かけっこ省察:たなっ子マラソン
つくばマラソンから2週間。左膝に違和感があるため、毎日夜明け前に小さな小さな公園の芝生の上をぐるぐるジョギングしている。これから2月の京都まではフルの大会はいれていない。そんな気楽な土曜日にご近所の小学生のお母さんの誘いを受けて、地元の「たなっ子マラソン」にお手伝いがてら参加した。
たなっ子とは
地元の田奈、恩田地区は横浜市といっても田んぼや畑、里山に囲まれたのどかな環境に恵まれている。この地域に古くからある(なんと創立は明治6年!)田奈小学校のこども達をメインの対象とし、農道を周回するマラソン大会が「たなっ子マラソン」である。この地に移り住んで15年になるが引っ越した時点で自分のこども達はとうに成人していたので小学校の行事や地域のこどもの行事には疎い。学童の父兄がボランティアで活動される受付に、「ご近所の年寄りです」という顔をして加わった。実はマラソン大会には昔から数多く参加してきたが、受付などのボランティアはやったことがない。来年自分が勤める小児病院主催のファンランを行う上で開催手順を参考にしたいという気持ちもあった。
開会式
参加が義務づけられた小学校行事ではないとのことだが、1年生から6年生まで各学年20-30名弱の参加者がいる。さらにその保護者や僕のような物好きなご近所ランナー(?)、おそらく卒業生であろう中学生達も加わり受付広場には200人以上が集まってにぎわっている。開会式には来賓として地元選出の若手議員ランナーさんも来られ、校長先生の挨拶、体育の先生の準備運動など、おうおうこれって昔の運動会の風景だなあっ、と懐かしむ。いよいよ1年生からスタート。低学年は750mの周回コースを1周。学年があがると周回が増えて5,6年生は3周。一般・成人は4周3キロという設定。
小学生の部
スタートラインに1年生約20名が並ぶ。100mほど先の沿道からのぞき込む。ピストルがバーン!一斉に道幅狭しと小さい塊が突っ込んでくる。最初から全速力の形相だ。頑張れー!こっちも声が出る。周回コースなので通り過ぎたらバックストレート側に移動。速くもトップは独走態勢。カラダが大きい子が速いわけではない。でも誰もが真剣だ。3年生の番になると2周走る。2周目に入ると目印としてテープで作ったたすきを手渡される。取り損ねて取りに戻るこどももいる。どの子もペースやフォームはおかまいなし。ただ走る。その子の精一杯が見える。いいなあ、これこそかけっこだ。自分が中学高校の頃、卓球部のトレーニングで走らされたような手抜きがない。
いよいよ一般の部
5・6年が終わり、最後の一般・成人の部に参戦する。年寄りの冷や水と言われようとその辺の父兄に負けるわけにはいかない。前を走るのは体育の先生か、沿道のこども達が応援する。3周目でかわす。沿道から走り終わった小さなこども達が次から次と一緒に走り出す。「このお父さん速いよー!」、(フフフ、お父さんか、悪くないなー)結果は6位。中学生達と、お父さん一人に敗れた。タイム計測などなし。順位をつけた紙の札をくびにかけてもらい、広場に戻るとリボンをもらう。いいなあ、これこそかけっこだ。60年前にこのマラソンを走ったら、後ろの方でフウフウ言っていたはずだ。
走るのは本能
走るのが嫌いになるのはこどもの時に無理矢理走らされるからだ、みたいな論調をみかける。あれはちがうな。好き嫌いは人それぞれだ。今日のマラソン大会では大人が走るのを見て自然に走り出す子がたくさんいた。かけっこは好き嫌いではなくこどもの本能なんだろう。年齢をかさねると本能が希薄になっていく。便利な世界で、わざわざ疲れることをしなくなるのは自然の流れ。長じて俺って走るのにむいてないんだ、だいたいあの運動会の徒競走が嫌いだったんだ、おまえ何が面白くて走っているの、・・・・こういう流れは会話としても都合良く、走らなくなった自分を納得させやすいのだろう。
マラソンレースの本質
「マラソンは笑顔で走ろう」という。でも僕は今日見たこどもたちの必死な顔が好きだなあ。誰も笑ってなんかいない。速かろうが遅かろうが、今、このときを頑張っているというオーラに満ちあふれていた。かけっこはそれが如実にわかる。僕がこの歳でマラソンを走っているのは好きだからといえるが、健康によい、頑張ったぶんだけタイムに現れるのが楽しい、仕事以外の知り合いができる、などなど走る理由をいっぱいつけている自分も感じる。でもわかった。マラソンレースの本質はかけっこだな。僕がとりつかれているのはあの必死さだ。