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人生に残す最後のことば

さて、最近、「死にいく者たちの言葉」という本を読みました。

キリスト系のシスターをやられている方が、長年人々の人生の最期を看取ってきたご経験から、
いったい人々は自分の人生の最期に、どんな言葉を残すのか、その記録の本でした。
身寄りのない住所不定のご老人の死に際に立ち会うことも多く、ひたすらその人が自然に語りだすまで何もうながすこともなく、ひたすら足をマッサージしてあげたりして、その人といっしょにいる共有の最期の時間に立ち合い溶け込み、そっと寄り添う姿勢に感動しました。

人生の最期に、積年の恨みつらみや病魔に侵され運命を呪うような言葉、肉親や友人への不満、
自分自身への失望や責め、あるいは、逆に肉親や友人への深い愛情、感謝、などいろいろ語るなかで、
あと余命1日とかいう最後の最期には、多くの方々が、自分の人生は、これでよかったのだ、という天命を全うしたような言葉を残していく人々が多かったそうです。最後の最期に自分の全人生の軌跡を受け入れる心境に至るということなのでしょう。

なかでも自分の心のなかに人生を通じて巣くっていた心の闇に向かい合う姿が印象に残りました。
誰にでも心の闇のようなものはあるのではないかと思います。それらは、この本のなかの死に行く人々の証言では、幼い幼児期に端を発するケースが時々ありました。
そして自分の幼児期を回想してその原因に向かい合いその理由を見つけ出します。
自分は両親に望まれなくて生まれたとか、両親から愛情を注がれなかったとかいう思い込みが多いのですが、それが真実ではないということを実感として納得してゆく自己理解の過程が述べられていました。

人生にお別れしなければならないことは万人に起こります。
人生に20,30歳代でお別れしなければならない人や、80,90歳代でお別れしなければならない人など千差万別です。

この本に書かれているシスターの看取りは、死後に永遠の生があるという信念に貫かれています。
私はキリスト教信者ではないので、死後の世界に永遠に生きると信じることができないです。
そうであれば、この世に生を受けてこの世だけの処遇で完結させたいです。

そして、死を待つときに、やはり自分の人生に折り合いをつけて死にたいと思います。
やはり、これでよかったのだ、という全肯定の生き様に憧れます。
悔いなどはたくさんあるでしょうが、あり得た人生も含めて、自分の歩んだ全人生を肯定してやりたいと思います。自分が歩んだ人生の境遇を全面的に受け入れるのです。

そして、最期に、自分の人生に関わった大切な人々に最後に感謝の意を尽くして死にたいと思います。

人生に最期に残す言葉、それは感謝の念ではないだろうか。

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