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親の喪失と故郷

親って故郷のようなもの、故郷って親のようなものだと、改めて思います。

故郷なるものを持っている者にとっては、一度はそこから離れてみたい、いや、離れて違う場所で自分の人生を生きてみたいと思う方々が多いのではないでしょうか。

そして、故郷の方を振り向けば、いつもそこには年老いていく親が生きている。
ほっとするような、それでいてどんどん自分との距離が離れて置き去りにしているような
複雑な感情を抱くかもしれない。

そして、故郷なるものを喪失したか、元々そういう帰属意識のようなものがない者にとっては、
親の生きているその存在が故郷なるものの代わりをしてくれているようにも思います。
だから、親を亡くした時は、親と自分が生きていた時間と空間も失い、
今自分が立っている足元の地球に穴が開いたような喪失感を味わいます。


そして、無理かもしれないが、この親や故郷なるものを埋め合わせられるもの、
補えるものは何かと問うようになります。
それが家族愛、郷土愛、風土愛、ひいてはまれに人類愛などに結び付くのではないでしょうか。

故郷というのは、ある土地や風習や地域、国など地理的に限られるものではないと思います、
ある人の生き方、ある人々の暮らしぶりや、ある風景の存在の仕方だけでも、
故郷となり得るものだと思います。

どこか海外の異郷を放浪している時も、異邦人ではないと感じることがある。
異郷が、じつは故郷の源流の姿を宿していることもあるのだと思います。
たとえばアジアを旅していると、今では失われたひと昔前の日本の姿に出合うことがあります。

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