するための環境づくりは重要であるから、相手のそれが許容できるレベルなのか、相手にも一緒にやってほしいものなのか考え、分ける。後者であれば相手に改善を提案する。

例えば、基本的にはわたしの方がズボラで、部屋の汚れに気づくのは彼。その結果わたしが気になりだす前に彼が掃除をしているのだけれど、彼はこの程度のズボラさは許容範囲だと言う。
わたしたちはこの許容できるレベルが近いので、小さな不満や違和感はあれど今まで大きな改善の話し合いになったことはない。


いい意味で期待しない

わたしたちは「できる人ができることをやる」のスタンスをとっている。
わたしは無職だけれど体調に波があるため、家事はできたりできなかったりする。体調が悪い日はフルタイムほぼ在宅勤務の彼に全ての家事を任せている。逆も然り。
彼はもともと一人暮らしだったので、仕事をしながら家事を全部負担したとしても、一人暮らしと変わらないので気にならないという。
そこに褒めてほしいとか協力してほしいというニュアンスは含まれていない。

1人で生活しているときに1人でやるのは当たり前なのに、2人になると急にやってあげている感が出る。1人のときより頑張ってしまったり負担になってしまったりする。そうなると報酬が欲しくなる。分担して欲しくなる。やってくれない相手、手伝うだけの相手に対して苛立ちを覚える。それが同棲のすれ違いの原因だと彼は考えている。




相性のよさの考察

どうしてわたしたちがここまでうまくやれているのか、それは相性のよさにあると思う。その具体的な内容を何点か考察していく。


守りたいプライバシーの程度が同じ

これはけっこう大きな要因だと思う。
わたしたちはお互いの部屋を分けている。それは就寝時間の違いと体調への考慮(2人とも生活リズムが乱れると体に障る)からで、プライバシーの確保が主な目的ではない。
なので日中はお互いの部屋を自由に行き来する。いつだって話しかけていい。オンライン会議で入ってほしくないときや体調が悪くてそっとしてほしいときは扉を閉めることで意思表示している。
スマホを見られても別に構わないので、お互いのパスコードを知っているし、自分のスマホが手元になければ相手のスマホで検索することがある。
自分が使っていなければ自分のものは自由に使ってもらって構わない。
(だからこそ馴れ初めを詳細にnoteに書いても彼は構わないどころか協力的なのだ)

お互いがこんな感じなので、自分の意識以上に過敏になって相手に配慮する必要がない。自分と同じ感覚で相手にも接しているのでストレスが溜まりにくい。


どちらかの許容範囲が大きい

例えば食。
驚くべきことだが、彼は嫌いな食べ物が一つもないらしい。わたしは少しある。だから、食の好みは少しだけわたしに合わせてもらっている。
基本的にはこだわりは同じだ。食材は安いものでよくて、産地はどこでもいい。ご飯は冷凍でいいし、同じものを2日連続で食べる(彼は毎日いけるらしい)。お互いに料理ができないときは外食に頼る。彼はサイゼリヤが大好きだ。

そして例えば家事。
わたしがドケチで一人暮らし時代にお風呂の水をトイレに再利用していたときは合わせてくれていた。洗濯にはわたしのこだわりが多いのでできるだけわたしがやっているが、体調が悪いときには彼にお願いする。
食器洗いなどのこだわりは可能な範囲でわたしに合わせてもらっている。

わたしたちの場合は主に彼の許容範囲が広く、誰かに合わせても負担に感じないそうなので、どうしても気になることはできる範囲で合わせてもらえるよう交渉している。


コミュニケーションを密接にとる

わたしたちはなんでも言い合える関係性だ。付き合ってから今まで、会話が途切れたことがほとんどない。
彼がそういうのを好きそうなタイプだと認識してから、わたしは2人きりの会話にちょっとした下ネタを挟むようにした。今は深夜ラジオみたいな会話を昼夜問わず繰り広げている。
彼の今までの恋人もみんな知っているし、わたしの恋愛遍歴もすっかり話した。
真面目な話もできる。彼は出来事に一歩踏み込んでなぜを考えるのがうまい。自分の弱いところも、会話のテーブルに出して一緒に考えることができる。

どうしてこんなふうにいろいろなことを話し合えるのだろうか。同い年で、その分忖度がないこともあるかもしれない。自分のコンプレックスを彼に評価されるのが嫌だと思ったら、それも合わせて伝えている。
わたしたちはこの点でもいい意味で相手に期待しないのかもしれない。察してほしいタイミングで察してもらうのなんて不可能だとわかっているから、どこまででも言語での共有を試みる。


結婚が男性マターではない

そもそもプロポーズは基本的に男性がするもの=結婚は男性がタイミングを決められるということに2人とも疑問を呈している
わたしたちの場合、事実婚はわたしの発案だが、同棲に期限をつけたのは彼の方だ。「同棲して◯年経ったら結婚するか別れるか決める」というやつ。
年齢もあって付き合いたてのときから結婚の話はしているが、同棲を始めてからその話題が出ることが多くなった。
わたしは籍を入れたい日程を彼に伝えてある。あとは彼のペースで進めてくれればいいと思うので何も言わないが、結婚の話を臆さず出せる関係性はいいなと思う。




まとめ:違和感のない同棲には相手の見極めが重要である

ここまで書いて気づいたことは、わたしたちの関係性は同棲を開始する前からできあがっていた、ということだ。
付き合い出して早い段階から、過去の恋愛や結婚、今の関係性についてや自分のことをさらけ出していた。初めて会った日から、昔からの友達のように一緒にいて楽だった。
そして、たまたま彼と似通っていた価値観も考え方も、後からどちらかがすり寄ったものではなくお互いが持ち合わせていたものだ。

同棲の成功は、パートナー選びの段階である程度決まっているのかもしれない。だが、お互いの小さな心がけで快適なものにしていくことができる。
ベースにあるものはコミュニケーションだと考えている。いくら似ていたとしても、他人は他人だ。そして、そこが楽しいところでもある。
自分が好きなこと、苦手なこと、してほしいこと、してほしくないこと、考えたこと、これからやりたいこと、できるだけ全部共有する。一緒に住むことは、お互いの全てをさらけ出すこと。心の中もできる限りさらけ出せれば、自分では理解できないと思っていた相手の行動も、コミュニケーションから見つけ出せるかもしれない。
何か遠慮があるなら、その遠慮の原因を見つけるところから始める。時間をかけてもいい。それが2人にとっての大切な時間になるから。

2人って、おもしろい。

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