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『人生百年時代』というフレーズに騙される日本人

日本人の脳裏に埋め込まれた言葉ー「人生百年時代」

 「人生百年時代」という言葉がメディアで飛び交い、当たり前の様に使われ出して定着しています。「人生百年時代」というフレ―ズ、たった6文字のこの言葉は簡単で覚えやすく、ポジティブな響きがあり、あっという間に人々の脳裏に焼き付けられたようです。
そしてこの言葉の影響力で、あたかも現代を生きる日本人がすでに「人生百年時代」を生きているかの様な錯覚さえ感じさせられます。
しかし実際には現時点で100歳まで生きている人は女性でも全体の6%
男性では1%程でしかありません。言葉の力は恐ろしいと思います。

 そもそも「人生百年時代」のフレ―ズはどこから生まれたのでしょうか?
 アメリカのカリフォルニア大学とドイツのマックス・プランク研究所が調査を行い、アメリカ、イギリス、日本、イタリア、ドイツ、フランス、カナダの2007年生まれの子供たちの平均寿命が全ての国で100歳を超え、日本では107歳にまでなるという驚くべき推計結果を公表しました。
この調査結果を参考に英国のリンダ・グラットン氏が名著「ライフシフトー100年時代の人生戦略」を通じて平均寿命が世界的に伸び、長寿化が進むので、働き方・生き方を変えるようにと提唱したことが始まりです。
そしてこのリンダ・グラットン氏の「人生100年時代」という言葉に反応して、日本で最もこのフレーズを頻繁に使いたがる政治家の一人が小泉進次郎氏です。彼は2016年の時点でいち早く、「人生百年時代の社会保障へ」を発表し、2020年以降を「人生百年時代」と具体的に定義して労働法制や社会保障制度の変更を訴えています。

 老後のライフプラン、マネープランを考えるときに、そもそも何歳まで生きられるかは欠かせない重要なポイントです。これを老後設計でどう取り入れるかを考えなければなりません。。しかし、これは悩ましい問題で何歳まで生きるかで老後にどれくらいのお金が必要になるかは変わってきます。
「人生百年」で計算しなければならないとなると「老後2000万円の貯蓄が必要」などという試算では、「全く足りない」という結論になってしまいます。まさに老後設計で考慮しなければならない5つのリスクの内の一つである「長寿リスク」への対応を見直す必要があるかもしれません。
 長寿リスクでは金融資産はよっぽど多くない限りあてにはできません。金融資産は長生きするほど減って行きますから。長生きリスクに対応できるのは公的年金の充実か、ほとんど拡がらない民間のトンチン年金保険くらいしかありませんが、こうなると公的年金の重要性がよくわかります。特にこれから長寿の恩恵を受ける若い世代が「年金なんてどうせ貰えないから」などと言って保険料を滞納するのは自分の将来にとんでもないつけを回す考え方だと言えるでしょう。

小泉進次郎氏が言うように「人生百年時代」はほんとうに来たのか?


 それでは今、日本人は「人生百年時代」の中を生きて前例のない長寿を享受していると言えるのでしょうか?
2016年に政治家の小泉進次郎が中心になってまとめ上げた『人生100年時代の社会保障へ』というメッセージでは、冒頭で、「2020年以降は人生100年を生きる時代になる」と高らかに宣言されています。しかし2024年も半ばを過ぎた今日、多くの日本人は実際は何歳まで生きているのでしょうか?
 先日敬老の日に、『厚生労働省が公表した9月1日時点の住民基本台帳をもとにした国内に住む100歳以上の高齢者の数は、2023年から2980人増えて9万5119人(女性が8万3958人で全体の88%あまり)で、昭和45年以降54年連続で、過去最多となりました。』というニュースが流れました。あたかも「人生百年時代」が始まっているかのような記事ですが、数だけ言えば、人口ピラミッドで高齢者の数がどんどん増えている状況では100歳以上人口はこれからも増加の一途を辿るでしょう。
しかし全体の数パーセントしか100歳まで生きない社会を「人生100年時代」と呼ぶのはちょっと言い過ぎではないでしょうか?
 それでは高齢者の大部分の人は何歳まで生きるのが一般的でしょうか?
厚生労働省の資料によると平均寿命は男性81歳、女性87歳ですが死亡年齢の最頻値は男性87歳、女性93歳です。要は男性は80代後半、女性は90代前半で大方の人は亡くなるというのが今の現実です。

 先に取り上げたリンダ・グラットン氏の「ライフシフトー100年時代の人生戦略」においても、現在はすでに「人生100年時代」だとは言っていません。むしろ「2107年の世界では100歳以上の人が珍しくない。というより、100年生きることが当たり前になっている」と述べているように、100年生きることが当たり前の社会になって初めて「人生100年時代」と言えるのではないでしょうか?
また今後の平均寿命の延びにしても楽観論と悲観論があり、氏自身は楽観論の立場に立って予想しており、平均寿命の予測には悲観論のベースである「ピリオド平均寿命(将来の死亡率の低下予測を織り込まない)」ではなく楽観論のベースになる「コーホート平均寿命(将来の死亡率の予測を織り込む)」で推測していることを自ら述べています。

