2021|作文|365日のバガテル
春日和のゴーゴーウエスト、ニンニキニキニキニン
“道中、一貫して何か1つでもやり遂げることのススメ” 真冬でもアウターひとつ羽織ればブルースカイ、イエイっなウエストコーストのロサンゼルス。紅葉のメッカで深まる秋にうっとりため息が出るイーストコーストのボストン。この夏から秋を横断する距離がちょうど4200kmだという。そんな果てのないような距離を、わずかな期間で一気に運転して回るなんて、どうかしてるぜ。そうなのだ。今回、オッサンたちに若いメンを加えた撮影クルーは4200km分の知らないニッポンを一気に回ってきたのだ。オッサンたちにとってそれは、東京オリンピックの税金レガシーなんかよりも、伝説になった。ちなみに縦に長いといわれるニッポンの南北端の直線距離は2800km。
×月×日
朝5時30分、出発。気温10度、快晴。8時10分、富士山と正眼する鳴沢村の紅葉台山頂到着。1年を通じて3分の1しか目の前の富士山の全貌がくっきりと見えない。展望台のおばちゃんが教えてくれた。11時、東名高速の由比PAにて駿河湾を臨む。振り返ると、さっきまで目の前にあった富士山が少し小さくなっていた。12時、映画『超高速!参勤交代』のロケ地、島田市の蓬莱橋。昔と変わらず通行料100円、銭取橋。かつて殺人事件があったところ。ひどい冤罪だった赤堀事件のことを思う。東名高速を降りたついでに、国道150号線に舵を切る。映画『菊次郎の夏』のロケ地だった御前崎から浜岡砂丘と中田島砂丘を目指す。陽があるうちに撮れるものを撮りきりたい。14時30分、映画で菊次郎が溺れた御前崎のグランドホテルのプール、潰れたまま廃墟になっていた。浜岡砂丘から風力発電を狙う。逆サイドには原発だ。ため息。その後、中田島砂丘。ゴールデンウィークの凧揚げ合戦で有名なところ。今年は無事に開催されるのか。長距離ドライブの合間に裸足で砂丘を歩くのは気持ちがいい。足湯もいいだろうが、砂浜を裸足で歩くだけでもリフレッシュできる。東名高速に戻り、浜名湖サービスエリアで旅の初日のサンセット。19時30分、名古屋に到着。気温16度。それから急ぎ滋賀は高島市へ。23時30分、ホテル着。チェックインのデッドラインを大幅オーバー。琵琶湖のほとり。街にはすでに灯りはなく、湖畔の水音だけが聞こえてくる。朝起きたら、どんな景色が広がっているのか。
×月×日
朝5時50分、気温11度、快晴。朝やけの中に広がる琵琶湖畔。(ここがあの面白い小説『偉大なる、しゅららぼん』の舞台かあ)と一瞬、空想世界へ。メタセコイア並木に向けて出発。マキノ観光栗園を縦貫する町道牧野線と県道小荒路牧野沢線に約2.4km、500本のメタセコイア並木。平日の早朝。誰もいない。車も通らない。看板も遠くて小さい。たしかに滋賀にいるはずだけど、知らない国の知らない町のよう。そんなとき、景色をどこの国かと決定してしまうのは、人なんだと思った。そこにいる人の顔や言語、姿かたち、そういうものがどこの国にいるのかを決めてしまうのだろう。早朝のメタセコイア並木は、知らない場所へと旅してきたことを実感させてくれた。6時30分、大津から比叡山を経由して京都へ入るルートを選択。8時、比叡山山頂。靄、雨、眼下に琵琶湖。三条京阪へとドライブウェイを下ル。ナビにそむいて峠道から銀閣寺方面へ。京都の友人へ手紙を出すとき、住所が、●●通り下ルとか曲ガルとかっていうのがあって素敵。配達人にとっては、路地が狭くてカクカクしてて大変だろうけど、文章にするのは面白い。9時、予定通りに京都の河原町に到着。花遊小路へ。なじみの路地に小雨がパラつく。大阪へ。渋滞。予定より1時間30分遅れ。高松市で合流予定の仲間たちとは13時の約束。なかなかハードボイルド。パラつく雨からの雨上がり。大阪に到着後、道頓堀をバックに撮影。13時40分、高松へ。三密は避けまくりだが、過密でギュウギュウのスケジュール。明石大橋から四国へ。高松駅。モデルと合流。小説『海辺のカフカ』を思う。(西に来たんだ、まだ陽があるはず)と、高松から、そのまま一気に金毘羅と讃岐富士と山下うどんの琴平町をスキップして、観音寺市の豊稔池堰堤へ。夕日と競争、結果オーライにする。気温17度、体感温度は25度弱。17時50分、豊稔池堰堤到着。この旅1発目のモデルカット。日本最初期のコンクリート造溜池堰堤から折り返し、琴平町の金毘羅へ。19時、参拝者がひとりもいない、暗がりのこんぴら表参道。21時30分、道後へ。
