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これまで誰も経験した事のない社会がやってくる!(その1)

 『人口減少はもう止められない』の記事で、少子化対策をいかに行っても日本の人口減少は止められないということをお話してきました。次にこの破壊的とも言える人口動態が私達の社会、そして私達の生活にどのような影響を与えていくのかを見ていきたいと思います。(ただし、インバウンド消費や外国人労働者の数は今回は考慮に入れておりません)
 市場経済の社会では、市場の拡大と潤沢な労働力の確保が求められます。
それゆえに「人口減少」は市場経済社会に深刻なマイナスの影響を与えます。「市場の縮小」について、ここでは国内市場に限定して将来の姿を予想してみます。

お客さんがいない! 小売・飲食店の嘆き ― 売上が3割減少する!
 2050年には日本の人口は9500万人になり、最も人口の多かった2010年比で、約25%の減、人口にして3300万人が減少し、21世紀末には、2010年比で、実に62%の減少が予想されています。
それだけの人口が減れば、当然のことながら、その人達が毎日々生きていくうえで消費する食物や衣服、住宅にかかる費用、また乗り物に乗ったり、通信をしたり、映画を見たり、コンサートに行ったり、本を読んだり、学校に行ったり、あらゆる社会生活をおくる上での消費がなくなることは自明のことです。総務省の統計によれば、2010年度の家計最終消費支出は、名目で約277兆円ですから、人口減少率を単純に当てはめれば、2050年には消費支出は今より約69兆円減って208兆円に、今世紀末には、105兆円にまで落ち込むことになってしまいます。個人消費は、日本のGDPの約54%を占めているわけですから、40年間の間に69兆円の消費支出が減るとなると、これはたいへんな事です。消費支出の内訳を見ると住宅を除けば一番大きな数字を占める食料・非アルコール飲料は2010年で約38兆円ですから、40年間で9兆円以上がなくなります。他にも、外食・宿泊で43兆円、交通で7.2兆円、娯楽・レジャー・文化で6.7兆円、被服・履物で2.1兆円もの支出が減るとなると、これらの商売をやっている方々には死活問題となってきます。
 もちろん個人消費支出の増減は人口だけで決まるわけではありません。消費支出の増減に影響を与える他の要素としては、働いて得られる報酬(雇用者報酬)と年金や生活保護、雇用保険、児童手当など(社会給付)の総額、金利上昇、株式などの値上がりによる金融資産の増加の影響などがあります。また、核家族化の進行による世帯数の増加が進み、平均世帯人員が減少すれば、1人当たりの消費支出が増加します。
これは、少人数の世帯ほど「規模の経済」が働きにくく、一人当たりの消費額が大きくなりやすいからと報告されています。
 このように様々な要因で増減する個人消費に対し、人口動態を重視しすぎて悲観論に陥るべきではないという意見がありますが、その様々な要因を一つ一つ将来の日本で見ていくと、とても楽観論は取れません。
 そうなると、やはり個人消費支出は大きく減少する前提で対策を立てなければなりません。お客さんが25%減るということは、売上が25%減るわけですが、それではどこもやっていけませんから、淘汰が進み、店や事業所の数が減っていくことになるでしょう。この淘汰は今までのように中小商店だけではなく、大型店といえども安泰とは言えなくなるでしょう。ただ25%の減と言っても、年代によって事情は全く異なります。14歳以下の人口は49%減少するのに対し、逆に65歳以上人口は28%増加しますから、子供服や玩具、菓子業界はもっと厳しい状況に置かれるでしょうし、高齢者向けの事業は市場の拡大が唯一望まれるため、その分、競争は熾烈なものとなるでしょう。  
 しかも、この消費の傾向は地域によっても随分違う様相を呈することになります。高齢者人口が増加すると言っても、これから大きく増加するのは東京都とその周辺、愛知県、沖縄県などで、これらの地域では高齢者向けの消費は伸びますが、逆に、秋田県、島根県、山口県、高知県などは高齢化の最終段階に入り、高齢者人口もマイナスになりますから、こういった地域で高齢者向けの商売も大きく期待できないと言えるでしょう。このように人口減少社会の影響は地域ごとに様々なものとなるでしょう。

