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現役外科医と定年ランナー

昨日は子供の手術の助手に入った。まれな手術でバリエーションへの対応が必要になる。後輩は上手だが僕の経験も多少は役に立ったかもしれない。術者を降りて1年数ヶ月。俗に言うメスを置いたと言う話だ。助手であっても手術に入っている時間は充実している。ただ外科において術者と助手は、天と地ほども違う。術者には大きな責任とともに達成感がある。小さい手術でもアドレナリンがでる。僕はもう術者には戻らない。僕は定年ランナーだから。

なぜタイムを追いかけるのか

ランニングが習慣になってくると、距離かタイムを追いかけたくなる。一言で言えばチャレンジだからだ。小児泌尿器科と言う特殊な外科医を40年続けた。やめるまで、メスを置くまで上手になることを追い続けた。文字通り、ウルトラマラソンより長い手術を何度も経験した。外科医を続けながら毎朝走っていた。しかし、その頃のランニングはタイムを目指していても所詮、体を整えるためのコンディショニングだった。マラソンと比べるのが妥当かどうかはわからないが、困難な手術はチャレンジだった。文献を調べ、念入りに計画を立てても、その通りには進まないことも少なからずあった。決して諦める事はなかったが、結果が目指した状態の100%にならなかった時は落ち込んだ。結果オーライでも落ち込むことが多かった。手術には相手がいる。その相手は小さな子供なのだ。寝れない夜を幾晩も過ごした。それに比べればマラソンはいい。自分の中で完結する。結果が目指したものでなくても人を傷つけるわけではない。

定年ランナーの醍醐味

外科医でなくても市民ランナーと言うのは仕事と折り合いをつけて走っているランナーだ。少なくとも僕はそうだった。人生のメインが外科医であり、手術だった。定年になって何が変わったかと言えば、走れる時間が増えたこともあるが、意識の持ち方が逆になったことだ。外科医としてチャレンジすると言う事はなくなった。もはや現役外科医ではない。外科医は手術をするから外科医なのだ。非常勤として、今の僕は診てきた子供たちを少しでもサポートすると言う診療に変わった。その代わり定年ランナーとしてチャレンジしている。だから、メインがランニングなのだ。歳はとっても速くなりたい。サブスリー、いやもっと上を目指したい。いつか夢破れても、故障するか、病気になるかだ。家内には、申し訳ないが、このチャレンジは人様に迷惑をかけない。


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