×月×日
7時チェックアウト。気温12度、快晴。道後温泉本館で記念撮影。改装中だが営業中。浴衣の温泉客がチラホラ。その足で伊丹十三記念館へ。8のナンバリングの倉庫。はて、8の意味を調べてみよう。『ヨーロッパ退屈日記』はサブカル雑誌の専売特許ではなく、誰が読んでも面白いのだ。新井浜市にある東洋のマチュピチュ、別子銅山へ。マチュピチュの下方修正版だとは思うが、わかってはいても何かを期待してしまう。四国山地の1000m級の尾根。東西にのびる山々。この山深い場所のどこかにお気に入りのホラー小説『入らずの森』の舞台があるのだ。街には開花した桜がチラホラ。春。気温19度、ポカポカ。10時、別子銅山到着。日本初の山岳鉱山鉄道の別子鉱山鉄道上部線。山から下り、山根公園の石垣で撮影。桜が美しい。13時20分、しまなみ海道へ。今治から尾道を目指す。しまなみ海道走行中、気温は大台突破の23度、快晴。とにもかくにも、ああ、なぜだろう、今この瞬間に感謝したくなる。14時15分、ひとつめの島、大島。亀老山展望公園へ。展望台のデザイン。よく見たら、東京から離れたこんなところでも隈研吾。ひやかし気分で乗り込む。今治側の瀬戸内海を一望できた。ああ、尾道ラーメンの東珍康が食べたい。途中、山肌を削って採石するところがちらほら。石文化という記念館もあり。石を削るというのは、小さな島そのものを削っているということかもしれない。それは自虐行為なのか。それとも、先祖代々、瀬戸内の小さな島で暮らしてきた人々が島そのものと生き抜くということだろうか。採石場の削られた山肌を見ていたら、観劇した文学座の舞台『五十四の瞳』を思い出した。あれもまた瀬戸内の小さな島の、採石場で生きる人々の話だった。尾道ラーメンの東珍康にガっと駆け込み、広島へ。東珍康、うまい。650円。ギョーザは1人前が8個から。もちろんオーダー。しかし、東京の通常より2個多いので、びびってチャーハンは回避。後続の客や常連はチャーハンを必ず頼んでいた。後悔。他の客のチャーハンがめちゃくちゃ美味しそう。旅先にあって、なかなか来れないラーメン屋では、びびらずに必ずチャーハンも頼むべき。それがロードトリップのプリンシプル。16時30分、尾道から広島へ。千光寺は今回はスルー。太陽とまたもや勝負だからだ。この日の広島地方の日没予報は18時30分。撮影希望地の宮島に間に合うかもしれない。18時10分発、みせん丸で宮島上陸。撮影。鹿がケンカしていた。19時30分、広島へ。飲み屋がズラリと軒を連ねる流川通りの入口で撮影。21時30分、原爆ドームへ。その後、お好み焼き。0時、広島から山口の周南市、徳山コンビナートへ。1時、撮影。今日の最終目的地はもう少し先の山口市。コンビナートは、インスタなんかで見た絵より、思いのほかしょっぱい夜景。残念ではある。が、せっかくだから、もちろん撮る。ただ、本心を書いておく。「実際的なものより、写真の方が良くみえるのは好きじゃない。それよりも、実際にすごいものをしっかり撮るのが好きだ」。以上。これはグラビアにはしない。この時点で決めた。
×月×日
朝8時、ロビー集合。山口市から美祢市、秋吉台へ。今日は撮影と寄り道をしながらも長崎までたどり着くのが目標。秋吉台は日本最大の石灰岩大地。13000ヘクタール。10時30分、北九州市の響灘風力発電所へ。門司港。関門海峡。壇ノ浦。鉄鋼業を中心にして栄えた昭和の大都市。日本の高度経済成長を支えた街の今。それは炭鉱が枯れたのと同調するかのように、鉄が錆びたような色を感じた。これはディスではなく、街そのものにも人生の四季があることを実感させてくれた。決して嫌いではない。錆びた鉄の音に似た、悲喜こもごもの音的残像。車内に流れていたトム・ウェイツの錆びたのどちんこから響く『グレープフルーツ・ムーン』が心底ハマる。