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離婚、そして息子との絆

先週、とうとう22歳の息子が初仕事のために南仏のトゥールーズに旅立った。

今日から、欧州航空宇宙大手の会社で6カ月間の研修である。

父親になって、息子がとうとう大人の仕事に就くということは感慨もひとしおだ。なんか長年背負ってきた父親としての務めから解放されたような、ほっとした気分がした。

思えば、息子が8歳の時に私は離婚した。
その時強く思ったのが、離婚しても息子の父親として息子の成長を身近で見守るという決心だった。
離婚してすぐの時、お父さんはお前を見捨てないよ、ということを示すために二人でロンドンに旅行に行った。
息子は飛行機が好きだったのでロンドンの飛行機の博物館に連れて行って、昔の飛行機の前でツーショットの写真などを撮った。
ロンドン名物のビッグベンの前で健気でかわいい息子を撮ったときは、涙が出そうなほど離婚したこと、その影響を考えて不憫に思った。

息子の学生生活は、中学、高校と私と元妻の間を週に2,3日ごとに交互に家を渡り歩くことは息子にとっては酷だったのかもしれない。

父親である私の方でも息子が泊まりに来る日は、とにかく夕食の準備に追われる日々だった。
夕食が終わると日本語補習校の宿題をいっしょにした。しかし、なにせフランスで暮らしているので日本語をただ国語の本で読んで漢字を何十回も繰り返し書いて覚えようとしてもすぐに忘れることの繰り返しだった。漢字は実際の生活で使わないと脳に定着しないのだった。
文系の私は少々焦った。でもある日息子が理数系の頭であることがわかって、それで納得がいった。ただ漢字を10回繰り返し書く暗記練習は、日仏ハーフの息子にとっては覚えられないことだったのだ。
それでも何年も小学生の国語の教科書をいっしょに読んだりしたことが、大人になった息子に少しでも日本語の役に立てばいいと思う。役に立たなければ、それはしかたがない。でも日本語を父親とマンツーマンで勉強した歳月は決して無に帰すことはないだろうと思っている。

逆に飛行機の操縦練習は16歳の時からはじめていて、もう飛行訓練期間は7年も経つ。去年初めて、息子が操縦するセスナに乗せてもらったときは、父親としてとても誇りに思える瞬間だった。

あのロンドンの飛行機の博物館で当時8歳の息子といっしょに飛行機をバックに撮ったツーショットの画像がよみがえってきた。
息子とふたりきりで大空を飛行中、流れたふたりの長い歳月が一瞬で凝縮されたような感覚。

今では、あと少しの資格で旅客機を操縦できるライセンスを取得できるところまできているとのこと。

今になって思えば、息子はとにかく手のかからない子だった。成績もまあまあ、反抗期も2回ほど父親に盾突く程度だった。

その息子が親を乗り越えて、今日から欧州航空宇宙エアバス社で初仕事だ。

子供の時から、日本のプラモデルで戦艦大和を組み立てたり、レゴで宇宙船やロケットを組み立てたりしていたのが、現実でも大学で本物のロケットを打ち上げたりするようになった。

子供が抱く夢の力には、ただただ驚くばかりである。

また離婚した父親が息子を育てた歳月も、こうして少しづつ結果がでてきて感慨深いものがある。

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