人生に深い意味などないとしたら(続)?
さて、今回はざっくり、人生に深い意味はないとしたら?
自分は、あなたはどう思うか、そしてどう生きるか?ということを少し書きたいと思います。
今の世の中、資本主義の情報過多な世相を反映して、あらゆる情報が手に入り、
ハウツーものが流行り、美容に走り、結婚アプリに登録し、投資話や儲け話に走り、
スピリテュアルなもので自分を浄化して、、、など、ありとあらゆることで
幸福なるものを求めているような世相です。
でも、もし、人生に深い意味などないとわかったとしら、どうしますか?
答えは、
上記のあらゆる美味しい話を無際限に追い求め続けるか、
もしくは、それらから脱落して違う境地に達するのではないでしょうか?
幸福の追求という考えに踊らされ、あくなき利益の追求に走る。
これも一つの生き方でしょう。
なかには結婚という制度から脱落したり逸脱したりする人もいることでしょう。
スマホ一つあれば結婚相手を探すアプリにアクセスできる今の世の中で、
無器用にもまだ純愛からくる性愛や恋愛を夢見ている人もいるでしょう。
私個人は、そういう無器用であり得ない可能性を夢見て実践している方の人間なのではないかと思います。
人生に深い意味などないのであれば、逆に脱力した生き方、ある意味、
暗いが底抜けに自由な生き方ができるのではないか、それはそれでポジティブにとらえられる気がします。
さらに言ってしまえば、人間は虚無な存在だといえるのではないかと思います。
だからこそ、こんなにも虚構を創造できるのだと、虚無ゆえの豊かという逆説が成り立つと思うのです。そして、その豊かさも結局は虚無という光の渦に飲み込まれるのですが。。。