見出し画像

老後の幸福は「ドベネックの桶」

「幸福」に対する考え方


   右肩上がりの時代が終わり、新しい時代が到来するなかで、私たちの価値観は望むと望まざるにせよ変化して来ています。当然の事ながら「幸福」に対する考え方も同じです。人間はその命がある間は、できるだけ幸福に暮らしたいと考え、それを追求して行動していきます。
    しかし、その幸福に対する考え方は一人ひとり違っていますし、その生きる時代によっても変わっていきます。思えば、あのバブルの時代、多くの人はお金が絶対的な幸福をもたらすように考えて追い求めてきました。そして、バブル崩壊後には、ある人は未だにお金を求め、ある人は人との繋がりを求め、ある人は何も見つけられず悩みながら、捜し求めました。そこへ、リーマンショックとあの東日本大震災と福島原発事故が起こり、命と絆という、ささやかではあるが、一番根源的なものの重要性に気付かされました。
その後コロナ禍を経験してからは、健康や働き方が重視される時代がやって来ました。
    かって、ブータンという国がマスコミに取上げられて一躍脚光を浴びた時代もありました。ブータン政府のホームページには次の様なくだりがありました。
『これまで、世界中の経済学者が、幸福になるためには物質的な発展を遂げることが必要だと言ってきました。しかし、ブータンは物質的な成長を積むことが必ずしも幸福と結びつくわけではないと主張し、これまでの説とは別の方法で考えようとしてきました。ブータンは、これまでの概念に対して、その発展の度合いを測るのにGDP(Gross Domestic Product/国内総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness/国民総幸福量)を使っています。』
    我が国の戦後を支配したGNP一辺倒の物の豊かさを計る尺度ではなく、精神面での豊かさを値とした指標を大切にするという考え方でした。このような視点で人間の幸福を考えることは、確かに大事なことだと思います。      しかし、一方で高度成長を果たし、物質的に豊かな生活を経験した日本人にとって、「3丁目の夕日」の世界に帰ることも、ブータン国民のような生活を求めることも、決して現実的ではありません。ましてトランプ主義の台頭は再び経済一辺倒の社会の復活を予感させます。しかし日本の様にこれからある意味で縮小していく社会において経済一辺倒で人々は幸福感を味わうことが出来るでしょうか?今後はGDPも総幸福量も、両方の視点をバランスよく取ったものが、求められると思います。

人間の幸福はドベネックの桶

 人間が幸福な人生を送るためには何が一番大切でしょうか?
古今東西、昔から、巷にはいろいろな「幸福論」が溢れています。
「健康が一番」、「お金がすべて」、「愛なくして何が人生か」、「いや自由こそ根源的な価値だ」、「いや若さだ」、「家族だ」・・・
どれもみな幸福な生活を送るうえで大切なものばかりです
しかし一生かけても使い切れないような大金持ちが病気で動けなかったら幸福でしょうか?
健康に溢れる若者が職も貯えもなく、明日の食事にも困るようでは、はたして幸福と言えるでしょうか?

 ところで、皆さんは、「ドベネックの桶」というのをご存知でしょうか?
19世紀のドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒの理論で「植物の生長は、必要とされる無機養分のうち最も少ないものによって決まる」という法則があります。これをリービッヒの最少律といいますが、この有名な理論を説明するものとして、「ドベネックの桶」が使われています。
    すなわち桶に水をいくら入れても桶の側板の最も短い部分を超えると水が流れ出してしまい、長い側板は意味をなさなくなるという事を示したもので、下の絵のように桶の水は桶の一番低い部分までしか貯まらないので、植物の成長は各養分と必要な水、温度などのなかで最も少ない因子によって決まってくるというものです。

お金
                 画像:ウイキペディアより 

 このドべネックの桶、これを人間の幸福にも当てはめることはできないでしょうか?
すなわち桶を作るうえでの1枚1枚の側板をそれぞれ、健康、お金、愛、夢、自由などに見立ててそれの一番低いところで、「幸福」という水の貯まる量が決まってしまうと考えてみたらどうでしょうか?
     このドべネックの桶で計る幸福の量は人生の各段階によっても変わって来ます。すなわち一般的に若い時は「若さ」「健康」「体力」「夢」「自由」などの幸福を構成する要素の側板は長い側板を組立てる事が容易で、逆に「お金」の側板は一般的には短くなります。そこで人々は幸福感を上げるため、お金を稼ぎ蓄財すること(「お金」の側板を長くすること)に生活の大部分を費やすことになるのです。
そして若い時は側板の長さを変えるエネルギーも時間もあるので、ドベネックの桶を作り直して「幸福の水量」を増やすことも可能になります。
    しかし高齢期になると稼得能力は落ちる一方で、年金や現役時代の蓄財に頼ることになるので「お金」の側板は伸ばすことがむずかしくなります。
老後になると、困難を切り開く若さもエネルギーもなくなり、長年つきあった家族や友人とも死別・離別し、昨日まで出来た事が今日出来なくなるという日常がやってくるからです。
    一方「健康」「体力」などの要素を表す側板は短くなるばかりです。こうなるといかに各要素をいかにバランスよく維持して一つの要素が極端に短くなり「幸福」の水量が失われないようにする事が重要となるのです。
老後の幸福は「健康」「お金」「生きがい」どれか一つでも低いレベルにあれば、そこから「幸福」は流れ出してしまうでしょう。

人間の幸福について、このように考えてみると、私達がこれからめざす高齢期の「幸福な生活」とは、生活の安定と、真に人間らしい生活のバランスが取れた生活であらねばなりません。
    そのためには、人生の桶を構成する様々な要素をバランス維持して行く事が必要だと思います。
 


いいなと思ったら応援しよう!