観客がいない! - プロ野球に見るレジャー産業の近未来
 
レジャー産業といえば色々なものがあげられます。スポーツ観戦、映画・観劇、パチンコ・カラオケ、遊園地・テーマパークなど。そしてそれぞれの成長条件には、余暇の時間や余暇に使えるお金の拡大、社会の変化、時代時代の人々の嗜好、ギャンブル性、レジャー間の競合、海外からの利用などがあげられます、人口数そして、人口の世代構成の変化もそれぞれの盛衰に大きな影響を与えますが、人口とは関係のない要素で変化することもあります。
    例えば映画は戦後の日本において安価で手軽なレジャーとして圧倒的な人気を誇り、1950年代には年間11億人ほどの観客動員数を誇りましたが、60年代に急激に減少し、70年代以降、現在までずっと、1億数千万人で定着しています。これは、60年代の家庭におけるTVの普及に原因があったものです。このように、各レジヤーの動員数はいろいろな条件によって影響を受けるわけです。
 映画はTVという特別な天敵によって衰退の道を歩んだわけですが、戦後のもう1つの娯楽の横綱でもあったプロ野球はその後のレジャーの多様化や、他のプロスポーツの台頭の中でも、現在に至るまで根強い人気を誇る娯楽となっています。草創期の日本のプロ野球はスタジアムのキャパシティが少ない、今のようにドーム球場でなく、悪天候で頻繁に試合日の変更があった、などの悪条件がありました。
また当時のデータの信ぴょう性の問題などがありますが、1960年代にはおおよそ総人口の10%位の観客動員だったものが、その後増え続け1980年代後半に16%台に達し、その後は、安定して人口の16%~18%程度の観客動員を維持しています。仮に、今後も、総人口のほぼ17%程度の観客動員数を集めると仮定すると、人口減少が本格化してくる2030年以降は急激に減少が始まり、2080年には現在の半分くらいになると予想されます。特に、戦後の娯楽をプロ野球中心に育った世代が高齢化していくことや、レジャー嗜好の多様化を考えれば、実際には、この予測をさらに下回ることになるのではないでしょうか?そしてそうなると、プロ野球球団の経営に与える影響は大きなものがあります。「エスコンフィールドHOKKAIDO」の様にテーマパーク化するなど経営努力が試されるでしょう。
    高校野球の現状もプロ野球の未来にとって明るいものではありません。
日本高等学校野球連盟の発表によると高校野球連盟への加盟数はピークの2005年の4253校から2023年には3818校と約10%減少しており、部員数はピークの2014年170312人から2023年には128357人とわずか9年で25%も減少しています。プロ野球の裾野を支える高校野球人口の縮小は今後大きな影響を与えるでしょう。

読者がいない! ― 新聞社の憂鬱(新聞の宅配システムはなくなる。)
 人口の減少による市場の縮小に加え、社会の変化によりそれが加速される業界もあります。新聞・出版業界です。
 新聞や出版が斜陽産業だと言われだしてから、すでに久しいと思います。しかし、それは今までは主に活字離れの側面から語られてきました。一昔前、総理大臣が記者会見で、「新聞記者は出てってください」と言って、TVカメラだけを残して演説した時代には新聞というメディアが取って代わられるのではと言われました。それだけTVというメディアの速報性と映像の持つ臨場性が、活字媒体を相対的に魅力ないものとさせていたからであります。ところが、現実には、新聞とTVは共存できました。
個々人の好きな時間に見れずにテレビ局の定めたスケジュールを押し付けられ、読者のその時々の心の状態には無頓着に流されるTVに対し、新聞は自分の読みたいと思う時に、何回でも読めるという柔軟性を持っていたからかもしれません。 
 しかし、次に登場したインターネットは、TVとは比べ物にならないほど新聞を脅かす存在となりました。活字媒体から動画媒体、ソーシャルメディアまで装備したオンデマンド媒体として登場したからです。
このインターネットという新しいメディアが新聞・出版の読者を減らした大きな理由ですが、このメディアには、また何か新しいものを生み出す可能性と、これが、若い世代ほど利用されていることに、(逆に言えば、新聞は若い世代に読まれていない)将来の新聞の衰退が加速化されることが予想されます。
 
例えば、衣食住に関わる小売業も人口減少の影響は深刻な問題なのですが、残された人口に対する衣食住の需要は決して無くなることはありません。ところが、新聞・出版物に対する需要は、人口減からくる読者減と新しいメディアに取って代わられるという二重の攻撃にさらされるているので業界自体の消滅さえ考えられるのです。
     新聞通信調査会が行った調査によると、自宅で月ぎめ新聞を購読している人」の割合は、30代が30.3%、40代が42.5%と半数以下なのに対して、60代は73.3%、70代以上が81.3%と主に高齢世代によって支えられているのがよく解ります。ここに新聞の危機の大きさがあります。将来の日本を形作るのが現在の若者である以上、若者の人口が少ないという事実と、若者ほど新聞を必要としていない現実が、ダブルパンチで襲い掛かってきます。
 それでは、新聞の発行部数はどこまで減るでしょうか?一つの仮説にしか過ぎませんが、予想して見る事にします。
新聞の発行部数は今まで、人口と言うよりも世帯数との関連が強いと言われてきました。日本独特の新聞の宅配システムによって、どこの家庭においても少なくとも一紙は購読しているという時代が長く続いてきました。それは、インターネットが登場してもしばらく続きました。ところが、2008年、新聞社にとっての「2008年」ショックが起こったのです。一世帯あたりの発行部数はゆるやかにではありましたが、下降を続け、ついにこの年に、前年の1.01部から0.98部へと初めて1を割ったのです。あくまで数字上ですが、新聞を購読しない世帯が登場したことになります。そしてその後も、ゆっくりと減り始め、2023年現在、1世帯当たり0.49部まで落ちて来ています。
 1人当たり発行部数の減少は止まるのでしょうか?私はこれ以上の減少も可能性があると考えています。人口動態の変化とニューメディアの台頭という相乗作用の中で、予想も付かないほどの変化が起こる可能性があるからです。あるいは、ここまでの減少に至らぬ内に、数社の全国新聞と各地方新聞という体制や、新聞販売店を媒介とした各戸宅配と言うシステムも崩れ去り、予想もできない新しい姿が形作られているかもしれません。いずれにしても、新聞人達の憂鬱は消える事がないのです。


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