12時、腹が減ったぜ、響灘風力発電所。力強い風がびゅんびゅん。まさに風の時代だ。13時30分、筑豊を抜けて三井三池炭鉱へ2時間のドライブ。気温20度から26度までドピューン、快晴。ボタ山。筑豊地方は、林芙美子や五木寛之など著名な作家の作品舞台でも知られる。16時15分、大牟田市の三池炭鉱宮原坑跡。世界文化遺産。三池港にも寄り道。こちらも世界文化遺産。ルートを変更して熊本県まで進んで、長州港から有明海をフェリーで長崎の雲仙へ。今日は少し早めに休むことにする。45分間の乗船で対岸着。島原半島は雨。ロケハンかねて、そのまま海沿いを島原鉄道の大三東駅へ。19時、諫早市、ホテルにチェックイン。
×月×日
朝5時、ロビー。
大三東駅アゲイン。パラつく雨を見て、以前に長崎に来たときの感覚がフラッシュバック。この地方は午前中はとくに降ったり止んだりを繰り返す。前川清とクール・ファイブが歌っていたじゃないか。「ああ、今日も長崎は雨だった~」。気温17度。前川清、それ以上に、遠藤周作の小説『沈黙』の感じ。マーティン・スコセッシ監督の映画『サイレンス』の感じ。雨が上がってもぬかるんだ泥が足元を湿らせてくる時に、見上げてみた空の色というか。といっても、映画『サイレンス』は、ほとんど台湾ロケだったみたいだけど。まあ、いいか。6時21分、上り電車、諫早行き。駆け込む小学生。雨が横なぐりになってきた。大三東駅から終点の諫早駅まで1290円。ワンマン運転の黄色な電車1両編成。駅にあるガチャポンは300円。黄色ハンカチ入り。いつからこのハンカチがはじまったのか。山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』の舞台は北海道だった。というか、そもそも原作はニューヨークポストに掲載されたメイド・イン・アメリカのロードトリップものだったはず。とりあえずこれも調べておこう。6時53分の下りの始発列車が2本目の上り列車とシンクロ。この駅は、伊予の下灘駅などで知られる、駅から海が見えるとか海が近い駅とかっていうレベルじゃない。ホームからサーフボードとともにドロップインしたら、そのまま波にテイクオフできる駅。有明海に波が立つならば、駅からドロップインできる世界唯一のスポットになりえただろう。干拓で知られる有明海は、たぶん波は立たないんだろうな。7時30分、雲仙地獄へ。その前に諫早に戻って、レイコ・クルックの小説『赤とんぼ』の舞台となった飛行場跡、慰霊碑に向かう。雨が止んできた。9時30分、雲仙地獄は湯気とガスが立ち込めてホワイトアウトしそうな状況。噴火と噴流、そしてキリシタンの拷問の場所となった雲仙地獄。この湯けむりには、悲しみや覚悟がにじんでいる。どれほどの時が経とうと、それらが立ち消えることはないだろう。11時、長崎市へ。旅のゲストが合流。おっと、その前に大村市へ。いつのまにか空は晴れわたっていた。そんな時、長崎に来たと再実感。15時、江山楼。特上皿うどん、特上チャンポン、それぞれ1800円。そして、待ってましたぜ、トンポウロウ1個800円、注文は6個から。最高。おいしいなあ。4個も食べた。食べてしまえる。そして、またも夕日と競争。グラバー園に駆け込み。ここは維新の名跡と言われる。が、グラバー何某に取り入って、みんなを出し抜こうとしていた輩がわんさかいたんじゃないかと想像する。いつの時代も変わらない。虎の威をかる生き方。苦手。まあ、いいか。グラバー園の前、大浦天主堂。その脇に逸れた小道。観光客はそっちに行かない。だけど、遠藤周作はふらりとそちらに進んで、小説『沈黙』を書くことになる踏み絵に出会った。かつて長崎に来たときは、その道を歩いてみたが、今はグラバー園に滑り込む。対岸には世界有数の夜景の名所、稲佐山。長崎出身の作家、吉田修一の小説『長崎乱楽坂』の1コマを思い出す。日没後の長崎では、蛍茶屋から路面電車に乗車。街を周回。長崎といえば、坂口安吾の『新日本地理・長崎チャンポン』。彼が絶賛していた、大浦天主堂下のイーグルホテルと言われていたマドラス宿。シッポク料理という長崎郷土料理を食べさせてくれる福島旅館。それらはすでにないが、長崎には他の都市よりも独特な都市の感情があるのは間違いない。古風なところがズバぬけてある歴史的な街なのに、ひとりひとりは自由で、生き方をえらび、決して恋のない街ではない。そして。ゆるす街なのだ。21時、ホテル、チェックイン。モデル解放。友だちに託された手紙を、大切な人へ渡しに行く。再会。嬉しい。満月。