 またリンダ·グラットン氏は【啓蒙キャンペーンとテクノロジーの進歩】が平均寿命を押し上げる主な要因だと説明しています。
しかし現代社会は平均寿命の伸長にとって良いことばかりではありません。マイナスのベクトルにいろいろな力が働くこともあります、環境問題、極端な気候変動、パンデミック、感染症、貧富の差、ストレスの増大など現代社会には平均寿命を下げる方向に働く要素もたくさんあるのです。特に貧富の差が著しく拡大している今、人間の寿命を経済的格差を無視して一律に語ることは正しいとは言えないでしょう。
コロナウイルスの世界的流行は高齢者に特に厳しい現実を突きつけました。
戦後右肩上がりで伸び続けてきた日本人の平均寿命が2021年、2022年と2年連続で低下したのです。2023年は伸びが少し回復しましたが、女性87.14年、男性81.09年でそれまでの最高値2020年の女性は87.71年、男性は81.56年まではまだ回復していません。
仮にリンダ·グラットン氏の主張が正しいとしても思い描くほどの寿命の延びは果たして得られるでしょうか?
少なくとも将来「人生百年時代」が来る(すでに百年時代に入ったわけではない)としても、今はまだ「人生百年時代」ではないのです。

「人生百年時代」を利用する政治と企業

 2017年9月当時の安倍首相が「人生100年時代構想会議」を設置してリンダ・グラットン氏を唯一の外国人としてメンバーに招き入れました。これに呼応するように自民党の小泉進次郎氏は『人生100年時代の社会保障へ』というメッセージで2020年から人生100年時代が始まるとぶち上げました。
 狙いは明確です。2つの事、人手不足に悩む労働市場に高齢者を安価な賃金で繋ぎとめること、年金支給年齢を遅らせて給付総額を抑えること、そのためには大部分の人にとっては得にはならないだろう年金の繰り下げ支給者を拡大しようということです。しかし現状の日本社会への問題意識は理解するとしても、『人生100年型年金』への改革と銘打っているが、今の年金制度が高齢者の働く意思や就労を阻害していると決めつけて、その内容は高齢者をより長く働くことで労働人生を拡大することと「年金開始年齢の引き上げについての議論をただちに開始すべきだ」という今までも散々打ち出されてきた意見と何ら変わることの無い内容になっているのです。
 2020年を超えた現在、平均寿命の延びは頭打ちになり、社会は「人生百年時代」というような様相ではないのに高齢者の就労は増え続けています。
若年層は就職しても定着せず雇用の流動化はすでに起こっています。解雇規制の撤廃などは退職したら今より良い労働条件の職を得られない中高年労働者の整理解雇に他なりません。
そして何より問題なのは「人生百年時代」が来るから労働法制や社会保障制度を変更するというよりも、労働法制や社会保障制度を変更するために「人生百年時代」という夢のような言葉を利用している事です。
小泉進次郎氏がほとんどの人が享受することはない2020年以降を「人生百年時代」と呼ぶことには違和感しか感じません。
 今後国民の経済的格差はどんどん拡がっていきます。中間層は消滅し、長寿を拡大する医療サ―ビスは金次第になります。経済的格差に比例するように寿命の格差も拡大していくでしょう。高額な医療テクロノジーは富裕層しか恩恵を受けません。富裕層の「人生百年時代」のために大部分の人達は「ちょっとだけでも老後をゆっくりしたい」という希望もかなえられずに、標準的な年金受給年齢も引き上げられ、死ぬまで働かざるを得ない社会で生きていくことになるのでしょうか。
 国だけではありません。各企業は「人生百年時代」というフレーズを使って高齢者の財布の紐を緩めさせようとしています。特に銀行、保険会社などが「みんな長生きするのだから、投資でお金を蓄えよう」「保険でもしもの時に備えよう」と連日喧伝しています。通販を中心に「長生きするのだからサプリを飲んで健康な毎日を」。言っている事が間違えているわけではありませんが、耳障り良い「人生百年時代」という言葉を乱発しすぎていませんか?

 結論を言えば「人生百年時代」はまだ来ていません。リンダ·グラットン氏の述べる様な「人生百年時代」が将来実現するとしても、楽観的に見ても日本でそれを享受できるのは現在10歳未満の人達だけでしょう。右肩上がりで伸びて来た平均寿命がコロナ禍の影響もあり2年連続落ち込んだ後もすでに3年にわたり低迷していますし、主に医療面でのテクノロジーの進歩があっても貧富の差を解消できなければ高額な医療サ―ビスの恩恵は富裕層のみしか受けられません。だれもが「人生百年時代」を謳歌する社会にはならないでしょう。「人生百年時代」というフレ―ズに踊らされてはなりません。


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