安楽死
いつかこれを読む誰かへ。
ネットの荒波からこれを見つけ出してくれてありがとう。まずは、今の現状をここに記す。
個人の自由の尊重が進んだこの日本で、安楽死が自由化されて約八十年。人間は遂に死への寛容を手に入れた。尊厳死を目的として可決されたはずの安楽死についての法令は、自由化の流れを受けてその身に不治の病を宿す者、何らかの理由で精神に重い影を持つ者に限らず、死にたいと思った時に、取り返しのつかないことをしてしまった時に「手軽に」死を迎えられる救済措置へと変わっていった。しかし自由化の流れを受けた、というのは建前であり、これまで人を支配してきた人間が過重労働等で人を死に追いやる際に尊厳死という形にすることで人の命を好きに扱えるということに気づいたからであった。これにより、一日に数百人のペースで起こっていた自殺は全て安楽死へとスライドした。今までいじめなどが絡んだ本人の望まない「自殺」としていたこの死を「尊厳死」と見なし、社会はこの死を倫理的に問題としなかった。また支配層の予想を超え、人間のメンタルは耐えることを知らなくなった。受験に失敗した、失恋した等の一昔前であれば人生のスパイスであった出来事は人を簡単に死へ導いた。死因の六割が安楽死となり、医術の進歩に反して平均寿命は安楽死が認められる前より二十歳近く縮んでいた。今の流れを見ればこれでも人は長生きしている方だろう。
ここからは僕とそのまわりの話だ。
どこにでもいる学生に過ぎない僕にこの流れに逆らう力はなかった。小学生の頃にいた友達の一割はすでに生を手放した。ともに学校へ通った彼もクラスで一番背の小さかった彼女も好き嫌いの激しいガキ大将も高校二年生になる今日までに死を選択した。自由を尊ぶ現在の教育では、友に生きていて欲しいと願うのはワガママでエゴでしかなかった。心では生きていたかったはずの彼も、生を最上の善としなくなった世の中に流されて死んで行った。
もっと身近なことでいえば、大きなプロジェクトを任されていた父は部下の不祥事の責任を背負わされ、「お勤め」という形で死んでいった。責任者が生きているということを世間は、会社は許さなかったからだ。還暦を迎えた祖母も高齢者の「マナー」として眠りについた。
これにより日本は年金、社会福祉等々の問題を一挙に解決した。世の中は死で満たされている。これは決して悲観では無い、どんなポジティブを持ってしても、これは揺るぎない事実だった。
何故このような義務教育でも習うような話をするのかといえば僕もあと1時間ほどで父親を追いかけ、眠りにつくからだ。前に2人ほど並んでいたがすぐに死ねるはずだ。
僕はいじめられている。味方だった友はこの世を去り、支えてくれた父も祖母も手の届かない所へ行ってしまった。これは確かに、望まない死。つまり「自殺」であるはずだが、今の世間に僕の「生きたい」の声は届かない。辛ければ一生を終えればいいだけ世の中だからだ。しかし、僕は生きたい。生きているのがどうしようもなく痛くて、辛くて死んでしまいたいけれど、それでもまだしたいことは沢山ある。でも、諦めることにした。この世界は生きるには難しい。死が近くにありすぎる。そして、誰もがそれを信じ疑わない。僕はこんな世界は嫌だ。あぁもっと生を尊んでいたかった。漫画のように映画のように人生を謳歌していたかった。
僕は、昔のようなエゴだとしても生きていくことを最善とする世の中になることを切に願う。これは、生きていくこと諦めた僕からのお願いである。きみがこれを読んで世に疑問を抱き、変えていってくれれば、嬉しいという身勝手な願いだ。 無視するのも君の自由。
あぁ中途半端なところまでしか書いていないけれどそろそろ僕の番だ。これを読んでくれた見知らぬ誰か、最後まで読んでくれてありがとう。さようなら。
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