×月×日
5時、出津集落へ。気温14度、やわらかい陽光と綿菓子のような雲のグラデーション。朝露に濡れた緑。神々しい。遠藤周作記念館、外海の道の駅。その後、軍艦島へ。予約時間にいつもギリギリで間に合わないけど間に合ったことにする戦法。東京にいても、旅に出ても同じ。ダメだなあ。それに反して、快晴。感謝。9時30分、軍艦島へ。途中、高島経由。2020年2月、コロナ禍で横浜港に隔離停留させられたクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号が作られた三菱造船のドックを通過。しばらく考える。2020年4月に雑誌に寄稿した自分のコラムを反芻していた。黄砂で少し霞む。波はやや高。何度来ても波浪基準で軍艦島に上陸できない観光客もいるというが、上陸できた。13時、日本二十六聖人記念館。福者トマス金鍔次兵衛、1673年西坂で殉教。桜の舞う花びらを3枚つかむ。14時、ランチに昔ながらのトルコライス1200円也。16時50分、佐世保の展海峰に向かう。またまた夕日と競争。日の入り時間、すなわちそれは撮影時間のタイムリミット。黄砂とガスでオレンジサンセットにはお目にかかれず。菜の花の群生に遭遇。欲張って、撮影。19時、平戸へ。
×月×日
8時、ホテル出発。14度、快晴。平戸の人津久海岸へ。途中、中野教会で見上げた天守堂上空は、小説『沈黙』の表紙で見た空のようだった。紐差教会、浦上天守堂に次ぐ大きな教会。野焼きしたばかりの川内峠で休憩。9時、根獅子教会遺跡。キリシタン時代16世紀に建てられた教会跡。平戸はキリシタンの残像がとくに多い。そんな気がする。もろもろ寄り道ばかりして、いろいろ撮ってたら、平戸を出たのが14時だった。14時は、次の目的地、下関市の角島大橋に着く予定時間。こんなこともある。と、慌てない。先を急ぐけど、慌てない。それもこの旅で実感したプリンシプル。気温20度、快晴。平戸大橋から佐賀に入り、伊万里や唐津など、焼き物で知られる街を通過。途中、突然に玄海原発がある。萩市あたりでよく見る黄色のガードレールと赤い屋根。屋根はこの地方の特産、石州瓦らしい。黄色なガードレールは、来訪者を歓待するためらしい。さすがに今日は夕日との競争は負けだろうか。自然光での人物撮影優先のため、下関の角島大橋はスキップ。先を急いだ萩市の須佐ホルンフェルスも、結局間に合わず。完敗。日没。真っ暗なホルンフェルスで、みんなで星空を見上げて、夜の出雲大社へ。今日の宿は米子市。島根県だ。23時30分、出雲大社到着。気温9度、満天の星空。1時30分、ホテル着。
×月×日
朝6時、江島大橋へ。気温7度、快晴。というか、寒いぜ。江島大橋は通称ベタ踏み坂。撮影。早朝に関わらず、えらく車の往来が激しい。7時30分、鳥取砂丘へ。気温17度。風がひんやり。名産の梨のソフトクリーム。美味。14時、余部鉄橋へ。別名、空の駅。今日は江島大橋から106km走って鳥取砂丘。そこから40km足して余部鉄橋。そして、180km走りきって大阪まで行く。15時30分、余部鉄橋撮影終了。これで途中合流組はミッション・コンプリート。ありがとう。最高だ。さあ、大阪へ行こう。18時30分、大阪着。大阪は、この日、コロナ感染者数が599人、東京を上回った。オッサンたちは静岡へ。21時、静岡にて撮影。この旅の最後の撮影。3時53分、東京着。気温17度、晴れ。西へ向かった実際的な旅は、これにて無事終了。ありがとう。旅してよかった。さあ、泥のように眠ろう。ここまでの走行距離4200km。疲れきったフィジカル。それ以上に疲れきった頭。だけれど、その頭の中ではすでに、次の旅の空想力学がはじまっている。不思議だ。次はどこを目指そうか。何を目指そうか。ああ、できれば、四川省の奥深く、パンダ保護区を旅してみたい。